「やあ、マリー」
「あら、アンディ。元気だった?」
今日もカウンターで一人グラスを傾けていた彼女に言い寄る男が一人。金色の髪を撫でつけている男。
「相変わらず、君はステキだね」
「褒めても何も出ないわよ」
グラスを口元にまで運ぶと、カランと氷が鳴る。首を傾ける仕草も、男には誘っているように見える。
「そうそう、アンディ。例の件、わかったわよ」グラスから口を離しながら、マリーは言った。「少し、場所を変えましょう」
「上か?」
アンディは右手の人差し指を立てた。上の部屋。つまり、誰にも聞かれたくない話をする部屋。もしくは、誰にも見られたくないような行為をする部屋。
「そうしたいのはやまやまだけど。私、この後も仕事があるのよ。奥の、ボックスでいいわね」
マリーは目の前の店員に告げ、奥のボックス席へと移動した。
彼女が先にソファに座ると、すかさずアンディもその隣へと腰をおろす。そして、そっと彼女の背中に手を回した。マリーはその頭を彼の肩に預けた。
「例の婚約者。誰かがわかったわ」
アンディの耳元で囁く。彼は表情を変えずに「誰だ」と尋ねる。
「フランシア子爵家の娘よ」
「フランシア? あまり聞いたことはないな」
「あそこは騎士団の家系らしいわ」
「では、その娘もか?」
娘も騎士団だとしたら、手を出すのは少し面倒かもしれない、とアンディは考えた。
「いえ。娘はどうやら身体が丈夫ではないらしいの。そのためか社交界にもあまり参加していない。普段は屋敷の方に引きこもっているらしいわ。だから、ほとんど名前も知られていないし、顔も知られていないみたい」
「そんな女がよく、あれの婚約者になったな」
「あそこの他の兄弟は騎士団だから、その騎士団つながりじゃないかしら?」
マリーは腕を伸ばして、テーブルの上のグラスを取った。
「あなたも、飲む?」
マリーは目を細めて聞いた。
「ああ」
ボトルからグラスに酒を注ぎ、いくつか氷を落としたものを、アンディの手に握らせた。
二人はグラスを掲げ、それをカチンとあてた。マリーは今日もオレンジ色の液体を、ゆっくりと飲んでいる。それを飲むたびに、上下に揺れる喉元。今すぐにでも喰いつきたい。
「建国記念パーティの件、あなたの耳にも入っているでしょ?」
片手でグラスを持ったマリーが言った。
「ああ、もうそんな時期か」
「どうやらそのパーティに、あの騎士団長が婚約者を連れて出席するらしいわ」
「へえ、それは珍しい」アンディは一口、グラスの中の茶色の液体を口に入れた。カタンと氷が鳴る。「そして、面白い」
「でしょ」
マリーは身体をアンディの方に向けた。「警備担当ではなく、招待客として参加するのよ。こんな面白い話があって?」
マリーの微笑みは上品だ。アンディはいつも思うのだが、この娘はどこかの令嬢ではないのか、と。彼女はいつも、こうやって有益な情報を自分に与えてくれる。いや、自分だけではない。彼女は貴族様に関する情報を、それを必要とする者たちに売っているのだ。
しかも美人でスタイルもいいときた。女性としての魅力も申し分ない。このような女性を連れて歩けたら、他の男性からは羨望の眼差しを向けられることになるだろう。それくらい、中身も外見も、魅力的な女性なのだ。
今日も、黒いシックな装いが、彼女の妖艶さを引き立てている。
「どうかした?」
アンディの肩に両手をのせ、その上に顎を預けているマリーもどことなく艶めかしい。
「いや。そのパーティにどうにかして参加できないか、ということを考えていた」
あの騎士団の団長の顔はもちろん知っている。幾度となく顔を合わせている。鉄壁の警備を敷いてくるところが、アンディの仕事がやりにくくなっている原因だ。だが、そう言った障害がある方が、楽しいとも思える。
「できるのではなくて? あなたなら」
肩が軽くなった。マリーの顔が外れたのだ。そして、彼女の人差し指がアンディの唇に触れる。
「アンドリュー・グリフィン公爵として参加すればよろしいのではないかしら?」
ドキっと身体が跳ねた。彼女はお見通しだったのか。
「私はただの町娘だけれど、あなたは立派な貴族様でしょ?」
「君にはかなわないな。だったら、私の女になるかい?」
アンディはマリーの肩に手を回した。マリーはその手をやんわりとどける。
「残念ながら、お断りよ。貴族様の女なんて、不便で仕方ないもの。それに、私は誰の女にもなるつもりはない」
「やっぱり、君のそういうところ、好きだなぁ」
アンディはソファの背もたれに肩を開いて、限界まで寄りかかる。
「俺の女になれ」
今度は彼女の腰に手を回した。強引に引き寄せる。
「きゃ」
マリーはその力に負けてしまい、アンディの胸に頭を預ける形になってしまった。
「俺と一緒になれば、不自由しないと思うが?」
「私は不自由しない暮らしは望んでいない」
「マリー。だったら、君の望みは?」
「刺激のある暮らし」
そこでマリーはすっと立ち上がった。
「ごめんなさい、アンディ。もう次の仕事の時間なの。私、売れっ子だから」
「ああ、知ってる」
「またね」
鎖の長い革のバッグを肘にかけて、颯爽と去っていく。その後ろ姿も申し分無い。
逃げられれば追いかけたくなる。アンディはなんとかして彼女を自分のものにできないか、ということを考え始めていた。
