第一騎士団団長のジルベルト・リガウンが、第零騎士団諜報部部長ダニエル・フランシアの妹、エレオノーラ・フランシアと結婚した、という話が騎士団の中を駆け巡ったのはほんの一月(ひとつき)程前。
 エレオノーラ・フランシアと言えば、学院にも通わずに卒業し、社交界にもほとんど参加していないという幻の令嬢。兄達が溺愛し過ぎて屋敷に閉じ込めているんじゃないか、とか、実は人前に出られない容姿なのではないか、とか。そんな噂もちらほらと。
 だが、ジルベルトが建国記念パーティに、まだ当時は婚約者であったエレオノーラを連れて出席した。そんな彼女は婚期を逃したジルベルトに似合うような落ち着いた女性であった、とも囁かれている。知的な感じがする美人であった、と。

 そして知的美人と囁かれている彼女は、口から大量のエクトプラズムを吐き出しているのではないかと思えるほど深くて長いため息をついた。

「まあ、エレン。浮かない顔をしてどうしたのかしら? 新しい部屋はお気に召さない?」

「いえ、そんなことありません。お義母さま。素敵なお部屋をありがとうございます。ただ」

「ただ?」

「一緒にいるべき人がいない、と言いますか。一応、新婚なはずなのに?」
 一般的には新婚に分類されるはずなのに、思わず疑問形になってしまった。

「まあ」

 エレオノーラはリガウン家のサロンで、彼の母と共にお茶を飲んでいた。

「それにお義母さま。私たち、いつになったら結婚式を挙げられるのでしょうか?」

「そうよねぇ」
 義母はゆっくりと口元にカップを運んだ。それを一口含み。「せめて、私が生きているうちにあなたたちの結婚式を挙げてもらえると嬉しいのだけれど」

「お義母さま。私、結婚してから、ジル様とはまだ二回しかお会いしていないのです。これもおかしいと思いませんか? 結婚して一月以上経つのに、二回ですよ。旦那さまと二回しか会えてないんですよ。しかもそのうちの一回は職場でお会いしただけです。別居婚だとしても、会えなさすぎだと思いませんか? しかも私がこちらに来てからは一度も会えていないのです。やはり、ジル様は私と結婚したことを後悔されているのでしょうか」

 うーん、と義母は頬杖をついた。息子がこの()にベタ惚れなのは、見ていれば誰だってわかる。むしろ見ている者が恥ずかしくなるくらいにあからさまだ。

「やはり、グリフィン公爵家の件よね」

 義母が呟いた。グリフィン公爵の悪事の数々。しかも前王の弟の子、という立場なだけあって政界も大混乱だ。五つある公爵家、そのうちの一つの失態。

「ですよね。みなさま、大変なんですよね。ですから、私のわがままでジル様にこちらに帰って来ていただきたいと思うのは、ダメですよね、きっと」

 それでは、私と仕事、どっちが大切なの? と迫るようなものじゃないか。そもそもの比較対象が間違っている、というものだ。
 でも、ジルベルトは働きすぎではないか、とも思う。立派に労働基準法違反だ。休みがない。帰ってくることもできない、つまり深夜残業もしている。一体、いつ休んでいるんだろう? それに残業手当や深夜勤務手当はついているのか? とか。そんなことまで考えてしまうエレオノーラ。寂しすぎて、脳内での考えが暴走しかけているようだ。

 うーん、と義母は頬杖をつく手をかえた。忙しいにしても、屋敷に帰って来ることができないくらい忙しいというのは、いかがなものか。できれば式を挙げるために二日くらい休みを取らせてもらえないのだろうか。

「そうよね。せめて、結婚式だけは早めに挙げたいわよね。まあ、こうなることがわかっていたから、さっさと申請書だけ出したっていうのもあるけれど」
 そこで、義母はちょっと温くなったお茶をすすった。

 こうなったら、騎士団の総帥に直談判することも考えていた。だが、一月以上会えていないと言う。むしろ、あの息子が我慢できるとは思えない。

 婚約期間中も、数回程度しか会っていないはずだが、それでも十日くらいに一回の割合で会えていたはずだ。何しろ、婚約申請書を提出してから百日後に結婚申請書を提出しているのだから。本人たちはそれには気付いていない。百日後に結婚する騎士かよ、と、義母は思っている。

 再び、義母が温めのお茶に口をつけようとしたときに、廊下のほうが騒がしいことに気付いた。人の足音が聞こえてくる。しかも勢いよく。廊下は静かに歩きなさい、とその場にいたなら間違いなく注意しているだろう。

 それはもう、不躾に、本当に不躾に扉が開かれた。こんな不躾な開け方をしてくる人物を、義母は二人しか知らない。一人は自分の夫。だが、今日は例のグリフィン公爵の件で王宮に呼び出されていた。年の功というやつで、騎士団を引退しているにも関わらず呼び出されてしまった。仮に彼が帰ってきたとしても、今日の今日でこのような開け方はしない。ということは、もう一人の心当たり。
 息子のジルベルトしかいない。