堅物騎士団長から妻に娶りたいと迫られた変装令嬢は今日もその役を演じます

「やめろ」
 ジルベルトが彼女に駆け寄ろうとしたが、男が数人やってきてジルベルトとダニエルの身体を拘束した。多分、油断したのだと思う。思わず俯せに床に倒れ込んで、その床に肩を押さえつけられてしまった。

「やめてくれ」
 ジルベルトは暴れるが相手は二人。ダニエルにも同様に二人の男が床に押さえつけている。

 マリーはその注射針を、拘束している彼女の右肩に刺した。彼女の目が大きく見開いたかと思うと、その身体は崩れ落ちる。それをアンディが支える。中身が空になった注射器を見せつけるかのようにマリーは放り投げた。それは宙に放物線を描いて落ち、カランと乾いた音を立てた。

「彼女に何をした」
 体を押さえつけられながらもジルベルトの目はギラリと怒りで溢れている。

「ちょーっと、気持ちよくなれるお薬よ。でも、気を失ってしまったみたいね。目を覚ますのが楽しみだわ」
 マリーはアンディの腕の中にいる彼女の頭を優しく撫でた。

「き、貴様」
 男二人がかりで押さえているというのに、それを突き放すだけの力がどこにあるのだろう。ジルベルトは一人に向かって右肘を振り上げた。それは見事、一人の顔面に当たった。痛みに耐えきれず顔を押さえる彼は、ジルベルトを押さえる手を離してしまった。一対一であれば、ジルベルトの方が有利だ。押さえつけている方の男は慌てて両肩に手を置こうとしたが、ジルベルトの方が動きは速かった。押さえられたところを軸にして、身体を回転させる。その男に膝蹴りを与える。それは男のこめかみに命中し、そして吹っ飛んだ。

「ダニエル殿」
 ダニエルに覆いかぶさっている男の背中を引っ張りあげ、無理やりこちらを向かせると、その顔面に頭突きを食らわせる。残った一人は、ダニエルが蹴り上げてふらついたところを、さらに回し蹴りでその頭を狙う。
 ジルベルトとダニエルを押さえつけていた男たちは見事その二人によって、気絶させられてしまった。

「あなたの部下、思ったより使えないのね」
 はあ、とマリーは大きくため息をついた。
 二対二。こちらに人質がいるとしても、相手は騎士団に所属する男が二人。分は悪い。そしてこちらが身構えるより先に、ジルベルトがマリーへとその手を伸ばした。

「お前だけは絶対に許さない」
 彼女の細い首に両手をかける。ジルベルトの力でみるみると首を絞められるマリーは、言葉を発することなく、気を失った。そのまま床に落とされる。

「マリー」
 グリフィン公爵は腕の力を抜いてしまった。だから腕の中にいたはずの彼女の身体がずるりと落ちる。だが彼女よりもマリーの方が大事だ。
「マリー」
 彼女に近寄って左膝を床につき、その口元に耳を傾けると、呼吸が止まっているように感じる。

「き、貴様!! よくもマリーを」
 グリフィン公爵はジルベルトを見上げ、ジルベルトはグリフィン公爵を見下していた。ジルベルトの後ろでダニエルが動く気配がした。倒れている彼女を介抱するのだろう。

「おい。大丈夫か」
 と、ダニエルはしきりに彼女に声をかけている。
「おい、()()()()()、しっかりしろ」

 ウェンディ、だと? このジルベルトの婚約者の名前はそんな名前だったか?
 グリフィン公爵は婚約者の名前を思い出そうとしたが、少なくともそんな名前で無かったことは覚えている。
 そう、あのパーティで二人そろって挨拶をしていた。確か婚約者の名前は――。

 そこでマリーがむくりと起き上がった。上半身を起こして、首をポキポキと傾けている。そして首元を右手で押さえながら。
「はい、ダニエル部長。そこで、ついつい彼女の本当の名前を呼んでしまうのは、諜報部失格ですよ? 彼女はウェンディですが、今はエレオノーラになっているのです」

 そう言葉を発するマリーは何かが違う。いつものマリーではない。
 グリフィン公爵はただ茫然と彼女を見つめる。
 彼女は誰だ?

「あ、あ。マリー?」

「残念ながら、マリーは死にました。あなたも確認したのでしょう? アンディ?」
 その艶やかな微笑み方はまさしくマリー。だけど、話し方と仕草が何か、こう、違う。
 目の前にいる女性はマリーに見えるがマリーではない。つまり、彼女はもうマリーという名の仮面をつけていないのだ。

「そうだ。マリーは息をしていなかった。このジルベルトに殺されたんだ。なのに、なぜ?」

「ごめんなさい、アンディ。私、死んだふりは得意なの」

「お前は、マリーじゃない。お前は、一体誰だ?」
 グリフィン公爵は膝をついたまま、わなわなと身体を震わせていた。

「私? 私は」
 あるときは酒場の店員、あるときは娼館の娼婦、あるときは高級レストランの料理人、でもその正体は。
 という決め台詞とポーズを考えてダニエルに伝えたところ、あえなく却下されてしまったため、普通に名乗るしかない。

