第一騎士団団長ジルベルト・リガウン。年は三十一になったところ。リガウン侯爵家の長男。
婚期を逃したと言えば逃したかもしれないし、結婚する気がないと言えば無かったとも言いきれる。片っ端からやってくる縁談について、仕事を理由に断っていたらこんな状態になってしまった。
しかも、結婚はまだか、結婚はしないのかというリガウン侯爵と侯爵夫人からの攻撃に耐えきれず、騎士団の官舎に移り住んでしまったというのは有名な話。さらに社交界が開かれても護衛という任務を引き受けることによって、それを口実に欠席してしまう始末。
より一層、出会いから遠のいているジルベルト。
屋敷にいるなら調査を執事に頼むことができるのに、ここは官舎で執事のトムがいない。こういうときに限って、官舎に住んでいることを後悔した。仕方ないから第一の副団長であり、自分の部下であるサニエラに頼むことにした。
「悪いがこのフランシア子爵家のエレオノーラ嬢について調べて欲しい」
「どうかされましたか? このご令嬢が何か?」
サニエラは調査理由を尋ねたが、「少々気になるだけだ」という答えでジルベルトは誤魔化した。
だからといって、それで誤魔化されるほどサニエラも単純ではない。どんな気になり方かが気になるところだったので、それは調査報告をするタイミングで探りを入れようと思っていた。サニエラの眼鏡がキラリと光る。副団長の方が、二枚くらい上手である。むしろジルベルトは根が真面目くさっているため、やや応用力が欠けている。
それから数日後。本当に数日後。むしろ三日後。
「団長。先日頼まれていた調査の結果を報告いたします」と、数枚の用紙を手にしたサニエラが団長室へとやって来た。ジルベルトは二度見した。用紙が数枚。数十枚ではなく。だいたいこの辺の身上調査書というのは一年につき一枚が平均的である。だが、数枚。ということは、実は彼女は十にも満たない少女ということか。いやいや、そんなことは無い。触った時にはそれなりに成熟した、というところまで思い出し、サニエラに動揺がばれないように咳払いをしてみた。
そんなジルベルトに冷たい視線を向けたサニエラは、淡々と報告を始める。
「エレオノ―ラ・フランシア嬢ですが。年は今年十八になったところ。むしろ、なったばかりです。昨年、学院を卒業されているようですが、どうやら学院に通っていたわけではなく、自宅で試験を受けて卒業されたようです。つまり、学院に通わず学院を卒業したという、非常に優秀な生徒でもあります。特に外国語については、非常に高い成績を残しておりました。また社交界についてはデビューしたものの、身体が弱いという理由から一切参加しておりません。従いまして、エレオノ―ラ嬢の素顔は誰も覚えていない、もしくは知らない、ということになります」
「いや。彼女は第零騎士団の所属のはずだが」
「ああ、団長が知りたいのはやはりそちらの方でしたか。以上が、彼女の表向きの調査結果です。第零騎士団の方は裏向きの調査結果になります」
この裏向きの調査って、けっこう大変なんですよ、とサニエラは呟く。
ジルベルトは執務席の机の上に右肘をつき、その手の甲の上に顎を乗せた。
「エレオノ―ラ・フランシア、第零騎士団諜報部潜入班所属。騎士団ではレオンと名乗っているようです。諜報部門としての情報収集能力は非常に優れている、という評価を得ています。しかし、その任務が特殊である故、常にあちらの騎士団の建物の方に常駐しているわけではないようです。また、入団試験にも男装して現れ、誰もそれがエレオノ―ラ嬢であったことを見破ることができなかった、というのは第零騎士団だけではなく、騎士団の上層部の間でも伝説となっています。従いまして、第零騎士団の中でも彼女の素顔を知っている者はほとんどいない、という結論に至りました。先日の窃盗団の密売摘発の件ですが、あれもエレオノ―ラ嬢の潜入調査のおかげであるという報告を受けておりますが、その報告をしたのも諜報部長のダニエル・フランシア、つまりエレオノ―ラ嬢の兄であるため、あの摘発任務の功労者でありながらも、あの場にいた誰もが彼女の素顔は見ていない、ということになります」
