これはどこからどう見ても押し倒されている。誰がどう見ても。しかも、目の前の人物がこんなにお見目麗しく、堅苦しくて男前な騎士様。この場合、押し倒された側が女性であったのであれば、嬉しい悲鳴をあげてしまうかもしれない。
 まあ、そんな自分も生物学的上は女性であるが。
 だが今は、男性用のタキシードを着て、少し身長も誤魔化して、出ているとこは全部引っ込めて、女性であることを隠していた。

「この手をどけていただきたいのですが」

 押し倒されている側の女性、エレオノーラが冷静に言葉を放った。彼女が言うこの手とは、自分の右胸にのっているその騎士様の左手。しかもその騎士様、どけて欲しいと言ったにも関わらず、その左手をもみもみと動かした。そう、動かしたのだ。
 その挙句。
「君は、女性か?」とまで確認をしてきた。

 エレオノーラは目の前の騎士様から目を反らすことなく、しっかりと見据えている。この押し倒されたであろう現状にも関わらず。
「生物学的上は、それに分類されますが。ですが、今の私に性別は関係ありません。申し訳ありませんが、この後も仕事があるため、この手をどかしていただけると大変助かります」
 彼女は極めて冷静に言った。そう、いたって冷静に。

 この押し倒されているという過程において、その騎士様と自分の唇があたってしまったという事故もあったのだが、それは事故であるため気にしてはいけない。
 だがその事故を気にしている人がいるらしい。それが目の前の騎士様。彼の顔は、さてどうしたものかという困惑に溢れている。むしろ、そこまで困惑されてしまうと、この冷静さを失ってしまうので、逆に困る。

 そこで、エレオノーラは脳みそをフル回転させた。この騎士様は誰だっけかなぁと。今日のこの任務は第一騎士団との合同と言っていたような気もする。ということは、第一騎士団の人。年は三十前後と見た。自分の兄たちより少し年上くらいに見える。しかも特徴的な髪型であるオールバック。見る人が見たら、めちゃくちゃ怖いと感じる。
 という、エレオノーラの脳内データベースを検索した結果、それに該当する人物は第一騎士団の団長であるジルベルト・リガウンがヒットした。

「おい、レオン。無事か? って何をやってるんだ、お前たちは」

 その声はエレオノーラの上官かつ兄であるダニエル・フランシアのものだ。なかなか姿を現さないエレオノーラを心配したのだろう。もしかしたら任務失敗と思ったのかもしれない。
 エレオノーラは押し倒されているため起き上がることはできない。顔だけをゆっくりと傾け、上官に助けを求める。
 ダニエルは見てはいけないものを見てしまった、という表情をしていた。そしてわざとらしく咳払いをしてから。
「リガウン団長、できれば私の部下を解放していただけると非常に助かります」

 その声に驚いたのか、ジルベルトの左手がもみっと動いた。無意識なのか、わざとなのか、問いただしたいところ。
 だが、彼も顔だけをダニエルに向けると、その手をどけてエレオノーラを解放した。

「レオン、悪いが三階の東階段から仕掛けてくれ。行けるか? 残りは第一が押さえているようだ」
 ダニエルも冷静にエレオノーラに命令をくだす。

「承知いたしました」
 今まで押し倒されていましたという事実が無かったかのように、さっきの事故も無かったかのように、エレオノーラはすぐにその命令に従う。ただ、少し乱れてしまった衣服を直す。それが終わると、さっと駆け出した。
 そしてすぐに彼女の後ろ姿は見えなくなる。

「貴殿は諜報部のフランシア部長」
 ダニエルを認識したジルベルトが口を開いた。

「はっ。第(れい)騎士団諜報部ダニエル・フランシアであります。この度は、我が部下がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございません」
 ダニエルはピシッと気を付けの姿勢をとって、ジルベルトに頭を下げた。ダニエルはただの広報部長、ジルベルトは第一騎士団の団長。この騎士団の中では、当たり前であるがダニエルよりも偉い人に該当する。

「いや。迷惑をかけたのは私のほうだ。ところで、先ほどの女性は?」

 ジルベルトはダニエルを見下ろすようにして言った。ダニエルも男性の方ではけしてその身長が特別低い、というわけではないのだが、とにかくジルベルトの背が高すぎるのだ。
 ダニエルは、ジルベルトが発した「女性」という言葉に敏感に反応した。今回のエレオノーラの任務は、男装したうえでの潜入捜査だ。見た目はどこからどう見ても男性。第零の仲間にもその事実は隠している。だが、なぜに第一騎士団であるジルベルトに女性とバレてしまったのか。エレオノーラの変装が見破られてしまったとも思えない。彼女の変装はいつだって完璧だ。

「失礼ですが、リガウン団長。なぜあれを女性と?」
 ダニエルは恐る恐る尋ねた。

「ああ、すまない。触ってしまった」
 というジルベルトの答えに「どこに」と問わなくても、触って女性と気付く場所と言えば限られている。ダニエルは思わず吹き出しそうになったが、ここでも至って冷静という名の面をかぶる。

「そうでしたか。できればその事実を隠していただきたいのです。あれは私の妹ですが、諜報部の潜入班として所属しております故。本日、あれはこの酒場の男性店員です」
 ダニエルもいたって冷静に言葉を放つ。

 この建物は大きな高級酒場。ここで窃盗団が密売をしているという情報を仕入れ、ダニエルは部下であるエレオノーラを送り込んだ。エレオノーラには変装という特技がある。特技というよりはむしろ趣味ではないか、と常々思っているのだが、あのエレオノーラの変装はとにかく見破ることができない。外見もそうであるが、内面も。だから、第零騎士団諜報部の潜入班としては優秀な人材なのだ。
 そしてこの酒場に潜入していたエレオノーラが、窃盗団の密売の決行日が本日であるという情報を仕入れた。そこでその窃盗団を取り押さえるために、第一騎士団を投入した、というところである。
 窃盗団の粗方は第一騎士団のほうで拘束したようだが、肝心の親玉を取り逃がしたらしい。そこで、今、ダニエルはエレオノーラをその親玉に差し向けるために彼女を探していた。この酒場の男性店員としてのエレオノーラであれば相手も油断するだろう、という考えによるもの。

「フランシア殿」

 ダニエルがエレオノーラの後を追うためにその場を離れようとしたとき、ジルベルトに呼ばれた。相変わらずいいガタイをしているし、オールバックにしている髪型が彼の存在感を強調している。まさしく団長、と言う言葉が似合う。

「後日、貴殿の屋敷に伺ってもよいだろうか」

「何か、あれが失礼なことを?」
 ダニエルは、自分がいない間にエレオノーラがジルベルトに無礼を働いたのかと思った。

「いや。責任を取らせていただきたい」

「何の?」
 ダニエルも思わず素が出てしまった。

「貴殿の妹を、妻に娶りたい」
 ダニエルはそのジルベルトの言葉で、思わず口が重力に負けてしまって、ポカンと開けてしまった。空耳、かと思って目の前の彼に視線を向けるが、彼が真面目な顔をしているため、きっと冗談でも空耳でも無いのだろう。

「承知しました。妹に伝えておきます」
 という言葉を紡ぎ出すのが、ダニエルにとって精いっぱいだった。

 だが、すぐさま脳みそを切り替える。今はやるべきことがあるはずだ。あの窃盗団の親玉を捕まえねばならない。

「では、任務がありますので」
 ジルベルトも同じ任務に携わっているにも関わらず、ダニエルはそんなことを言ってその場を去った。