『コンプライアンスの面で問題があると思わrrrrr・・・・・・』
灯りの落ちた深夜のオフィス。
暗闇に浮かび上がるPCのモニター。
つい先ほどまでカタカタと鳴り響いていたキータッチの音が、唐突に途切れた。
水沼耕介は頬骨の辺りにキーボードのスペースキーの感触を感じながら、眼球だけを動かしてモニターを見上げる。
重力が何十倍にもなったかのように身体が重い。
指先すら動かせそうにない。
「……納期」
それが彼の最後の言葉。
薄れゆく意識の中、彼が最期に目にしたのは、無機質な「r」の文字列だった。
タイフーン、カイゼン、ボンサイ、ツナミ、ゲイシャ、フジヤマ、スシ、テンプラ。
英語圏でもそのまま通じる日本語というのは意外と多い。
クレイジージャパニーズの象徴ともいわれる単語――『過労死』もその一つである。
百十二連勤を数えた日曜日の深夜、水沼耕介は彼の他には誰もいないオフィスでキーボードに突っ伏して、三十八年と十二日の短い人生、その終焉を迎えた。
直接の死因は、ベタなことに心筋梗塞。
睡眠不足とストレスからくる不整脈を延々と放置した結果である。
翌日にはまとめサイトなどで、ブラック企業の残酷物語として面白おかしく取り上げられる出来事には違いない。
だが、彼が勤務する中堅広告代理店がいわゆるブラック企業だったかというと、少し前までは決してそうでは無かった。
能力には疑問符がつくものの人の善い二代目社長の下、それなりに裁量も与えられ、やりがいもあった。
だが、景気が悪くなれば、企業において真っ先に切り捨てられるのが広報予算なのだ。
なんで? 業績が悪化したなら、もっと広告するんじゃないの? しなきゃいけないんじゃないの? そう思うかもしれない。
ごもっとも。至極まっとうなご意見だ。
だが、予算表とにらめっこしてみれば、すぐに分かる。
それなりの金額を削減できて、日々の企業活動に即座に影響が出ないのは大抵の場合、ソコしかないのだ。
そんな訳で、最大手の取引先からの広告発注が無くなって業績が傾き始めると、雪崩を打つように何もかもが悪い方向へと転がっていった。
大手代理店の二番煎じのキャンペーンしか打てない、コバンザメみたいな中小の広告代理店が、一度傾いた業績を立て直すにはリストラ以外に打つ手はなかったのだ。
かくして、ベテラン社員は軒並み退職。
営業から制作、WEBプロモーション、果てはデザインからDTP、校正校閲までを営業人員で賄おうというのだから、クオリティはお察しの通りである。
クオリティの低下に伴って新規の顧客も半減し、苛立ち混じりに繰り返される社員同士の深夜の罵り合い。
悪化する社内の空気に耐えきれなくなった若手社員も次々に辞めていった。
あとに残されたのは、転職するにはやや手遅れといった感のある、三十代後半から四十代の中堅社員たち。
とりわけ、お人好しな上に独り身の耕介の上に、これまで十一人がかりで行っていた業務が一気に圧し掛かったのだ。
もちろん百日を越える連続勤務など、法的にも許されることではない。だが、声を上げなければ法律が守ってくれることなどない。
いや、正確にいえば耕介自身には、日々の業務に忙殺されて声を上げるだけの余裕も無かったのだ。
なんでこうなった……とは思うが、仕方がないとも思う。お人好しにもほどがあると言われるかもしれないが、彼自身にはとりたてて恨む相手もいない。
薄れゆく意識の中、最後に彼の頭を過ったのは、「明日の朝、出勤してきた同僚たちは、一体どんな顔をするだろう」と、いたずらを仕掛けたばかりの子供のような想いだったのは、耕介本人にとっても意外な気がした。
◇ ◇ ◇
「……ずぬまさん、水沼耕介さん」
誰かが自分の名を呼んだような、そんな気がした。
耕介が静かに目を開くと、そこには真っ白な空間が広がっていた。
どちらが上で、どちらが下かも分からないような不可思議な感覚。ふわふわと漂うような、そんな感覚だ。
「お目覚めですかぁ?」
声が聞こえた方へと目を向けると、そこには一人の美しい女性の姿があった。
年のころは十八か十九ぐらいだろうか?