サニエラの話を聞きながら、ジルベルトは自分の左手をじっと見つめてしまった。ふいに触れてしまったあの感触が、今でも思い出すことができる。ぐっと、その手を力強く握りしめる。
「つまり、誰もエレオノ―ラ嬢の素顔は知らない、と?」
「そのようですね。まあ、任務が特殊であるが故、その素顔を晒さないのでしょう。我々も、先日の窃盗団摘発で一緒に任務をこなしたはずですが、少なくとも私はエレオノ―ラ嬢に気付いておりません。実は、本当にあそこにいたのか、と疑っている者の一人です」
だが、ジルベルトはあそこに確かにエレオノ―ラがいたことを知っている。あの酒場の男性店員に扮していた娘、それがエレオノ―ラ嬢だった。見た目は間違いなく男性店員。いくつか言葉を交わしたが、声も男性店員。
ただ、ぶつかって押し倒してしまったとき、彼女は瞬間的にその表情を変え、「あ」という可愛らしい声を漏らしたのだ。触れた唇も柔らかかった。きっと、あれが彼女の素なのだろう、とジルベルトは思っている。
「それで、団長。何のためにエレオノ―ラ嬢についての調査を命じたのですか?」
「彼女のおかげで、我々第一が窃盗団に縄をかけることができたからな。何か礼を、と思ったのだが」
「まあ、間違いなく受け取らないでしょうね」
そこでサニエラは眼鏡を右手の中指で押し上げた。
「報告書はこちらに」
数枚の用紙を、パサリという乾いた音と共に執務席の上に置いた。
「ああ、ありがとう」
「それでは、失礼します」
団長室を出て行こうとするサニエラは、背中から「エレオノーラ嬢は、花は好きだろうか」というジルベルトの呟きが聞こえた、ような気がした。だが、気付かない振りをした。
婚期を逃したと言えば逃したかもしれないし、結婚する気がないと言えば無かったとも言いきれる。片っ端からやってくる縁談について、仕事を理由に断っていたらこんな状態になってしまった。
しかも、結婚はまだか、結婚はしないのかというリガウン侯爵と侯爵夫人からの攻撃に耐えきれず、騎士団の官舎に移り住んでしまったというのは有名な話。さらに社交界が開かれても護衛という任務を引き受けることによって、それを口実に欠席してしまう始末。
より一層、出会いから遠のいているジルベルト。
屋敷にいるなら調査を執事に頼むことができるのに、ここは官舎で執事のトムがいない。こういうときに限って、官舎に住んでいることを後悔した。仕方ないから第一の副団長であり、自分の部下であるサニエラに頼むことにした。
「悪いがこのフランシア子爵家のエレオノーラ嬢について調べて欲しい」
「どうかされましたか? このご令嬢が何か?」
サニエラは調査理由を尋ねたが、「少々気になるだけだ」という答えでジルベルトは誤魔化した。
だからといって、それで誤魔化されるほどサニエラも単純ではない。どんな気になり方かが気になるところだったので、それは調査報告をするタイミングで探りを入れようと思っていた。サニエラの眼鏡がキラリと光る。副団長の方が、二枚くらい上手である。むしろジルベルトは根が真面目くさっているため、やや応用力が欠けている。
それから数日後。本当に数日後。むしろ三日後。
「団長。先日頼まれていた調査の結果を報告いたします」と、数枚の用紙を手にしたサニエラが団長室へとやって来た。ジルベルトは二度見した。用紙が数枚。数十枚ではなく。だいたいこの辺の身上調査書というのは一年につき一枚が平均的である。だが、数枚。ということは、実は彼女は十にも満たない少女ということか。いやいや、そんなことは無い。触った時にはそれなりに成熟した、というところまで思い出し、サニエラに動揺がばれないように咳払いをしてみた。
