「団長、ご結婚おめでとうございます」

 お茶をコトリと執務席の机の上に置きながら、副団長であるサニエラから事務的に声をかけられた。

「ああ、ありがとう」

「それで、式はいつ頃行う予定ですか?」

「それを今、考えている」

 グリフィン公爵の悪事が明るみになったと思ったら、芋づる式でずるずると他の悪事とか悪党とかまでもが明るみになってしまった。通常の騎士団としての護衛や警備の他に、それらについても対応しなければならず、間近では長期の休みが取れそうにない。早くて半年後か?

 そんなわけで。
 二人が結婚したのも、あの後、つまりエレオノーラと十回目に会ったとき、そのまま彼女をフランシア家の屋敷に送り、結婚についての話をフランシア子爵と夫人へ伝えたところ、何も問題ないという快諾の一択。
 そして、彼女と十一回目に会ったときには、リガウン侯爵とその夫人に、つまりジルベルトの両親に結婚の相談をしたところ、どうせ式を挙げるための休みの調整なんかすぐにはできないのだから、さっさと申請してしまえ、ということで、そのまま教会に結婚申請書を提出する流れになってしまった。このとき、エレオノーラが本当のエレオノーラでジルベルトの両親と会ったとき、彼の母親は「まあ」と言いながら「やはり、あなたにはあなたの良いところがあるわね」とジルベルトと同じようなことを言っていた。

「そういうわけでして、この後、団長は第零騎士団から呼び出しがかかっております。団長も大変な相手とご結婚されましたね」

 サニエラの眼鏡は今日もキラリと光っている。

「そういうことは早く言え」

 淹れてもらったお茶に口をつける時間もなく、ジルベルトは「後を任せる」と言って席を立った。
 仕方なくサニエラは、飲まれなかったお茶を自分で飲むことにした。

 ジルベルトが向かった先は、この建物とは別の建物内にある第零騎士団団長室。ノックをしてそこに入ると、そこにはそれなりの人物がすでに待っていた。
 第零騎士団団長のショーン、諜報部部長のダニエルが並んで座っていて、その向かい側にいるのがエレオノーラ。そう、今日は見るからにエレオノーラなのだ。

「悪いな、呼び出して。まあ、座れ」
 とショーンに促されたのは、エレオノーラの隣の場所だった。ジルベルトが隣に座ると、彼女はこちらに顔を向けて、ニコリと笑う。うん、可愛い、とジルベルトは心の中で思った。

「まあ、それで、だな。とりあえずは、結婚おめでとう」

「ああ、ありがとう」

「それで、だな……」
 とショーンは相変わらず歯切れが悪い。

「何かあったのか?」
 仕方なくジルベルトが尋ねた。
 それに対しショーンは。
「何かあったのは俺たちではなく、お前たちの方ではないのか?」

「は?」

「いや、その、あれだな。エレオノーラの方からこういうものを渡されてな。それで、お前たちの結婚を聞いたわけだから、つまり、お前たちが親になるのかと思ってだな」

「は?」

「団長。私、妊娠してませんよ。まだジル様とは、十三回しかお会いしておりません。そして今日がその記念すべき十三回目です。ですから、そういうことは致しておりません」

「な、エレン。お前、まだしょ」

「お兄さま」

 ゴホンとわざとらしく咳払いして兄妹の会話を遮り、ジルベルトは口を開く。

「ショーン。まあ、何か誤解があったようだが。そういうことだ」

「だったら、なぜ彼女が退団願いを提出する? 普通はそう思うだろう? 新しい命を授かったから辞めたいって」

 呼び出されたのはやはり彼女の退団の件だったか、と思う。

「まあ。ついでに言うとだな。彼女の退団願いと私たちの結婚の件も関係ない。私は彼女に退団を薦めてもいないし、それについて止めてもいない。それは彼女の意思だ」

「エレン、なぜだ」
 腰を浮かして、目の前のテーブルに両手をついてダニエルが言った。「なぜ、騎士団を辞めたくなった?」

「私、諜報部として失格なのです」

「どこがだ?」

「だって、ジル様のことを本気で好きになってしまったので。本当は婚約者を演じるはずでした。ですが、いつの間にか」
 エレオノーラは両手で顔を覆った。

「おい、ジル。お前、自分の保身のために彼女を利用したわけではないよな」
 ショーンが言っているのは、以前サニエラが言っていた昇進の件だろう。

「ショーン団長。妹は思い込みが激しいのですよ。婚約者になったにも関わらず、それを信じられずにいたわけです」
 ダニエルがフォローし、浮かした腰を元に戻した。

「だって、ジル様は責任をとりたいとおっしゃったのです。そうしたら私も責任を持って婚約者を演じる必要がありますよね?」

 エレオノーラのそれを聞いて、ショーンは口を三角に開いてしまった。
「ジル、さっきは悪かった。お前に同情する。我が部下ながら、彼女はよくわからん、ということがよくわかった」

 ジルベルトは苦笑した。

「ショーン団長。私は彼女の兄ですが、妹のことはよくわかりませんよ」

 そうだな、とショーンは呟いた後。「エレオノーラ、よく聞きなさい。まずジルベルトとの婚約の件だが、それは騎士団の任務とは一切関係が無い。だから、君が婚約者を演じることができず、ジルベルトを本気で好きになったとしても、何も問題は無い、ということだ。わかるか?」

「なんとなく?」

「なんとなくでもわかったなら、それでいい。というわけで、これはこうしていいな?」

 ショーンはエレオノーラが提出した退団願いを、縦にビリッと破った。そしてそれらを重ねるとまたビリッと破り、四分割にされてしまう。

「エレオノーラ・リガウン。君は今までもこれからも、第零騎士団諜報部潜入班の所属だ。わかったね」

 はい、とエレオノーラは頷いた。それを見て、ショーンはやっと安心した。
エレオノーラの退団願いを総帥に提出したら、めちゃくちゃ怒られるのが目に見えているからだ。
「あぁ、良かった。これで安心だ。総帥、怒るとめちゃくちゃ怖いんだもん」
 とショーンが呟いたことに、他の三人は気付いていない。

「ところで、リガウン団長。妹と会うのが今日で十三回目というのはどういうことでしょうか。確か、十一回目で結婚申請書を提出して、十二回目は両親との食事会であったと記憶しております。それ以降、妹には会えていない、と?」

「まあ、あれだ。最近、なぜか忙しくて屋敷の方には全然顔を出せていない」

「つまり、リガウン団長と妹はすでに別居婚である、と?」

「不本意ながらそういうことだ」

 結局、結婚申請書を出したものの今まで変わらないんじゃないか、とダニエルは思った。変わったのはエレオノーラの気持ちくらいか?
 そう思って目の前の彼女に視線を向けると、幸せそうにジルベルトと笑い合っている。変わったのはエレオノーラだけでなく、この堅物もなんだろうなと思ったダニエルだった。