その日の夜。
 フランシア子爵家の談話室には総勢たるメンバーが揃っていた。両親の他に、一番上の兄ダニエル。そして、二番目の兄ドミニクと三番目の兄のフレディ。そのメンバーに囲まれているのが、エレオノーラ。もう、このメンバーに囲まれたら縮こまるしかない。

「それでダニエル。リガウン侯爵の話は本当か」
 エレオノーラの父であるフランシア子爵が、ゆっくりと口を開いたところだった。

「はい。今のところ、本当だと思われます。本日、次の休暇に挨拶に来たいということで予定の確認がありました。後日、正式に使いが来るものと思われます」

 ふむう、とフランシア子爵は唸った。願ってもいない話だった。本来であれば諸手を挙げて喜びたいところ。だが、娘は諜報部、さらに言うならば潜入班。

 このフランシア子爵家は代々第零騎士団を勤めあげる家系。父であるフランシア子爵は元諜報部部長、今はその座を長男ダニエルに譲っている。母であるフランシア子爵夫人は広報部に所属していた、つまり過去形。二人の出会いは第零騎士団。次男のドミニクは母と同じく広報部門に所属し、三男のフレディは情報部門に所属している。
 本来であれば、フランシア子爵も娘を第零騎士団に入団させる気はなかった。普通に結婚してもらいたかった。だが、この娘、なぜか昔から変装が得意であった。そのためか、幼い頃から父親監修の元、変装しては父の仕事のためにいろんなところに潜入していた。けして、フランシア子爵が強要したわけではない。彼女は自主的に変装していたのだ。
 そして今では、第零騎士団にはいなくてはならない存在にまでなっている。

「フレッド、リガウン卿について報告して欲しい」
 ダニエルからの(めい)によって、フレディはジルベルトについて調べていた。情報部に所属しているので、この辺の調査はお手のもの。つまり、お茶の子さいさいというもの。

「第一騎士団団長ジルベルト・リガウン。年は三十一。侯爵家の長男でありながらも、未婚。婚約者もいません。侯爵家の本宅を出て騎士団の官舎で暮らしています」

「あら、ちょっとその年で未婚で婚約者がいないっていうのはつらいわね。完全に逃したわね。しかも官舎住まいなんて、断然やる気がないわね」
 母が言った。

「元々結婚に興味が無いということも一部では囁かれていましたから」
 フレディは左手の人差し指で眼鏡を押し上げた。「ですが先日。彼の部下であるサニエラ副団長が、エレオノーラについて調べていたようです」

「そうなのか?」
 ダニエルの問いにフレディは頷く。エレオノーラの情報は機密事項扱いだ。それを第一の副団長が調べた、ということは。この第零に誰か内通者がいる、ということだろうか。
 ダニエルは腕を組んだ。

「その結婚に興味が無いリガウン卿が、なぜエレンに求婚したいとか言い出したのかも気になるところですが?」
 ドミニクが言う。その視線はしっかりとエレオノーラを見ている。
 そうですよねぇ、とエレオノーラは心の中で呟いた。

「エレン、経緯を説明しなさい」
 ダニエルから言われてしまった。むしろこの口調は命令。
「あのときの説明と同じでいい」

 胸を触られたとか、ちゅーしてしまったとか、それをこの家族の中で説明しなければならいのか、とエレオノーラは思った。そんなの普通だったらば、こっ恥ずかしくて無理。だけどエレオノーラには仮面がある。その仮面さえつければ、その役になりきることができるのだ。
 エレオノーラは調査報告員という仮面をつけた。そして、先日ダニエルに説明した内容と同様のことを淡々と話した。

「事故ですね」
 話を聞いたフレディが眼鏡を押し上げながら言う。

「事故だが、リガウン卿にとってはただの事故ではないだろう。不幸な事故だ」
 父親が嘆いた。
「可哀そうなリガウン卿」

「お父様、そこ、可愛そうなのは私ではないのですか」
仮面を取り外したエレオノーラが言う。
「一応、初めてのちゅーだったのに」
 彼女は恥ずかしいのか悔しいのか、両手で顔を覆った。

「エレン、初めてだったのか」
 ダニエルが腰を浮かした。
「娼館にも潜入していたから、その辺はお手の物かと思っていたのだが」

「それはそれ、これはこれ。いつか出会える未来の旦那様のために、私は純潔を守っております」
 兄三人たちは吹き出した。そこ、面白いところでもなんでもないのだが。

「すまん、意外だっただけだ」
 取り繕うかのようにドミニクが言った。

「いっそのこと、その純潔をリガウン卿に捧げてしまったらどうかしら?」

「お母様」

「考えてもみなさい。我が家はしがない子爵家。その娘を娶りたいと侯爵家からの申し出ですよ。しかも相手は騎士団の団長。願ってもいない話ではないですか」

「しかし、仕事が」

「まったく、そうやって仕事仕事と言っていると、完全に婚期を逃しますよ。ましてあなたは社交界にも参加していない」

「していない、のではなく、できない、の間違いでは?」
 エレオノーラは小さく呟く。参加したくてもさせてもらえないのだ。それをしていないと、表現されるのはいささか語弊がある。

「その辺の細かいところはどうでもよろしい。とにかく、すでに十八。本来であれば婚約者がいてもおかしくはない年頃。むしろ結婚してもおかしくはありません」

 母親の力説に、男性陣は四人とも腕を組み、うむぅと唸っている。ここにも結婚していない男が三人いるのだが、それには触れないらしい。まあ、婚約者がいるということで大目に見ているのだろう。さらに、第零騎士団所属という特殊任務部隊。そうやすやすと結婚もできる部隊でもない。

「我が第零騎士団も第一騎士団と任務はこなすことはあるからな。エレンのことを知っていてもらっても悪くはないかもしれないな」
 ダニエルは言う。

「ですが、リガウン団長は、責任を取るとおっしゃったのですよね?」
 エレオノーラが顎に手を当てた。何かを考えているようだ。

「そうだが?」
 ダニエルは語尾をあげる。

「つまり、リガウン団長は別に私のことを好きでもなんとでも思っているわけではなく、あの事故の責任を取りたいとおっしゃっているわけで」
 そこで、エレオノーラの視線は何かを探すかのように斜め上を見つめた。
「ということは、私はリガウン団長の妻、まだ結婚はしていないので、つまり婚約者、いや、まだ届け出もだしていないから恋人? を演じればよろしいということですよね?」

 というエレオノーラの発想に、他の五人は唸るしかなかった。