そんなジルベルトに冷たい視線を向けたサニエラは、淡々と報告を始める。
「エレオノ―ラ・フランシア嬢ですが。年は今年十八になったところ。むしろ、なったばかりです。昨年、学院を卒業されているようですが、どうやら学院に通っていたわけではなく、自宅で試験を受けて卒業されたようです。つまり、学院に通わず学院を卒業したという、非常に優秀な生徒でもあります。特に外国語については、非常に高い成績を残しておりました。また社交界についてはデビューしたものの、身体が弱いという理由から一切参加しておりません。従いまして、エレオノ―ラ嬢の素顔は誰も覚えていない、もしくは知らない、ということになります」
「いや。彼女は第零騎士団の所属のはずだが」
「ああ、団長が知りたいのはやはりそちらの方でしたか。以上が、彼女の表向きの調査結果です。第零騎士団の方は裏向きの調査結果になります」
この裏向きの調査って、けっこう大変なんですよ、とサニエラは呟く。
ジルベルトは執務席の机の上に右肘をつき、その手の甲の上に顎を乗せた。
「エレオノ―ラ・フランシア、第零騎士団諜報部潜入班所属。騎士団ではレオンと名乗っているようです。諜報部門としての情報収集能力は非常に優れている、という評価を得ています。しかし、その任務が特殊である故、常にあちらの騎士団の建物の方に常駐しているわけではないようです。また、入団試験にも男装して現れ、誰もそれがエレオノ―ラ嬢であったことを見破ることができなかった、というのは第零騎士団だけではなく、騎士団の上層部の間でも伝説となっています。従いまして、第零騎士団の中でも彼女の素顔を知っている者はほとんどいない、という結論に至りました。先日の窃盗団の密売摘発の件ですが、あれもエレオノ―ラ嬢の潜入調査のおかげであるという報告を受けておりますが、その報告をしたのも諜報部長のダニエル・フランシア、つまりエレオノ―ラ嬢の兄であるため、あの摘発任務の功労者でありながらも、あの場にいた誰もが彼女の素顔は見ていない、ということになります」
サニエラの話を聞きながら、ジルベルトは自分の左手をじっと見つめてしまった。ふいに触れてしまったあの感触が、今でも思い出すことができる。ぐっと、その手を力強く握りしめる。
「つまり、誰もエレオノ―ラ嬢の素顔は知らない、と?」
「そのようですね。まあ、任務が特殊であるが故、その素顔を晒さないのでしょう。我々も、先日の窃盗団摘発で一緒に任務をこなしたはずですが、少なくとも私はエレオノ―ラ嬢に気付いておりません。実は、本当にあそこにいたのか、と疑っている者の一人です」
だが、ジルベルトはあそこに確かにエレオノ―ラがいたことを知っている。あの酒場の男性店員に扮していた娘、それがエレオノ―ラ嬢だった。見た目は間違いなく男性店員。いくつか言葉を交わしたが、声も男性店員。
ただ、ぶつかって押し倒してしまったとき、彼女は瞬間的にその表情を変え、「あ」という可愛らしい声を漏らしたのだ。触れた唇も柔らかかった。きっと、あれが彼女の素なのだろう、とジルベルトは思っている。
「それで、団長。何のためにエレオノ―ラ嬢についての調査を命じたのですか?」
「彼女のおかげで、我々第一が窃盗団に縄をかけることができたからな。何か礼を、と思ったのだが」
「まあ、間違いなく受け取らないでしょうね」
そこでサニエラは眼鏡を右手の中指で押し上げた。
「報告書はこちらに」
数枚の用紙を、パサリという乾いた音と共に執務席の上に置いた。
「ああ、ありがとう」
「それでは、失礼します」
団長室を出て行こうとするサニエラは、背中から「エレオノーラ嬢は、花は好きだろうか」というジルベルトの呟きが聞こえた、ような気がした。だが、気付かない振りをした。