「第零騎士団諜報部レオン」

「な、な、マリーが諜報部だと?」

「正確には諜報部の私がマリーに扮していた、ですね。はい、リガウン団長、グリフィン公爵の拘束をお願いします」

 マリーに扮していたレオン、つまりエレオノーラはすっと立ち上がると、気絶していた四人のうちの一人が起き出して逃げようとするところを追いかけた。
 女の足で間に合うのかと思うところだが、彼女の足は速かった。逃げ出すそれに追いつくと、ジャンプと同時に回し蹴りでそれのこめかみを狙う。
 回し蹴りはフランシア家の得意技なのか、と思いたくなるほど。
 その男は壁の方まで吹っ飛んで、再び気を失った。エレオノーラの回し蹴りは、それはもう見事なものだった。

 廃倉庫の周囲は、すでに第一騎士団で囲まれていた。
 ジルベルトがグリフィン公爵を拘束し、ダニエルがその部下二人、エレオノーラに扮していたウェンディが部下一人、そしてマリーに扮していたエレオノーラが部下一人を拘束して、彼らを第一騎士団に引き渡した。

「グリフィン公爵。あなたには、薬の密売と誘拐の罪がかけられています」

 ジルベルトはうなだれるグリフィン公爵に声をかけた。

「ジルベルト殿。貴殿が今日を共に過ごした女性は、婚約者ではなかった、ということか?」

 思い出したかのようにグリフィン公爵は尋ねた。劇場から彼らをずっと見張っていたというのに。

「いえ。私は婚約者である彼女と共に過ごしました」
 もちろん、劇場ではエレオノーラと共に観劇を楽しんだ。舞台を見ながら少し興奮して喜んでいる彼女は、確かにジルベルトの隣にいた。

「だったら、なぜ? いつ入れ替わったんだ?」

「劇場です。帰りの馬車に乗る前」

「そうか。だからお前たちは騎士としてここに来ることができたのか」
 グリフィン公爵は呟き「今回の私の敗因は、マリーという女性に溺れてしまったことだな」

「そのようですね。ですが、彼女は素敵な女性です。あなたが夢中になっても仕方ない」

 ジルベルトは目を細めて、そう言った。
 グリフィン公爵とその部下を含む計五名が護送され、この廃倉庫にはジルベルトとダニエル、そしてエレオノーラとウェンディだけが残された。事後処理要員とも言う。

「はぁあああああ。もう、疲れました」

 へろへろとその場に座り込むエレオノーラ。

「エレン、その恰好と行動が伴っていないから、少しは慎め」
 ダニエルが呆れた顔をして妹を見下ろした。

「ところで、ウェンディ殿に打ったものはなんだったのだ?」
 ジルベルトが腕を組んで尋ねた。

「あー、あの気持ちよくなるお薬、ですか? 栄養剤です。ウェンディの名演技のおかげでバレずに済みました。グリフィン公爵が持っているお薬の中身は、全部入れ替えておきましたから」

「全部?」
 ダニエルが尋ねる。
「はい、全部です」
 自信をもってエレオノーラが答える。

「では、第一が押収したものは?」

「あ」

 エレオノーラのそれでダニエルは察した。
「で、本物はどこにある?」

「こっちです」
 とエレオノーラが立ち上がって隠し場所へと案内しようとすると、ふわりと上着を肩からかけられた。それはジルベルトの騎士服の上着。

「エレン。お前の服装は、露出狂並みらしいぞ?」
 ダニエルは苦笑を浮かべることしかできない。自分の妹であるが、その存在が恥ずかしい。

「何を言っているんですか、お兄さま。私はセクシー町娘に変装していたんです。露出狂ではございません」
 ジルベルトから渡された上着に袖を通しながらエレオノーラは答えた。

「セクシーな女性は、自分でセクシーとは言わないわね」
 笑いながら言うウェンディに、エレオノーラは頬を膨らませた。

「まあ、エレンが気付いているのか気付いていないかわからないけれど。あなた、さっき回し蹴りしたわよね? そのときにそのスリット、けっこういっちゃったと思うのだけれど?」
 さすが女性目線。鋭い。多分、ジルベルトも気付いていたのだろう。だから無言でその上着をかけたのだ。この場にこのメンバーしかいないけれど、彼としては気になるところらしい。
 身長の高いジルベルトの上着を着ると、エレオノーラの膝上まで丈がある。これでなんとか、けっこういっちゃったスリットを隠してくれるはずだ。

 エレオノーラが三人を案内したのは、廃倉庫の二階にあたる部分。ここは床が木の板でできている。

「この床板の下に隠しておきました」

 ジルベルトがじっと見つめると、一か所だけ不自然な板があった。一度剥がしてまたはめたのだろう。ジルベルトは膝をついてその不自然な板に手をかけた。

「ふん」

 メキッと板が剥がれた。

「おお、さすがリガウン団長」
 ダニエルが呟くと、ウェンディもなぜかパチパチと手を叩いている。

「これか?」

 ジルベルトが聞いてきたので、エレオノーラはそうです、と答えた。ジルベルトがわざわざこれか、と尋ねたのは、そのお目当てのものが変な壺の中に入っていたから。変な壺、いや、ダニエルにはこの壺に見覚えがある。

