アンディの足の上には女の頭がある。だが残念ながら愛するマリーの頭では無い。そのマリーは向かい側に座っている。

「意外と、ちょろかったわね」
 深緑色のドレスを身に着けているマリー。今日もその豊満な胸と、細い太ももが露わになるようなドレス。

「当て身をくらわせただけで気絶とは、さすがお嬢様だな」
 騎士団の騎士服に身を包むアンディ。彼の足の上で眠っている女性は、ジルベルトの婚約者であるエレオノーラと思われる女性だった。

「だが、マリーの言った通りだったな。第零騎士団を名乗れば、この女をすんなり手渡してくれるって」

「でしょ?」
 足を組んで腕を組んでいるその姿は自信に溢れている。「ところで、フランシア家の方は?」

「ああ、仲間をやった。今頃それを見て、事の重大さにでも気づいている頃ではないか?」
 アンディの仲間がフランシア家に脅迫状を置いてくる手筈になっている。それの通りに事が運ぶとしたら、あと二時間後にはジルベルトとの決着がついているだろう。

「とりあえず、打っておくか?」

「誰もいないところでやっても面白くないでしょう? あの団長が来てから、彼の目の前で打ちなさいよ。自分の婚約者が堕ちていくところ、見せつけてやるのよ」

 マリーの冷たい視線が、彼女に突き刺さっていた。ふっと、アンディは鼻で笑った。あのマリーをここまでイラついているのも珍しい。それだけこの女性が嫌いなのだろうか。

 馬車が向かった先は、港にある廃倉庫が並ぶ一角。その廃倉庫のうちの一つがアンディたちのアジトだった。
 気を失っている彼女をその倉庫に運び入れ、固い床の上に転がした。両手は背中で縛り、両足もしっかりと縛り上げている。倉庫の床は冷たいコンクリートが敷き詰められたもの。そこに縛られたエレオノーラと思われる女性が横たわっている。
 マリーは彼女の顎に手を当て、その顔を覗き込んだ。まだ気を失っているからか、その目を開けることは無い。

「ふん、つまらないわね」

「マリー。私は少し仲間たちと周辺を見回ってくるが、この女の見張りを頼んでもいいか?」

「ええ」
 マリーは頷くと、どこからか椅子を引っ張り出してきてエレオノーラと思われる女性の頭の脇にそれを置いた。彼女を見下ろす形でそこに座る。

 アンディの仲間は、彼をいれて五人。少数精鋭とは言ったものだ。そこから、根を張らせて他の者へのルートを築き上げているようだが、この五人と結びつくような痕跡は一切残していない。
 彼女を助けに来るのは、ジルベルトとダニエルの二人になるだろう。他の二人の兄は、戦闘向きではないはず。そうなると、人数的な割合からいってもアンディたちのほうが有利になるはず。

「う、ん……」

 足元で転がっている彼女が気づいたようだ。

「あら、やっと気が付いたようね」

「あなたが?」

「解いてあげたいのはやまやまだけど、あなたの婚約者が来るまで待っていてちょうだい」
 足を組み、その長くて細い足を見せつけて、マリーは妖艶に笑んだ。こうやって彼女を見下ろすのも悪くはない。

 複数の足音が聞こえてきた。そろそろ彼らがやって来たのだろう。

「おい、マリー。あいつらが来たぞ」

 アンディは息を弾ませ、楽しそうに言った。

「そう」
 マリーは椅子をきしませて、ゆっくりと立ち上がる。
「あなたも一緒に来てちょうだいね」
 マリーは彼女の顎を掴んでそう言うと、乱暴に突き放した。足を結んでいた縄だけは解いてやる。彼女が逃げられないように、マリーは後ろに縛った手をしっかりと押さえていた。

「エレン」
 彼女を連れて部屋を移動すると、そこには案の定、騎士団の服に身を包む男が二人。第一騎士団団長ジルベルトと、第零騎士団諜報部部長のダニエル。エレオノーラにとっては馴染みの深い二人。

「彼女に何をした」
 百八十を超える長身、さらに今日も髪型はオールバック。そんな迫力ある彼が、低い声で言い放つ。
 マリーはにたりと笑みを浮かべたまま答えない。あの男の浮かべる苦悩の表情が面白い。いつまでも、それを見ていたい。

「彼女に何をした、と聞いているんだ」
 普段のジルベルトからは想像できない声だった。いや、騎士としての彼はそうなのかもしれない。だが、エレオノーラはそのような彼を見たことが無い。

「まだ、何もしていないわよ。まだ、ね」
 顔を傾けて、マリーは答えた。マリーは左手で彼女の腕をしっかりと掴んでその背後に立っている。空いている右手で、彼女の首元を狙うことも可能だ。

「お前たちの狙いは何だ?」

「あら? お前たち、ですって?」
 マリーはもう一度首を傾けた。何を言っているのか、この人はという感じに。

「ここにいるのがお前一人だけではないことくらい、気付いている。彼女をさらったのは別な人間だろう」

「まあ。気付いていたのね」
 ふふ、っとマリーは艶やかに笑んだ。
「気付かれているみたいよ、アンディ」

「やっぱり、黒幕の登場はもったいつけないといけないだろう?」
 アンディがゆっくりと姿を現すと、マリーの腰を抱く。

「アンドリュー・グリフィン公爵……」
 ジルベルトがその名を呟いた。彼とは確か建国記念パーティで挨拶を交わしたはず。

「やはり、グリフィン公爵が黒幕だったのか」
 ダニエルは誰にも聞こえないように呟いたつもりだったが、しっかりとジルベルトの耳には届いていた。

「グリフィン公爵。妹を解放していただきたい」
 ダニエルは一歩前に出た。

「妹? そうか、君が第零騎士団か。彼女は第零騎士団をつぶすにも都合のいい人物というわけだ」

「グリフィン公爵は何をお望みか?」
 多分、こういった交渉術はジルベルトよりもダニエルの方が向いているのだろう。

「望み? それは君たちが私を見逃してくれること、だろうね」

「それは、なかなか難しい交渉だな」
 ダニエルは左手の手のひらを上に向けて、肩をすくめてみた。

「そう言うだろう、と思っていた。私たちも最初から期待はしていないさ。ね、マリー」
 グリフィン公爵は相棒の名を優しく呼んだ。名を呼ばれた彼女は、どこかに隠し持っていた一本の注射器を手にしていた。

「これが何かわかるかしら?」
 その注射器を見せつけて、マリーは口の端を持ち上げた。