ウェディングドレスかと見まがうような、ゴテゴテとした装飾過剰な白いドレスをまとった西洋系の女性である。
青みがかった長い銀髪に、透き通るような白い肌。垂れ目がちの眼は碧く、どこか自信なさげな雰囲気を醸し出していた。
(日本語喋ってたけど……外国人だよな?)
「あなたは? それに……ここはどこなんでしょう?」
戸惑う耕介の様子に、その女性はクスリと笑った。
「ワタクシは女神ベローチェですぅ。ここは審判の空間なのですよぉ」
「女神さま?」
その瞬間、モニター上に映っていた『r』の羅列が耕介の脳裏を過る。
(なるほど、俺は死んだということか……)
「……ここは天国ってことですか?」
「うふふ、天国とか地獄とか、そんなのありませーん。ただの迷信ですぅ。ここはあなたが次に生まれ変わる先を決める場所。人間の罪の重さに応じて、来世に生まれ変わる先を決定する、ただそれだけの場所ですぅ」
「はぁ……?」
「分かりにくいですか? 言ってみれば、ゲームの分岐選択画面みたいなものですね」
「はあ」
ゲームなんて就職してからは全然やってないし、分岐選択画面と言われても、余計にしっくりこない……というか、女神が口にするには例えが俗っぽすぎるような、そんな気がした。
「あら、あまり動揺されないのですね。ここへ来た方は大抵取り乱すものなのですけれど……」
「はあ」
取り乱すには耕介の精神は摩耗しすぎていたし、目の前の光景があまりにも非現実的過ぎて、脳が処理するのを拒んでいたのだ。
「まあ、良いですわぁ。えーとぉ、水沼耕介さん、享年三十八歳、日本国埼玉県蕨市の御出身ですわねぇ」
「蕨? ……違いますけど?」
「うふふ、誤魔化したってダメですよ。もう死んじゃってますからね。ウソついたって生き返ったりできる訳じゃありませんよ?」
「はぁ、そうですか。でも俺、出身、関西なんですけど……」
「またまたぁ」
「いや、ホントに」
「むぅ……」
なんだか急に、不機嫌そうなムスッとした表情になる自称女神さま。だが、そんな顔をされたって困る。事実は事実なのだ。
「あの……?」
「もう! 往生際の悪い人ですねぇー! じゃあ、ちゃんと経歴を確認しますからね。えーと、自衛隊除隊後にフランス外人部隊に入隊して、アフガン駐留部隊に所属。カミカゼコースケと呼ばれ、テロリストとの死闘の末に、町はずれの廃工場で溶鉱炉におちて、アイルビーバックって親指を立てながら死亡した水沼耕介さんですよね?」
「誰だ、そいつ!?」
「違うんですか?」
「違います! 名前以外一ミリだってかすってませんってば!」
「そんなはずは……」
女神は後ろを向いて、なにやらゴソゴソとし始める。そして、
「あっ……」
と短い声を上げて、錆びた機械のようにぎこちなくこちらを振り向いた。
彼の目に、自称女神さまのただでさえ白い顔が蒼ざめていくのがはっきりと見て取れた。
うん、なるほど。
どうやら同姓同名の別人と取り違えたと、そういうことらしい。
彼女はおもしろいぐらいに動揺していて、アワアワと指先で宙を掻いている。
「ど、どうしましょう」
「どうしましょうって言われても……。いや、まあ、むしろ間違えてもらって良かったかも。ロクでもない人生でしたし」
「へ? …………お、怒らないんですかぁ?」
「まあ、ロクでもない人生でしたから」
「な、なんでそんな落ち着いてるのですかぁ?」
(いや、むしろアンタがなんでそんなに動揺してるのかが聞きたいよ。女神さまなんでしょうが……)
そんな想いは胸の内にしまって、耕介は一つ咳払いをする。
「さっき、生き返ったりできる訳じゃないっておっしゃってましたし、騒いでもどうしようも無さそうですから……。どうせ終わるなら、早めに終わってくれて良かったというか……」