「おい、エレン。これ、我が家の壺じゃないか」

「あ、バレましたか? 栄養剤をこの壺にいれて運んできて、しれっと入れ替えておきました」

「何がしれっとだ。今だってこの壺と一緒に運ばなければならないだろう。こんなの父上にバレたらなんて言われるか」

「あ、お父さまには内緒にしておいてください」

「もういい。リガウン団長、大変申し訳ないのだが妹を屋敷まで送っていただけないのだろうか」

「ダニエル殿は?」

「私はウェンディと共に、これを総帥に届け出る」
 ダニエルの言うこれとは、変な壺に入っている薬のこと。

「わかった」
 ジルベルトは頷いた。
 ダニエルは壺を抱えて、廃倉庫を出る。どうやら騎士団の馬車を残しておいたらしい。元々ダニエルは王宮の方へ戻るつもりだったのだろう。仕事人間の男だから。

 廃倉庫の中には二人残される。エレオノーラは再びその場にへろへろと座り込んでしまった。

「あの、リガウン団長」
 エレオノーラはジルベルトを見上げる。

「どうした?」

「あの、終わったと思って安心しましたら、腰が抜けてしまいました。いや、あの、ホントに、ごめんなさい。今回の任務は毎回ヤバイって思っていたんですよね。その、グリフィン公爵とお会いする度に。もう、バレたらどうしよう、みたいな感じでした」

 ジルベルトはエレオノーラの隣に腰をおろした。

「今日も、まさかグリフィン公爵がこちらの作戦にのってくれるとは思ってもいなくて。本当に一か八かみたいな感じでした」

 ジルベルトはそっとエレオノーラの背中に手を回す。

「リガウン団長やウェンディも巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
 エレオノーラの声は少し震えていた。

「グリフィン公爵の件は、我々も把握していたが証拠を掴むことができなかった。今回こうやって拘束することができたのも、あの薬物を押さえることができたのも、全てはエレンのおかげだ」

 エレオノーラは泣きそうな笑みを浮かべた。笑っているように見えるけれど、目尻が下がって今にもそこから涙が溢れそうだ。

「ごめんなさい。あの、本当に怖かったんです」

「ああ」
 ずっと一人で敵陣に乗り込んでいたのだ。そのような気持ちになるのも仕方のないことだろう。騎士団は団ということもあり、集団で動くことが原則である。基本的には単独行動はしない。だから、単独で騎士を動かす第零騎士団はそれだけ異質ということだ。

「冷えてきたな、戻ろう」
 ジルベルトは立ち上がり、エレオノーラに向かって手を差し出したが、エレオノーラはそれを取らない。

「あの、リガウン団長」

「ジル、だ。エレン。もう任務は終わった」
 手を差し出したまま、ジルベルトは言う。

「あの、ジル様。立てません」

 ふっと、ジルベルトは笑った。
「わかった。だったら、前か後ろか、どちらがいい?」

「前か後ろ?」
 エレオノーラにはその質問の意味がわからなかった。

「抱っこかおんぶだな。立てないのだろう? つまり歩けないということだ。だから私は君を運ばなければならない」

「でしたら、おんぶでお願いします」

 するとエレオノーラの目の前に広い背中が現れた。
 ジルベルトに背負われて、廃倉庫の二階から一階へと移動する。

「あの、ジル様」
 エレオノーラはくてっと右耳をジルベルトの首元にくっつけていた。「重いですよね、すいません」

「いや、重くはない。重くはないが、むしろ……」
 抱っこよりもおんぶのほうが密着度は高いらしい。密着することで気付くこともある。

「むしろ、なんでしょうか?」

「いや、なんでもない」

 沈黙。ジルベルトのカツンカツンという足音だけが響く。

「あの、ジル様」
 返事は無い。

「ジル様はやはり、こういった、大人な女性がお好みなのでしょうか? 多分、ジル様には知的美人かセクシー美人がお似合いになるのかなと思っているのですが」
 ピタッと足を止めた。多分、ジルベルトは何かを考え込んでいるのだろう。

「まあ、そういうエレンも悪くはないが」
 そこで再び歩き出した。
「いつも言っている通り、あなたはあなたのままでいい」

「ジル様。私、おかしいんです」

「どうした? どこか怪我でもしたのか?」
 おかしいと言われたら心配になる。

「いいえ。私、ジル様に好かれたいと思っています」

 ジルベルトは再び足を止めた。だが何も言わない。

「ジル様が、私に対して責任をとるために婚約してくださっただけなのに。私は、ジル様に好かれたいってそう思っているんです。ですからもう、婚約者を演じることができません」
 ジルベルトの婚約者という仮面をつけることができない。仮面をつけることができなければ、もう演じることはできない。

「だったらもう、演じる必要は無い」

「え。それって流行りの婚約破棄……」

「されても、私は困るのだが」

 ジルベルトは笑って、再び歩き出した。廃倉庫から出るとリガウン家の馬車が止まっていた。この御者も影の協力者の一人だ。
 ジルベルトは馬車に乗り込むと、エレオノーラを背中から降ろして、その隣に座った。馬車は静かに動き出した。

 エレオノーラは背筋をまっすぐに伸ばして、両膝の上に両手をグーにして座っている。ただその顔はその両手をただ一点に見つめていた。

「エレン。顔を見せて欲しい」
 ゆっくりと、エレオノーラは首の向きをかえた。

「出会いはどうであれ、私は今、あなたを愛している。だから、婚約破棄はしない」

 ジルベルトはエレオノーラの右手をとった。その手を彼女の顔の高さにまでゆっくりと持ち上げると、彼女に見せつけるかのようにその甲に唇を落とす。しかもそのとき、じっとエレオノーラの瞳を見つめていた。

