いつものバーにマリーはいなかった。たいていアンディが足を運ぶと、マリーはカウンターで一人、グラスを傾けているというのに。
「今日は、マリーは来ていないのか?」
いつもの、と頼む前に尋ねてしまった。
「そのようですね」
バーテンダーはグラスを拭きながら、表情を変えずに答えた。
「いつものを頼む」
アンディはそう言い、つまらなさそうにカウンターの上に右肘をついて、その手の上に顎を乗せた。
カランカランと音を立てて扉が開くたびに、マリーが姿を現すのではないかと思って、ついつい顔を向けてしまう。だが、現れたのは別な女性だった。
それを三度繰り返した時。
「あら、アンディ。今日は早いのね」
紫色のドレスを身に纏ったマリーがやっと現れた。今日のドレスも彼女の魅力をより輝かせている。その紫色という色合いもそうであるが、胸元が広く開いたそれは彼女とすれ違う男どもを虜にするし、太ももまでスリットの入っているそれも、すれ違う前の男たちを釘付けにする。
「マリー。君は相変わらず素敵だ」
声を出さずに笑みだけを浮かべ、そして首を傾ける仕草も色っぽい。いや、マリーは存在そのものが色っぽいのだが、とにかく、彼女のそんな仕草の一つ一つがアンディを魅了してくる。
「いつもの、お願いね」
カウンター向こうのバーテンダーに声をかけると、彼は黙っていつものオレンジ色の液体を差し出した。
「奥、空いているかしら?」
彼女のそれに、バーテンダーは無言で頷く。「アンディ、場所を変えましょう」
マリーはオレンジ色が注がれているグラスを手にして、奥のボックス席へと向かう。アンディもその後ろについていくが、目の前の紫色のお尻の動きについつい目を奪われてしまう。
「アンディ。あなた、本当に騎士団の団長に手を出すつもりがあるのかしら?」
座るや否や、マリーの口から出てきた言葉はそれだった。
「どういう意味だ?」
「言葉の通りだけれど」
そこで彼女は足を組む。上にした右側のスリットが、アンディを誘っているようにも見える。
「あなたが、本当にあの団長に手を出すつもりがあるなら、私はとっておきの情報を教えてあげるわ」
「とっておきの情報、だと?」
「ええ」
そこでオレンジ色の液体に口をつけた。「どうする?」
グラスに浮いている氷を指でチョンチョンと押し付けながら、アンディは考えた。
あの第一騎士団の団長、ジルベルト・リガウン。自分が仕事をこなすためには邪魔な存在ではある。あいつが団長になってからの警備体制はより強化され、自分の仲間たちも捕まったり、仕事が失敗したりしているのも事実。だが、それが程よいスパイスになっていて、仕事にやりがいを与えているのも事実。
「やるか」
独り言のように呟いたのに、それはマリーの耳にも届いていたらしい。ふふっと笑んで、さすがね、と言う。
「だったら、あなたにはこれを差し上げるわ」
一枚の紙切れ。つまり、メモ。それに目を落とすと、日時と場所が書いてある。そのほかに書いてあるのは、何かのタイトルだろうか。
「これは?」
「あの堅物。よっぽど婚約者と二人で出掛けたいのね。その日のその時間のその演目の芝居のチケットを取ったらしいわ」
だからか、どこかで見たことのあるタイトルだと思ったのは。これは婦女子が騒いでいる芝居のタイトルではないか。
「それの帰り道。婚約者が一人になったところを狙えばいいのよ」
マリーが手にしていたグラスの氷が鳴った。グラスは汗をかき始めたようだ。
「だが、あの堅物が屋敷まで送り届けるのではないか?」
「そうね。だから、屋敷の手前で偽の迎えを出すのよ」
「どうやって?」
ふう、とマリーは大きくため息をついた。「少しくらい、自分で考えたら?」
冷たい視線だった。今までこのような視線を彼女から向けられたことはあっただろうか。否。
考えを悟られないように、アンディはグラスに口をつけた。
「仕方ないわね、今回だけよ」
マリーの視線が和らいだ。
「芝居を観終わり、帰るところ見計らって彼らの馬車を止めなさい。そして、第零騎士団を名乗って、婚約者をこちらの馬車に乗せるのよ」
「なぜ、第零を名乗る必要がある?」
「あの婚約者の兄が第零だからよ。きっとあの堅物も兄からの迎えの馬車であると思うでしょうね」
「なるほど」
「彼女をこちらの馬車に乗せてしまえばこちらのものよね?」
そうだな、とアンディは頷いた。
「ねえ、アンディ?」
マリーは首を傾けて、その頭を彼の肩の上に乗せた。「私があなたのものになったら、刺激のある生活を約束してくれるのよね?」
そのまま上目遣いで彼を見る。
「ああ、もちろんだ」
「そう」
マリーは呟くと、その肩から頭を離した。グラスを手にしている右手の肘を左手で押さえ、何やら考えている様子。そのままグラスに口をつけ、一口、オレンジを含む。そしてゆっくりと、グラスをテーブルの上に置くと。
「あなたがあの堅物をやった日には、あなたの女になってあげるわ」
マリーは右手の人差し指でくるくると宙に円を描いた後、それをアンディの口元に当てた。アンディは舌を出して、その指をペロリと舐めた。
