「ダンお兄さま。陛下からの呼び出し状ってなんですか。しかも明日って。急すぎませんか」
 フランシア家の屋敷に戻って来て早々、エレオノーラがあげた言葉はそれだった。

「お前の相手が相手だからだろう」
 上着を脱ぎながら、ダニエルが答える。

「リガウン団長って、そんなにすごい人だったんですか?」

「お前なぁ。一応、向こうは侯爵家の跡継ぎだ。しかも、第一騎士団の団長。すごい人に決まっているじゃないか」

「だって、お会いする相手はあの陛下ですよ。私がお会いしてもいいんですか?」

「正確には、フランシア家のエレオノーラではなく、リガウン卿の婚約者のエレオノーラへの呼び出しだな」
 ダニエルはシャツを着替えた。

「やはり。ということは、リガウン団長の婚約者になればいい、ということですね」

「いや、そもそもお前はもう立派なリガウン卿の婚約者だから」
 というダニエルの言葉は、エレオノーラの耳には届いていなかった。ここはやはり、知的美人かしらと、呟いている。

「おい、エレン。明日、オレは仕事で付き添えないから、くれぐれもリガウン団長に粗相が無いようにな」

「わかってます」
 本当に大丈夫か? とダニエルの不安はつきない。しかも人が着替えているときに部屋にまで入って来て、本当に年頃の娘か、と不安はつきない。

 そして次の日。今日も知的美人な婚約者に変装したエレオノーラ。しかし、超病弱という設定があるため、儚げな知的美人というところを目指してみた。

「では、エレオノーラ嬢をお預かりします」
 ジルベルトのそれに、母親がニコニコと笑みを浮かべていた。フランシア子爵家の屋敷から王城までは、馬車で向かう。
 ジルベルトはエレオノーラと二人、馬車の中。よくよく考えてみたら、こうやって二人きりで話をするのは、彼がエレオノーラに求婚した時にフランシア子爵家の屋敷を訪れた時以来ではないだろうか。

「こうやって、二人きりになるのは、変な感じがしますね」
 ジルベルトの心を読んだのだろうか。エレオノーラがそう口を開いた。

「そう言われると。あまり二人で何かをする、という機会はなかったかもしれないな」
 ジルベルトは腕を組んだ。多分、その機会を考え込んでいるのだろう。あまりにも真面目な表情に、エレオノーラはちょっと笑みをこぼした。そのこぼれた笑みが、可愛らしい。だからついつい、言葉をかけてしまうジルベルト。
「何か」

「いえ、リガウン団長があまりにも真剣な顔をなさっていたので」

「あなたは、そうやって笑っている方が、あなたらしい」

 ジルベルトの不意打ちに、エレオノーラは顔が赤くなるのを感じた。しかも、ここはまだ馬車の中であるからと油断して、ジルベルトの婚約者という仮面をつけていない。
 エレオノーラは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆った。突然そのような行為をされたら、ジルベルトだって心配になる。彼が彼女の顔をのぞきこむ。と、馬車が跳ねた。多分、その車輪が小石か何かを踏んでしまったのだろう。
 その勢いで、なぜかすっぽりとジルベルトの腕の中に収まっているエレオノーラ。本当に運よくすっぽりと。まさしくミラクル。

「あの、ごめんなさい」
 
「いや。問題ない。怪我はないか?」

「あ、はい。おかげさまで、どこも」

「そうか」

 言いながらもエレオノーラはジルベルトの腕の中。

「あの」
 エレオノーラは顔を上げた。そこには難しい表情をしているジルベルトの顔がある。

「何か」

「恥ずかしいので、離していただいてもよろしいでしょうか」

 目が合った。こんな至近距離でジルベルトの顔を見るのは押し倒された時以来。よく見ると、ジルベルトの耳が赤く染まっているような気もする。

「ああ、すまない」
 ジルベルトは、エレオノーラおろすと自分の隣に座らせた。

「あの、リガウン団長」
 ジルベルトの名前さえも呼べない。それだけ役になりきれていない、ということ。

「なんだ」

「あの。陛下の前ではきちんと婚約者を演じますので。今だけは」
 恥ずかしすぎて仮面をつけることができない。だから、両手で顔を覆う。この顔はジルベルトにも見せることができない。

「エレン」

 ジルベルトは彼女の細い手首を掴んだ。
「無理して、演じなくてもいい。そのままで問題ない」
 思わず彼女を抱きしめたくなる。

「リガウン団長の前ではそれでいいかもしれませんが、陛下の前ではダメです。せっかく団長の婚約者になったのですから、婚約者らしく振舞わせてください。ですが、今は、少々お待ちを」

 エレオノーラは口から息を吸った。そしてそれを胸いっぱいに広げてから、ゆっくりと吐き出す。

 馬車が止まった。

「エレン。着いたが、大丈夫か」

「はい、大丈夫です」
 そう言って、顔を上げたエレオノーラの表情は、先ほどまでの愛らしい顔とは違っていた。
 この顔も嫌いではない。この表情もエレオノーラのものだから。でも、欲を言えば先ほどまでの可愛らしい彼女のほうが好みかもしれない。

 馬車から降りると、ジルベルトの腕にエレオノーラが腕を絡めてきた。馬車の中で赤くなっていた彼女が、隣にいる彼女と同一人物であるとはにわか信じられない。あれだけ恥ずかしそうに顔を赤くしていた彼女は、堂々と自分の隣に立っている。

 ふと、ジルベルトは目の前の男に気付いた。
「やあ、ジル。久しぶりだね。待っていたよ」
 陽気に右手を挙げて、挨拶をする偉そうな男。

「待っていたならこんなところではなく、どうぞ謁見の間でお待ちください」

「冷たいね、ジルは。君が婚約したって言うから、待ちくたびれてここまでのこのこ来てしまったというのに」

「のこのこ出歩かないで、どうぞ謁見の間でお待ちください」
 語尾を荒げるジルベルト。彼がこのように声を荒げるのも珍しい。
 二人のやり取りを見ているエレオノーラにジルベルトは気付いた。
「陛下だ」とこっそり囁く。

「堅苦しい挨拶は後でいいよ。では、五分後に」
 その男はそそくさと逃げていく。

「あの、本当に陛下ですか?」
 エレオノーラは恐る恐る尋ねる。

「間違いなく、陛下だ」

 彼女は驚きのあまり、仮面をポロリと落としそうになった。危ない、危ない。