「エレン。あなたの気持ちを聞かせて欲しい」

「私は……」
 と言いかけて、それ以上言葉を紡ぎ出すことができない。ジルベルトがじっと彼女を見つめていた。次の言葉を待っている。

「私は諜報部の潜入班としては失格ですね」
 エレオノーラは自嘲気味な笑みを浮かべる。「私は、ジル様が好きです。多分」

「多分?」

「多分。あの、うまく言えないのですが。ジル様に嫌われたくないです。ジル様が責任をとるとおっしゃってくれたから、それに応えるように、婚約者としての義務をきちんと果たすべきだと思っていました。ですが、こうやってジル様と共に時間を過ごすうちに、ジル様に嫌われたくないって思うようになってきました。まだ、十回しかお会いしたことが無いのに」

「十回、なのか?」

「はい。今日が記念すべき十回目でした。このような記念すべき日に、ジル様とお芝居を見に行くことができて、とても嬉しいと思いました」

「そうか」

「ですが、それを利用するような形になってしまい、本当に申し訳ありません。ジル様まで利用するようになってはジル様の婚約者として不適だと思いますし、またジル様にこのような感情を抱く私は諜報部として失格だと思っています。今回の事件の全貌が明らかになったら騎士団の方には退団願を出します」

「辞めるのか? 第零騎士団を?」

 エレオノーラは頷く。なんという急展開。

 そうか、とジルベルトは呟いたが、あの第零騎士団たちが彼女を手放すとは思えない。それに騎士団という組織を考えた場合、彼女を失うことは組織としての損失も大きいはず。

「騎士団を辞めて、田舎に引っ込もうと思います。私を知らない人たちのなかで、ひっそりと暮らしていこうと思います」

「いや、エレン。あなたは私の婚約者のはずだが? それまで辞めるつもりか?」

「私はジル様の婚約者としてふさわしくありません」

「そうか。あなたがそこまで言うなら」
 とジルベルトが言うと、エレオノーラは一筋の涙を流した。ジルベルトはエレオノーラの頬を優しく撫でる。

「婚約者は辞めて、私の妻にならないか? 婚約者としてふさわしくない、というのであれば、妻ならどうだ?」

「え?」

「私はあなたを一生手放す気は無い」

 そこでジルベルトはエレオノーラの背中に両手を回して、彼女をゆっくりと抱きしめた。

「ジル様?」

「私の妻は嫌か?」

 ジルベルトの腕の中でフルフルと首を横に振る。

「エレン、私はあなたを愛している」

「はい」

「だから、いつまでも私の隣で笑っていて欲しい」

「はい」

「できれば、あなたの気持ちも聞かせて欲しい。あなたには、他にふさわしい人がいるのではないかと、いつも不安になる」

「私も、ジル様のことが好きです。これからもずっと、お側にいても良いですか?」

「ああ、もちろんだ」

 ジルベルトはエレオノーラの顔を覗き込むと、彼女の唇に自分のそれをそっと重ねた。
「団長、ご結婚おめでとうございます」

 お茶をコトリと執務席の机の上に置きながら、副団長であるサニエラから事務的に声をかけられた。

「ああ、ありがとう」

「それで、式はいつ頃行う予定ですか?」

「それを今、考えている」

 グリフィン公爵の悪事が明るみになったと思ったら、芋づる式でずるずると他の悪事とか悪党とかまでもが明るみになってしまった。通常の騎士団としての護衛や警備の他に、それらについても対応しなければならず、間近では長期の休みが取れそうにない。早くて半年後か?

 そんなわけで。
 二人が結婚したのも、あの後、つまりエレオノーラと十回目に会ったとき、そのまま彼女をフランシア家の屋敷に送り、結婚についての話をフランシア子爵と夫人へ伝えたところ、何も問題ないという快諾の一択。
 そして、彼女と十一回目に会ったときには、リガウン侯爵とその夫人に、つまりジルベルトの両親に結婚の相談をしたところ、どうせ式を挙げるための休みの調整なんかすぐにはできないのだから、さっさと申請してしまえ、ということで、そのまま教会に結婚申請書を提出する流れになってしまった。このとき、エレオノーラが本当のエレオノーラでジルベルトの両親と会ったとき、彼の母親は「まあ」と言いながら「やはり、あなたにはあなたの良いところがあるわね」とジルベルトと同じようなことを言っていた。

「そういうわけでして、この後、団長は第零騎士団から呼び出しがかかっております。団長も大変な相手とご結婚されましたね」

 サニエラの眼鏡は今日もキラリと光っている。

「そういうことは早く言え」

 淹れてもらったお茶に口をつける時間もなく、ジルベルトは「後を任せる」と言って席を立った。
 仕方なくサニエラは、飲まれなかったお茶を自分で飲むことにした。

 ジルベルトが向かった先は、この建物とは別の建物内にある第零騎士団団長室。ノックをしてそこに入ると、そこにはそれなりの人物がすでに待っていた。
 第零騎士団団長のショーン、諜報部部長のダニエルが並んで座っていて、その向かい側にいるのがエレオノーラ。そう、今日は見るからにエレオノーラなのだ。

