敷物の上に、二人向かい合って座る。その二人の間には、エレオノーラが作ったというお弁当。といっても、サンドイッチだが。

「ジル様は何がお好きですか?」
 バスケットを開けると、様々な種類のサンドイッチが綺麗に並んでいた。

「これは、エレンが作ったのか?」

「はい。これも潜入調査の賜物ですね。多分、味も食べられる程度のものかとは思いますので」
 エレオノーラはふんわりと笑む。変装はしていない。いつもの知的美人な婚約者を演じていない。それはジルベルトがそのままでいい、と言ってくれたから。それから、この周辺に他に人がいないから。

「こちらがポテトサラダで、こちらがクリームチーズとベーコンで、こちらが」
 エレオノーラはサンドイッチの説明をするが、ジルベルトは聞いているのか聞いていないのかわからない。

「お飲み物もありますよ」
 水筒を取り出して、カップへと注ぐ。「どうぞ」

「ああ、ありがとう。どれから食べたらいいか、迷ってしまうな」
 ジルベルトがバスケットの中身を見ながら難しい顔をしていたのは、どのサンドイッチから食べたらいいかを悩んでいたらしい。

「好きなだけ食べてください。ここには私とジル様しかいませんから、他の人に取られたりしませんよ?」
 兄弟の多いエレオノーラにとって、おやつ争奪戦は幼い時には日常茶飯事だった。特に男三人がよくやっていたことを思い出す。

 ジルベルトがなかなかサンドイッチに手を出さないので、エレオノーラは適当に一つ差し出してみた。だが、ジルベルトはそれに見向きもせずに、バスケットの中身をじーっと見つめている。見ているだけでは腹にたまらない、と言うのに。

「ジル様。お口をあけてもらってもいいですか?」

 ジルベルトはバスケットの中身から目を離さない。それでも、口をポカンと開けたので、そこに手にしたサンドイッチを突っ込んでみた。
 ジルベルトは、突然口の中に現れたサンドイッチに驚きつつも、もぐもぐと咀嚼する。
「美味しいですか?」
 エレオノーラが尋ねると、無言で頷く。

「これはサラダか?」

「正解です」
 彼女はニッコリと笑みを浮かべると、残りのサンドイッチは自分で食べてしまった。「ジル様。早く食べないと、私が全部食べてしまいますよ」

 ペロリと指をなめたエレオノーラを、ジルベルトはうらめしそうに見つめていた。そんなにサンドイッチが食べたいなら、さっさと食べればいいのに、と彼女は思う。

「それはなんだ?」

 どうやらエレオノーラが手にしているものが気になっているらしい。

「これは、ローストビーフですね」

「それを少しいただいてもよいか?」

「はい」
 エレオノーラが手にしていたサンドイッチをジルベルトに手渡そうとしたが、彼はそれを受け取る様子がない。代わりに口を開けて待っている。これではまるで餌を待つ雛鳥ではないか。大きな雛鳥だ。恐る恐るその口に、サンドイッチを近づけた。

「ひゃ」
 と変な声が漏れてしまった。ジルベルトがエレオノーラの指ごと食べてしまったからだ。

「あ、すまん。つい」

「ジル様。ご自分で食べてください」
 頬を膨らませながらも、バスケットを両手で持ってジルベルトの前に差し出した。

「では、次はこれをいただこう」
 やっとジルベルトが自分で食べる気になったようだ。エレオノーラは安心して、目尻を下げた。お茶を一口飲む。

 昼食を終えると、ジルベルトは愛馬のマックスに水を与えた。マックスは適当に草を食べていたようだ。
 エレオノーラは大きな木の幹に寄り掛かって、足を放り投げて目を閉じていた。頬を撫でつける風が心地よくて、ついつい眠りへと誘われてしまう。
 ふっと、太ももの辺りが重くなった。なんだろうと思って目を開けると、ジルベルトと目が合った。
「少し休んだら戻ろうか」
 ジルベルトがエレオノーラを見上げながら言った。エレオノーラは頷くと共に、ジルベルトの額に手を置いて優しく撫でた。

「ジル様。今日は私のために時間を割いていただき、ありがとうございます」

「いや、礼を言うのは私の方だ。今日はとても穏やかな時間を過ごすことができた」

「私もです。次の任務の前に、このような時間を持てたこと、とても励みになります」

「任務……。エレンは今までどのような変装しているのだ?」

「えっと、いろいろですね。ジル様と初めてお会いしたときは、酒場の男性店員でしたし。他はレストランの料理人や娼館の娼婦。逆に酒場の常連客とか、パーティに参加するご令嬢とか」

「娼館……」
 ジルベルトが額を撫でていたエレオノーラの手首を掴んだ。「娼館ということは、やはりそういうことを」

「いえ、あの。その。そういうことは、致していないのです。兄たちにも笑われたのですが。えと、まあ。それで、その。ジル様が初めてになります。まあ、あれは事故みたいなものですけど」

 もう片方のジルベルトの手が伸びてきた。それはエレオノーラの頭の後ろ、つまり後頭部を支えたかと思うと、ぐっと力を入れてきた。ジルベルトの顔が迫ってくる。いや、動いているのはエレオノーラの頭の方だから迫ってくるという表現はおかしいかもしれない。ぶつかると思って目を閉じた。
 唇に温かい何かが触れた。この感触は、あの事故のとき、ジルベルトと唇が触れてしまったときとの感触に似ている。だが、恐ろしくて目を開けることができない。
 いつまでそうしていたのか。ほんの数秒のような気もするし、数分だったような気もする。後頭部に置かれた手が離れたのを感じて、エレオノーラは顔を離した。

「これは事故ではない」

 ジルベルトが真面目な顔をして呟いた。