「あら、アンディ。元気だった?」
今日もカウンターで一人グラスを傾けていた彼女に言い寄る男が一人。金色の髪を撫でつけている男。
「相変わらず、君はステキだね」
「褒めても何も出ないわよ」
グラスを口元にまで運ぶと、カランと氷が鳴る。首を傾ける仕草も、男には誘っているように見える。
「そうそう、アンディ。例の件、わかったわよ」グラスから口を離しながら、マリーは言った。「少し、場所を変えましょう」
「上か?」
アンディは右手の人差し指を立てた。上の部屋。つまり、誰にも聞かれたくない話をする部屋。もしくは、誰にも見られたくないような行為をする部屋。
「そうしたいのはやまやまだけど。私、この後も仕事があるのよ。奥の、ボックスでいいわね」
マリーは目の前の店員に告げ、奥のボックス席へと移動した。
彼女が先にソファに座ると、すかさずアンディもその隣へと腰をおろす。そして、そっと彼女の背中に手を回した。マリーはその頭を彼の肩に預けた。
「例の婚約者。誰かがわかったわ」
アンディの耳元で囁く。彼は表情を変えずに「誰だ」と尋ねる。
「フランシア子爵家の娘よ」
「フランシア? あまり聞いたことはないな」
「あそこは騎士団の家系らしいわ」
「では、その娘もか?」
娘も騎士団だとしたら、手を出すのは少し面倒かもしれない、とアンディは考えた。
「いえ。娘はどうやら身体が丈夫ではないらしいの。そのためか社交界にもあまり参加していない。普段は屋敷の方に引きこもっているらしいわ。だから、ほとんど名前も知られていないし、顔も知られていないみたい」
「そんな女がよく、あれの婚約者になったな」
「あそこの他の兄弟は騎士団だから、その騎士団つながりじゃないかしら?」
マリーは腕を伸ばして、テーブルの上のグラスを取った。
「あなたも、飲む?」
マリーは目を細めて聞いた。
「ああ」
ボトルからグラスに酒を注ぎ、いくつか氷を落としたものを、アンディの手に握らせた。
二人はグラスを掲げ、それをカチンとあてた。マリーは今日もオレンジ色の液体を、ゆっくりと飲んでいる。それを飲むたびに、上下に揺れる喉元。今すぐにでも喰いつきたい。
「建国記念パーティの件、あなたの耳にも入っているでしょ?」
片手でグラスを持ったマリーが言った。
「ああ、もうそんな時期か」
「どうやらそのパーティに、あの騎士団長が婚約者を連れて出席するらしいわ」
「へえ、それは珍しい」アンディは一口、グラスの中の茶色の液体を口に入れた。カタンと氷が鳴る。「そして、面白い」
「でしょ」
マリーは身体をアンディの方に向けた。「警備担当ではなく、招待客として参加するのよ。こんな面白い話があって?」
マリーの微笑みは上品だ。アンディはいつも思うのだが、この娘はどこかの令嬢ではないのか、と。彼女はいつも、こうやって有益な情報を自分に与えてくれる。いや、自分だけではない。彼女は貴族様に関する情報を、それを必要とする者たちに売っているのだ。
しかも美人でスタイルもいいときた。女性としての魅力も申し分ない。このような女性を連れて歩けたら、他の男性からは羨望の眼差しを向けられることになるだろう。それくらい、中身も外見も、魅力的な女性なのだ。
今日も、黒いシックな装いが、彼女の妖艶さを引き立てている。
「どうかした?」
アンディの肩に両手をのせ、その上に顎を預けているマリーもどことなく艶めかしい。
「いや。そのパーティにどうにかして参加できないか、ということを考えていた」
あの騎士団の団長の顔はもちろん知っている。幾度となく顔を合わせている。鉄壁の警備を敷いてくるところが、アンディの仕事がやりにくくなっている原因だ。だが、そう言った障害がある方が、楽しいとも思える。
「できるのではなくて? あなたなら」
肩が軽くなった。マリーの顔が外れたのだ。そして、彼女の人差し指がアンディの唇に触れる。
「アンドリュー・グリフィン公爵として参加すればよろしいのではないかしら?」
ドキっと身体が跳ねた。彼女はお見通しだったのか。
「私はただの町娘だけれど、あなたは立派な貴族様でしょ?」
「君にはかなわないな。だったら、私の女になるかい?」
アンディはマリーの肩に手を回した。マリーはその手をやんわりとどける。
「残念ながら、お断りよ。貴族様の女なんて、不便で仕方ないもの。それに、私は誰の女にもなるつもりはない」
「やっぱり、君のそういうところ、好きだなぁ」
アンディはソファの背もたれに肩を開いて、限界まで寄りかかる。
「俺の女になれ」
今度は彼女の腰に手を回した。強引に引き寄せる。
「きゃ」
マリーはその力に負けてしまい、アンディの胸に頭を預ける形になってしまった。
「俺と一緒になれば、不自由しないと思うが?」
「私は不自由しない暮らしは望んでいない」
「マリー。だったら、君の望みは?」
「刺激のある暮らし」
そこでマリーはすっと立ち上がった。
「ごめんなさい、アンディ。もう次の仕事の時間なの。私、売れっ子だから」
「ああ、知ってる」
「またね」
鎖の長い革のバッグを肘にかけて、颯爽と去っていく。その後ろ姿も申し分無い。
逃げられれば追いかけたくなる。アンディはなんとかして彼女を自分のものにできないか、ということを考え始めていた。