「悪いな、呼び出して。まあ、座れ」
 とショーンに促されたのは、エレオノーラの隣の場所だった。ジルベルトが隣に座ると、彼女はこちらに顔を向けて、ニコリと笑う。うん、可愛い、とジルベルトは心の中で思った。

「まあ、それで、だな。とりあえずは、結婚おめでとう」

「ああ、ありがとう」

「それで、だな……」
 とショーンは相変わらず歯切れが悪い。

「何かあったのか?」
 仕方なくジルベルトが尋ねた。
 それに対しショーンは。
「何かあったのは俺たちではなく、お前たちの方ではないのか?」

「は?」

「いや、その、あれだな。エレオノーラの方からこういうものを渡されてな。それで、お前たちの結婚を聞いたわけだから、つまり、お前たちが親になるのかと思ってだな」

「は?」

「団長。私、妊娠してませんよ。まだジル様とは、十三回しかお会いしておりません。そして今日がその記念すべき十三回目です。ですから、そういうことは致しておりません」

「な、エレン。お前、まだしょ」

「お兄さま」

 ゴホンとわざとらしく咳払いして兄妹の会話を遮り、ジルベルトは口を開く。

「ショーン。まあ、何か誤解があったようだが。そういうことだ」

「だったら、なぜ彼女が退団願いを提出する? 普通はそう思うだろう? 新しい命を授かったから辞めたいって」

 呼び出されたのはやはり彼女の退団の件だったか、と思う。

「まあ。ついでに言うとだな。彼女の退団願いと私たちの結婚の件も関係ない。私は彼女に退団を薦めてもいないし、それについて止めてもいない。それは彼女の意思だ」

「エレン、なぜだ」
 腰を浮かして、目の前のテーブルに両手をついてダニエルが言った。「なぜ、騎士団を辞めたくなった?」

「私、諜報部として失格なのです」

「どこがだ?」

「だって、ジル様のことを本気で好きになってしまったので。本当は婚約者を演じるはずでした。ですが、いつの間にか」
 エレオノーラは両手で顔を覆った。

「おい、ジル。お前、自分の保身のために彼女を利用したわけではないよな」
 ショーンが言っているのは、以前サニエラが言っていた昇進の件だろう。

「ショーン団長。妹は思い込みが激しいのですよ。婚約者になったにも関わらず、それを信じられずにいたわけです」
 ダニエルがフォローし、浮かした腰を元に戻した。

「だって、ジル様は責任をとりたいとおっしゃったのです。そうしたら私も責任を持って婚約者を演じる必要がありますよね?」

 エレオノーラのそれを聞いて、ショーンは口を三角に開いてしまった。
「ジル、さっきは悪かった。お前に同情する。我が部下ながら、彼女はよくわからん、ということがよくわかった」

 ジルベルトは苦笑した。

「ショーン団長。私は彼女の兄ですが、妹のことはよくわかりませんよ」

 そうだな、とショーンは呟いた後。「エレオノーラ、よく聞きなさい。まずジルベルトとの婚約の件だが、それは騎士団の任務とは一切関係が無い。だから、君が婚約者を演じることができず、ジルベルトを本気で好きになったとしても、何も問題は無い、ということだ。わかるか?」

「なんとなく?」

「なんとなくでもわかったなら、それでいい。というわけで、これはこうしていいな?」

 ショーンはエレオノーラが提出した退団願いを、縦にビリッと破った。そしてそれらを重ねるとまたビリッと破り、四分割にされてしまう。

「エレオノーラ・リガウン。君は今までもこれからも、第零騎士団諜報部潜入班の所属だ。わかったね」

 はい、とエレオノーラは頷いた。それを見て、ショーンはやっと安心した。
エレオノーラの退団願いを総帥に提出したら、めちゃくちゃ怒られるのが目に見えているからだ。
「あぁ、良かった。これで安心だ。総帥、怒るとめちゃくちゃ怖いんだもん」
 とショーンが呟いたことに、他の三人は気付いていない。

「ところで、リガウン団長。妹と会うのが今日で十三回目というのはどういうことでしょうか。確か、十一回目で結婚申請書を提出して、十二回目は両親との食事会であったと記憶しております。それ以降、妹には会えていない、と?」

「まあ、あれだ。最近、なぜか忙しくて屋敷の方には全然顔を出せていない」

「つまり、リガウン団長と妹はすでに別居婚である、と?」

「不本意ながらそういうことだ」

 結局、結婚申請書を出したものの今まで変わらないんじゃないか、とダニエルは思った。変わったのはエレオノーラの気持ちくらいか?
 そう思って目の前の彼女に視線を向けると、幸せそうにジルベルトと笑い合っている。変わったのはエレオノーラだけでなく、この堅物もなんだろうなと思ったダニエルだった。
 第一騎士団団長のジルベルト・リガウンが、第零騎士団諜報部部長ダニエル・フランシアの妹、エレオノーラ・フランシアと結婚した、という話が騎士団の中を駆け巡ったのはほんの一月(ひとつき)程前。
 エレオノーラ・フランシアと言えば、学院にも通わずに卒業し、社交界にもほとんど参加していないという幻の令嬢。兄達が溺愛し過ぎて屋敷に閉じ込めているんじゃないか、とか、実は人前に出られない容姿なのではないか、とか。そんな噂もちらほらと。
 だが、ジルベルトが建国記念パーティに、まだ当時は婚約者であったエレオノーラを連れて出席した。そんな彼女は婚期を逃したジルベルトに似合うような落ち着いた女性であった、とも囁かれている。知的な感じがする美人であった、と。

