あの遠乗り以降、急激にジルベルトとの仲が近くなっているような気がする。と言っても婚約者同士でありながら、簡単に会えるような関係でも無い。エレオノーラは、最近では騎士団の建物へ通うことは減り、屋敷での仕事が多くなった。つまり、あれだ。前世かそのまた前世かで一時期流行った在宅勤務という奴だ。
 だからか、なおさらジルベルトと会う機会が減ってしまった。あのデート以降会えていない、というのが現実。
 だが、婚約者を演じているだけなのに、会いたいと思う気持ちはいかがなものなのか、とエレオノーラ自身悩んでいるところもあるのだが。これでは婚約者を演じ切れていないのではないか。と。

「妹よ、元気にしていたか」

「ダンお兄さま、どうかされましたか?」

 エレオノーラは今日も翻訳の仕事に励んでいた。騎士団の方の仕事と程遠くなってきているようにも感じる。だが、第零騎士団の方の仕事は不定期であるし、忙しい時は忙しいが、暇なときはめちゃくちゃ暇。ほとんどが自宅待機になる。そんな自宅待機の合間に行っているのが翻訳の仕事、つまりダブルワークだと思えばいいのかもしれない。

 ダニエルはソファにゆっくりと腰をおろした。パメラが手早くお茶の準備をする。エレオノーラは立ち上がって、ダニエルの向かい側に座った。

「わざわざ私の部屋にまで足を運ぶなんて、何かありましたか?」

「エレン。お前は、リガウン団長とうまくいっているってことでいいんだよな?」

 聞かれている意味がわからなかった。

「はい?」

「そろそろ、結婚の話とか、出ているのか?」

「はいいい?」
 思わず語尾を強めてしまった。「私とジル様は、結婚するのでしょうか?」

 エレオノーラのその問いに、ダニエルはガクッとうな垂れた。
「婚約したのなら、いずれは結婚するのではないか?」
 ダニエルは言いながらも少しむなしくなった。
 第零騎士団の諜報部潜入班としては優秀な部下である。だが、一人の女性として、恋愛方面についてはかなり音痴なのではないだろうか。いまだにジルベルトの婚約者を演じているという表現をしている辺りで嫌な予感はしていたのだが、その嫌な予感は的中した、ということだ。兄として、妹の幸せを願っている。その妹を幸せにしてくれそうな男がジルベルトだというのに。

「ですが、お兄さまとウェンディも婚約してから長いですよね。いまだに結婚されていないですよね。お兄さまたちが結婚しないと、私たちも結婚できないのではないですか? その、順番的に」

「順番的にと言われたらそうかもしれないが。だが、リガウン団長が今すぐにでもお前と結婚したいと言ったら、その順番に縛られる必要は無い」

「もしかして、ジル様がそんなことをおっしゃったのですか?」
 エレオノーラは恐る恐る尋ねた。責任を取って妻に娶りたいと言われ、婚約者となってみたものの、本当にジルベルトの妻になっていいものなのか、というのは心のどこかで悩んでいた。不安、とも言う。

「いや、言っていない」
 そこでダニエルはカップに口をつけた。

「でしたら、お兄さま。なぜ、そのようなことを?」

「早かれ遅かれ、リガウン団長はそんなことを言うだろうなと思っただけだ」

「お兄さまは予言者なのですか?」

「は?」

「どうしてジル様がそんなことを言い出すとお分かりになるのですか? 私とジル様は、まだ数回しかお会いしていないのですよ」

 数回、と言われ、ダニエルはエレオノーラがジルベルトと会った回数を思い出してみた。
 最初の任務のとき、挨拶にきたとき、婚約を決めたとき、第零騎士団団長に呼び出されたとき、一緒に食事をしたとき、陛下に呼び出されたとき、我が家に押しかけて来た時、建国パーティに出席したとき、そして二人でデートと思われるお出かけをしたとき。
 本当に数えられてしまう回数であった。しかも自分が婚約者と出会った回数ではなく、なぜ妹とその婚約者の出会いの回数を数えているのか、という情けない気持ちにもなる。

「辛うじて数回だな。もう少しで十回を超えそうだ。よかったじゃないか」
 そこでダニエルは、一通の封筒を胸元から出してきた。
「十回目だ」

 テーブルの上に置かれた封筒を、エレオノーラは手に取った。
「開けてもよろしいのですか?」

「もちろんだ」
 封筒にはリガウン侯爵家の押印がされてある。
 パメラがナイフを手渡してくれた。それを受け取り、封を切る。

「リガウン団長が、お前を芝居に誘いたいと言っていてな。それで、チケットを手配してくれたらしい」

「これ。今、一番人気のあるお芝居ですね」

「そうらしいな」

「楽しみです」
 エレオノーラの頬が少し桃色に染まる。

「と、返事をしておけばいいな?」

「はい」
 彼女のその返事に、ダニエルは満足そうに頷いた。

 楽しみができると仕事ははかどるもので、エレオノーラは翻訳に精を出し、ジルベルトは騎士団の任務に励んでいた。ときおりサニエラから「気持ち悪いですね」という苦情が入るくらい、ジルベルトは思い出したように口元を歪め、書類に目を通し、勢いよく押印していた。
 つまり、お互いがお互いに浮かれていたのだ。その浮かれた結果が招いた悲劇だとしか言いようがない。

「エレンがいなくなった」
 と血相を変えたジルベルトがフランシア家の屋敷に飛び込んできたのは、その芝居が終わってからのことだった。

 ジルベルトは馬車でエレオノーラを屋敷まで送る予定だった。だが、途中で馬車を止められた。何事かと思い外に出ると、どうやら御者が騎士と話をしていた。
「私が話そう」とジルベルトが代わると、その騎士たちは第零騎士団を名乗った。ダニエルの命令によって、エレオノーラを迎えに来た、と。ダニエルの名が出て安心してしまったのだろう。ジルベルトはそちらの馬車にエレオノーラを預けてしまった。
 一人になってみると冷静になるものだ。はて、第零騎士団が迎えにくるのはおかしくないか? そもそも、きちんと彼らの身分を確認したのか? あの馬車の家紋はどうだった?
 慌てて馬車から飛び降りると、エレオノーラを乗せた馬車は彼女の屋敷とは反対方向に走り去った後だった。
「あれを追ってくれ」
 急いで御者に命じて、エレオノーラを乗せた馬車を追ったのだが、すぐに「見失ってしまいました」という声を聞くこととなった。