途端に女神は困惑するような表情を浮かべた。
「……あっさり受け入れられるとぉ、それはそれで罪悪感がヒドいんですけどぉ……」
(どないせいっちゅうねん)
思わず肩を竦めると、女神はおずおずと問いかけてくる。
「あの……次は亀に輪廻するはずだったんですけど……。別人なんですよね?」
「少なくとも戦場に行ったことはないです」
「アフガンは?」
「マッチョが大暴れする映画でしか見たことありません」
「アレのロケ地はアリゾナ州です。アフガンじゃありません」
(要らなくないか? その情報)
女神はガクリとその場に膝から崩れ落ちる。器用なヒトだ。上も下もわからないって言っているんだから、設定はちゃんと守ってほしい。
やがて、彼女は泣きそうな顔で口を開いた。
「あの……も、元の身体には戻せませんけどぉ、ワタクシの管轄の別の世界に生まれ変わらせることなら出来ますけどぉ……」
「結構です。俺ももう疲れちゃったんで、亀とか良さそうじゃないですか、のんびりできそうだし」
「な、なにか凄いチートスキルとか付けますから……」
「いや、それはそれで、世界を救えとか言われても困るんで」
途端に女神さまはボロボロと泣きながら、耕介の肩を掴んでものすごい勢いで揺さぶり始めた。
「ぞごをなんどかぁああぁあああ!」
「ちょ! は、離してくださいってば!」
「お願いでずぅ。こんどミスしたら、先輩に殺ざれちゃうんでずぅう。望む形で転生ざぜであげまずがらぁあああ! 転生じでぐだざいぃいい!」
これには水沼耕介も引いた。ドン引きである。
(ポンコツだ、こいつ)
「わ、わかりました、わかりましたから!」
「ほんどぅ?」
「はい、本当です。だから泣き止んでください」
ぐすっと鼻をすすりながら見上げてくる女神に、耕介は思わずため息を吐いた。
(ほんと……何なんだこれ)
「じゃ、じゃあ、どんな人物に転生したいですか? できるだけリクエストには応えますけど?」
「どんな……?」
どんな人物と言われてもそれはそれで困る。イケメン? 金持ち? 天才? いやいや、それはそれで、どれもめんどくさそうなことに巻き込まれそうな気がする。
「えーと……楽な人生を歩めればなんでも」
「楽な人生……ですか?」
「ええ、楽したいです。田舎でのんびりって感じで……」
「わ、わかりました! 任せてください! そのかわりお願いですから、ワタクシのミスは誰にも言わないでください!」
必死に懇願する女神の姿に、耕介は思わず苦笑する。
「言いませんってば」
「言ったら、化けて出ちゃいますからね」
「さっき、死後の世界なんてないって言ってませんでしたっけ?」
生まれ変わるというのなら、スローライフも悪くない。
田舎で土にまみれて田畑を耕して、日の出とともに起き出して、暗くなったら床に入るような生活だ。
そういえば結婚だってしてみたいかも。
学生時代には彼女がいたこともあったけど……結婚というものには多少のあこがれがある。
「それでは……」
女神が手を振りかざした途端、光に包まれて耕介の姿が掻き消えた。
女神は「ふぅ……」と小さく息を吐いて額を拭う。
当面の危機は去った。
とりあえず、管轄している世界の中でも、比較的平和な世界エルステイン。その中堅国家フィグマの辺境貴族の子。それも三男坊という、とにかく楽な地位に生まれ変わらせた。
政治に参加出来るような地位ではないし、働かずとも食べていくことに困ることはない。それこそ、指一本動かさずとも、それなりに楽な人生を歩めるはずだ。
その上、こっそりチート能力を与えておいた。彼自身が気付くかどうかはわからないけれど。
これで大丈夫な筈だ……たぶん。
だが、万一、それでも彼が不満を持ったら……。