 そして知的美人と囁かれている彼女は、口から大量のエクトプラズムを吐き出しているのではないかと思えるほど深くて長いため息をついた。

「まあ、エレン。浮かない顔をしてどうしたのかしら? 新しい部屋はお気に召さない?」

「いえ、そんなことありません。お義母さま。素敵なお部屋をありがとうございます。ただ」

「ただ?」

「一緒にいるべき人がいない、と言いますか。一応、新婚なはずなのに?」
 一般的には新婚に分類されるはずなのに、思わず疑問形になってしまった。

「まあ」

 エレオノーラはリガウン家のサロンで、彼の母と共にお茶を飲んでいた。

「それにお義母さま。私たち、いつになったら結婚式を挙げられるのでしょうか?」

「そうよねぇ」
 義母はゆっくりと口元にカップを運んだ。それを一口含み。「せめて、私が生きているうちにあなたたちの結婚式を挙げてもらえると嬉しいのだけれど」

「お義母さま。私、結婚してから、ジル様とはまだ二回しかお会いしていないのです。これもおかしいと思いませんか? 結婚して一月以上経つのに、二回ですよ。旦那さまと二回しか会えてないんですよ。しかもそのうちの一回は職場でお会いしただけです。別居婚だとしても、会えなさすぎだと思いませんか? しかも私がこちらに来てからは一度も会えていないのです。やはり、ジル様は私と結婚したことを後悔されているのでしょうか」

 うーん、と義母は頬杖をついた。息子がこの()にベタ惚れなのは、見ていれば誰だってわかる。むしろ見ている者が恥ずかしくなるくらいにあからさまだ。

「やはり、グリフィン公爵家の件よね」

 義母が呟いた。グリフィン公爵の悪事の数々。しかも前王の弟の子、という立場なだけあって政界も大混乱だ。五つある公爵家、そのうちの一つの失態。

「ですよね。みなさま、大変なんですよね。ですから、私のわがままでジル様にこちらに帰って来ていただきたいと思うのは、ダメですよね、きっと」

 それでは、私と仕事、どっちが大切なの? と迫るようなものじゃないか。そもそもの比較対象が間違っている、というものだ。
 でも、ジルベルトは働きすぎではないか、とも思う。立派に労働基準法違反だ。休みがない。帰ってくることもできない、つまり深夜残業もしている。一体、いつ休んでいるんだろう? それに残業手当や深夜勤務手当はついているのか? とか。そんなことまで考えてしまうエレオノーラ。寂しすぎて、脳内での考えが暴走しかけているようだ。

 うーん、と義母は頬杖をつく手をかえた。忙しいにしても、屋敷に帰って来ることができないくらい忙しいというのは、いかがなものか。できれば式を挙げるために二日くらい休みを取らせてもらえないのだろうか。

「そうよね。せめて、結婚式だけは早めに挙げたいわよね。まあ、こうなることがわかっていたから、さっさと申請書だけ出したっていうのもあるけれど」
 そこで、義母はちょっと温くなったお茶をすすった。

 こうなったら、騎士団の総帥に直談判することも考えていた。だが、一月以上会えていないと言う。むしろ、あの息子が我慢できるとは思えない。

 婚約期間中も、数回程度しか会っていないはずだが、それでも十日くらいに一回の割合で会えていたはずだ。何しろ、婚約申請書を提出してから百日後に結婚申請書を提出しているのだから。本人たちはそれには気付いていない。百日後に結婚する騎士かよ、と、義母は思っている。

 再び、義母が温めのお茶に口をつけようとしたときに、廊下のほうが騒がしいことに気付いた。人の足音が聞こえてくる。しかも勢いよく。廊下は静かに歩きなさい、とその場にいたなら間違いなく注意しているだろう。

 それはもう、不躾に、本当に不躾に扉が開かれた。こんな不躾な開け方をしてくる人物を、義母は二人しか知らない。一人は自分の夫。だが、今日は例のグリフィン公爵の件で王宮に呼び出されていた。年の功というやつで、騎士団を引退しているにも関わらず呼び出されてしまった。仮に彼が帰ってきたとしても、今日の今日でこのような開け方はしない。ということは、もう一人の心当たり。
 息子のジルベルトしかいない。
「エレン。元気だったか」
 やはりその扉を不躾に開けたのは騎士服姿のジルベルトであった。後ろに執事のトムが「坊ちゃん、困ります」とか言って、慌てている。

「お帰りなさい、ジル様。お出迎えせずに申し訳ありません」
 エレオノーラがすっと立ち上がると、ジルベルトはずかずかと近づいてきて、彼女を両手で抱きしめた。
「会いたかった」