「今日は、マリーは来ていないのか?」
いつもの、と頼む前に尋ねてしまった。
「そのようですね」
バーテンダーはグラスを拭きながら、表情を変えずに答えた。
「いつものを頼む」
アンディはそう言い、つまらなさそうにカウンターの上に右肘をついて、その手の上に顎を乗せた。
カランカランと音を立てて扉が開くたびに、マリーが姿を現すのではないかと思って、ついつい顔を向けてしまう。だが、現れたのは別な女性だった。
それを三度繰り返した時。
「あら、アンディ。今日は早いのね」
紫色のドレスを身に纏ったマリーがやっと現れた。今日のドレスも彼女の魅力をより輝かせている。その紫色という色合いもそうであるが、胸元が広く開いたそれは彼女とすれ違う男どもを虜にするし、太ももまでスリットの入っているそれも、すれ違う前の男たちを釘付けにする。
「マリー。君は相変わらず素敵だ」
声を出さずに笑みだけを浮かべ、そして首を傾ける仕草も色っぽい。いや、マリーは存在そのものが色っぽいのだが、とにかく、彼女のそんな仕草の一つ一つがアンディを魅了してくる。
「いつもの、お願いね」
カウンター向こうのバーテンダーに声をかけると、彼は黙っていつものオレンジ色の液体を差し出した。
「奥、空いているかしら?」
彼女のそれに、バーテンダーは無言で頷く。「アンディ、場所を変えましょう」
マリーはオレンジ色が注がれているグラスを手にして、奥のボックス席へと向かう。アンディもその後ろについていくが、目の前の紫色のお尻の動きについつい目を奪われてしまう。
「アンディ。あなた、本当に騎士団の団長に手を出すつもりがあるのかしら?」
座るや否や、マリーの口から出てきた言葉はそれだった。
「どういう意味だ?」
「言葉の通りだけれど」
そこで彼女は足を組む。上にした右側のスリットが、アンディを誘っているようにも見える。
「あなたが、本当にあの団長に手を出すつもりがあるなら、私はとっておきの情報を教えてあげるわ」
「とっておきの情報、だと?」
「ええ」
そこでオレンジ色の液体に口をつけた。「どうする?」
グラスに浮いている氷を指でチョンチョンと押し付けながら、アンディは考えた。
あの第一騎士団の団長、ジルベルト・リガウン。自分が仕事をこなすためには邪魔な存在ではある。あいつが団長になってからの警備体制はより強化され、自分の仲間たちも捕まったり、仕事が失敗したりしているのも事実。だが、それが程よいスパイスになっていて、仕事にやりがいを与えているのも事実。
「やるか」
独り言のように呟いたのに、それはマリーの耳にも届いていたらしい。ふふっと笑んで、さすがね、と言う。
「だったら、あなたにはこれを差し上げるわ」
一枚の紙切れ。つまり、メモ。それに目を落とすと、日時と場所が書いてある。そのほかに書いてあるのは、何かのタイトルだろうか。
「これは?」
「あの堅物。よっぽど婚約者と二人で出掛けたいのね。その日のその時間のその演目の芝居のチケットを取ったらしいわ」
だからか、どこかで見たことのあるタイトルだと思ったのは。これは婦女子が騒いでいる芝居のタイトルではないか。
「それの帰り道。婚約者が一人になったところを狙えばいいのよ」
マリーが手にしていたグラスの氷が鳴った。グラスは汗をかき始めたようだ。
「だが、あの堅物が屋敷まで送り届けるのではないか?」
「そうね。だから、屋敷の手前で偽の迎えを出すのよ」
「どうやって?」
ふう、とマリーは大きくため息をついた。「少しくらい、自分で考えたら?」
冷たい視線だった。今までこのような視線を彼女から向けられたことはあっただろうか。否。
考えを悟られないように、アンディはグラスに口をつけた。
「仕方ないわね、今回だけよ」
マリーの視線が和らいだ。
「芝居を観終わり、帰るところ見計らって彼らの馬車を止めなさい。そして、第零騎士団を名乗って、婚約者をこちらの馬車に乗せるのよ」
「なぜ、第零を名乗る必要がある?」
「あの婚約者の兄が第零だからよ。きっとあの堅物も兄からの迎えの馬車であると思うでしょうね」
「なるほど」
「彼女をこちらの馬車に乗せてしまえばこちらのものよね?」
そうだな、とアンディは頷いた。
「ねえ、アンディ?」
マリーは首を傾けて、その頭を彼の肩の上に乗せた。「私があなたのものになったら、刺激のある生活を約束してくれるのよね?」
そのまま上目遣いで彼を見る。
「ああ、もちろんだ」
「そう」
マリーは呟くと、その肩から頭を離した。グラスを手にしている右手の肘を左手で押さえ、何やら考えている様子。そのままグラスに口をつけ、一口、オレンジを含む。そしてゆっくりと、グラスをテーブルの上に置くと。
「あなたがあの堅物をやった日には、あなたの女になってあげるわ」
マリーは右手の人差し指でくるくると宙に円を描いた後、それをアンディの口元に当てた。アンディは舌を出して、その指をペロリと舐めた。