 首元に顔を埋められ、さらに耳元でそんなことを囁かれたのであれば、エレオノーラの顔もみるみるうちに茹で上がる。

「私も、ジル様にお会いしたかったです」
 とエレオノーラが言ったら、さらに彼女を抱きしめる腕に力が入った。

「ああ、母上。いらしたのですね」
 エレオノーラを抱きしめながら、そのようなことを口にするジルベルト。視線だけを母親に向けている。

「ええ、いましたよ。あなたが来るずいぶんと前からエレンと一緒にね。そう、彼女がこの屋敷で暮らし始めてからというもの、一日の大半は彼女と一緒にいますけどね」

 どうだ、と胸を張って自慢している。

「でしたら今は、エレンは私が連れて行っても問題はありませんね」

「いいえ、私との話が終わっておりません」

「一日の大半を彼女と過ごしているあなたなのですから、少しくらいは私に譲ってくださってもよろしいのでは? こちらは一月ぶりに会えたのです」

「あの、ジル様……」
 そこでエレオノーラは口を挟んだ。「苦しいです」

 その一言でジルベルトはぱっと両手を離した。
「すまん。つい」

「いえ。その、嬉しいのは嬉しいですから」
 右手の人差し指を口元に当てて、照れながら笑うエレオノーラ。この仕草も可愛らしくて、また抱きしめたくなる衝動に駆られる。

「まったく、少しお茶でも飲んで落ち着いたらどうなの?」

 侍女は状況を察し、さっとお茶を淹れる。ジルベルトは、エレオノーラを座らせ、自分はその隣の席に座った。

「思ったより、早いお帰りでしたのね」
 湯気の立つカップを手にして、母親が言った。

「ええ。今回の件には父たちにも応援を頼むこととなりました。通常の騎士団のメンバーだけでは人員と経験が足りないという総帥の判断になります」

「そう、よかったわね。てっきり、あなたが暴れて勝手に帰ってきたのかと思ったわ」
 義母の呟きがあながち嘘では無かったことを、あとでエレオノーラは知ることとなる。

「さらに総帥が、私たちの結婚式のことを気遣ってくださり、三日程度であれば続けて休みをもらえることになりました。式はいつ頃挙げればよろしいでしょうか。その、準備とかもありますでしょうから」

「準備って。あなたは大した準備はないでしょう? エレンの方は、いつでも式が挙げられるようにと、粗方準備は終わっております。ドレスもね」

 ドレスと言う言葉が出た時に、口にカップをつけていたジルベルトの右眉がピクリと反応した。
 それを見た母親は、この息子が考えていることが手に取るようにわかった。

「そうね。せっかくあなたもお休みが取れるというのであれば、早い方がいいですね。では、半月後にいたしましょう。半月あれば準備は間に合います。式は教会で。その後、お披露目のパーティですね。半月しかありませんから、招待客は身内で良いですね」
 腕が鳴るわ、と母親は喜んでいる。

「では、母上。お茶もいただいたことですし、必要な話も終わりました。エレンをお借りしても?」

「仕方ないわね。今は譲りましょう」
 母親は妖艶な笑みを浮かべた。熟女の笑みというのも色っぽい。

「エレン」
 ジルベルトがさっと手を差し出した。それに自分の手を重ね、立ち上がると、いきなりジルベルトに横抱きにされてしまう。

「あの、ジル様。私、自分で歩くことができますが?」

「私がこうしたいと思ったのだ」

「ええと、お義母さま?」
 視線で助けを求めてみたが、その目はあきらめなさい、と言っていた。義母にあきらめなさいと言われたらあきらめるしかない。エレンは素直に両手をジルベルトの首元に回した。

「では、夕食までエレンを借ります」

 はいはい、と義母は右手を振っていた。

 エレオノーラはどこまで連れていかれるのかと思っていた。間違いなくジルベルトの部屋なのだが。

「あ、ジル様」

 ジルベルトが自室の扉を開けると、そこには何もなかった。ただの空き部屋。

「ジル様。お部屋がかわったのです。その、私が嫁いできましたので」
 嫁ぐという言葉を自分で言って恥ずかしくなる。

「では、私の部屋はどちらに?」

「ええと、ジル様のお部屋というよりは、私たちのお部屋、ですかね?」
 エレオノーラのその言葉に、ジルベルトは立ち止まった。

「私たちの部屋、だと?」

「はい。私とジル様は結婚しましたので、同じ部屋で、とお義母さまがおっしゃっておりました。とても素敵な部屋なのです。ここを真っすぐ行ってください」
 エレオノーラが口で案内をする。ジルベルトにはこの部屋の場所に覚えがあった。昔の両親の部屋ではないか。ということは。
 ジルベルトはエレオノーラを抱いたまま、部屋へと入った。
 案の定、寝台は一つだった。
 エレオノーラをゆっくりとソファにおろした。そして、ジルベルトはなぜか部屋を出て行った。
「ジル様?」
 再びジルベルトが戻ってきたのは、それから十分後のことだった。その間、エレオノーラは行儀よくソファに座って待っていたのだが、彼が戻ってこなかったらどうしよう、という不安もあった。
「ジル様、どうかなされたのですか?」

 目の前に立つジルベルトを見上げる。

「いや、まあ。どうもしていない。隣に座ってもいいか?」

「はい」

 エレオノーラは嬉しそうに微笑んだ。

「ジル様とこうやって二人きりでお話をするのは、あの十回目にお会いして以来ですね」

「そうだな」

「ジル様。お仕事がお忙しいのですよね。その、グリフィン公爵の件で」

「そうだな」

「ジル様」

「そうだな」

「ジル様。私の話を聞いておりますか?」

「そうだな」

「つまり、聞いていないってことですね。もう、いいです」
 エレオノーラがすっと立ち上がると、ジルベルトは事に気付いたらしい。思わず彼女の左手を掴んでしまった。そして、その手を引っ張るとエレオノーラはジルベルトの
胸元に倒れ込む形となった。

「ジル様」
 エレオノーラはジルベルトを見上げた。

「すまない。久しぶりに会えて、嬉しくてどうしたらいいかがわからない。それにこんなものを見せられて、冷静でいられるわけもない」

 ジルベルトの言うこんなものとは、一つしかない寝台のことだろう。

「あの、ジル様。私たちは一応、書類上は夫婦ですから、そんなことになっても問題ないかと思うのですが」

「いや、ダメだ。まだ式を挙げていない。あなたにウェディングドレスを着てもらうまでは我慢すると決めている」

「そう、なんですね?」

「それに明日も仕事だ。その、そんなことになってしまったら、明日の朝は寝台から出たくなくなる」

「やはり、グリフィン公爵の件が?」

「ああ。陛下の従兄弟ということもあり、寛大な処分を望む声と、今までの悪事の数々から厳罰な処分を望む声とで二分割しているのも問題だ」

「公爵家のほうはどうなるのですか?」

「それも問題にあがっているのだが。誰か適当な人を見繕うか、その領地を国の方で預かるかという話が出ていて、これも話しがまとまらん」

「でも、その辺の話って騎士団の仕事ではないですよね。大臣たちに頑張ってもらわないと」

「まあな。だが、実際の悪人の取り調べなどは騎士団が受け持つからな。それが、なかなか終わらん。一度報告をあげても、追加であれも確認しろ、これも確認しろと。だったら、最初から言え、と言いたくなる」
 そこでエレオノーラが笑みをこぼした。「ジル様でもそんなことをおっしゃるのですね」

 ジルベルトはエレオノーラを抱き上げると、自分の膝の上に座らせた。

「話をするにはこの方がいいだろう」
 とわけのわからない理由を言うジルベルト。「エレンは、ここに来てからどのようなことをして過ごしているのだ?」

「そうですね。最近は第零に呼ばれることが少ないので、朝起きたら、二時間程度稽古しています」

「二時間?」

「あの、ジル様。お忘れかもしれませんが、私も騎士ですので。自宅待機のときは自宅で稽古しているのですよ」

「まあ、それはそうだが。その後は?」

「朝食をいただいて、お義母さまからいろいろと教えていただいたり、こちらのことを勉強したりしております。それから昼食の前にも少しだけ稽古をしまして」

「稽古?」

「はい、たまにお義父さまも付き合ってくださいますので」

「そうか」
 ジルベルトはエレオノーラの稽古姿を見たことがない。しかもそれに父親が付き合っているとなると、得体の知れない黒いもやっとした感情が腹の底から沸き起こってくる。なんとも言えない感情。

「お昼ご飯をいただいたら、翻訳の仕事だったり、お義母さまと一緒に刺繍をしたりとか。そのような感じで過ごしております。お義母さまもお義父さまも、とても良くしてくださっています」

「そうか」

「ただ……」

「ただ?」

「やはり、ジル様にお会いできないのが寂しいのです。最近は、私の方の任務も無く、自宅待機ですし」

 エレオノーラが自宅待機になっているのは、例の退団願い騒ぎがあってから、少し休ませるべきではないかという第零騎士団団長の心遣いでもあるのだが、それが少し裏目に出ているようだ。

「まあ、第零のほうも混乱しているようだしな」

「でも、その中でよく、ジル様は三日もお休みが取れましたね」

「うん、まあ。そうだな」
 ジルベルトが言葉を濁したため、エレオノーラは首を傾けた。

 約束の半月後。
 雲一つない青空の下、真っ白いウェディングドレスを纏うエレオノーラと、真っ白い式典用の騎士服に身を包むジルベルトが腕を組んで幸せそうにフラワーシャワーの中を歩いていた。エレオノーラのメイクは落ち着いたジルベルトに似合うような、いつもの知的美人だ。
 参列者の顔を見れば、ほとんどが騎士団の見知った顔。例のグリフィン公爵の件は、年の功が勝ったのか五日ほど前に片が付いたらしい。それに翻弄された第零騎士団、第一騎士団の面々は、順番で長い休暇を取れることになった。そこに合わせたかのような二人の結婚式。

 エレオノーラがブーケを投げると、一人の女性がそれを見事にキャッチした。ウェンディだ。彼女の後ろには兄のダニエルが控えている。順番的にいったら、この二人の結婚が先だったはずなのに、と思っていただけに、彼女がそれを受け取ったことが嬉しい。
 エレオノーラが笑いかけると、ウェンディも微笑み返してくれた。

 エレオノーラにとっては一生忘れることのできない結婚式となった。

 もちろん、結婚した後もエレオノーラは第零騎士団に所属を続けている。人妻となってもその変装はやめない。
 さて、彼女の次の潜入先はどこになるのやら――。

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