彼が次にその人生を終えるのは、長く見積もってもおおよそ八十年後。その頃には輪廻転生の担当神は持ち回りで、あの恐ろしい先輩に交代しているはずだ。
そこで彼が、今回与えられた人生に不満を持ってクレームでも付けようものなら、自分がミスを隠蔽した事がバレてしまう。
「そんなことになったらぁ……」
女神は思わず身震いする。
「も、文句をつける気が起きないくらいの、最高の人生を与えるしかありません! 接待! そ、そう接待ですぅ!」
謝罪対応のコツは相手が望む以上のこと、それも相手の想像を超えるレベルの対応をすることだ。そうすればクレーム化することはない。
でも、あれ……なにか忘れてるような? エルステインって確か……。
そこで、女神はさーっと青ざめる。
「あわ、わわわ……わ、忘れてました。そ、そうです! さ、最強の従者を用意しなくちゃ。あっさりと困難を跳ねのけられるぐらいの強力な従者が必要です」
女神は何もない空間に手を伸ばすと、慌ただしく黒電話の受話器を手に取った。
灯りの落ちた深夜のオフィス。
暗闇に浮かび上がるPCのモニター。
つい先ほどまでカタカタと鳴り響いていたキータッチの音が、唐突に途切れた。
水沼耕介は頬骨の辺りにキーボードのスペースキーの感触を感じながら、眼球だけを動かしてモニターを見上げる。
重力が何十倍にもなったかのように身体が重い。
指先すら動かせそうにない。
「……納期」
それが彼の最後の言葉。
薄れゆく意識の中、彼が最期に目にしたのは、無機質な「r」の文字列だった。
タイフーン、カイゼン、ボンサイ、ツナミ、ゲイシャ、フジヤマ、スシ、テンプラ。
英語圏でもそのまま通じる日本語というのは意外と多い。
クレイジージャパニーズの象徴ともいわれる単語――『過労死』もその一つである。
百十二連勤を数えた日曜日の深夜、水沼耕介は彼の他には誰もいないオフィスでキーボードに突っ伏して、三十八年と十二日の短い人生、その終焉を迎えた。
直接の死因は、ベタなことに心筋梗塞。
睡眠不足とストレスからくる不整脈を延々と放置した結果である。
翌日にはまとめサイトなどで、ブラック企業の残酷物語として面白おかしく取り上げられる出来事には違いない。
だが、彼が勤務する中堅広告代理店がいわゆるブラック企業だったかというと、少し前までは決してそうでは無かった。
能力には疑問符がつくものの人の善い二代目社長の下、それなりに裁量も与えられ、やりがいもあった。
だが、景気が悪くなれば、企業において真っ先に切り捨てられるのが広報予算なのだ。
なんで? 業績が悪化したなら、もっと広告するんじゃないの? しなきゃいけないんじゃないの? そう思うかもしれない。
ごもっとも。至極まっとうなご意見だ。
だが、予算表とにらめっこしてみれば、すぐに分かる。
それなりの金額を削減できて、日々の企業活動に即座に影響が出ないのは大抵の場合、ソコしかないのだ。
そんな訳で、最大手の取引先からの広告発注が無くなって業績が傾き始めると、雪崩を打つように何もかもが悪い方向へと転がっていった。
大手代理店の二番煎じのキャンペーンしか打てない、コバンザメみたいな中小の広告代理店が、一度傾いた業績を立て直すにはリストラ以外に打つ手はなかったのだ。
かくして、ベテラン社員は軒並み退職。
営業から制作、WEBプロモーション、果てはデザインからDTP、校正校閲までを営業人員で賄おうというのだから、クオリティはお察しの通りである。
クオリティの低下に伴って新規の顧客も半減し、苛立ち混じりに繰り返される社員同士の深夜の罵り合い。
悪化する社内の空気に耐えきれなくなった若手社員も次々に辞めていった。
あとに残されたのは、転職するにはやや手遅れといった感のある、三十代後半から四十代の中堅社員たち。
とりわけ、お人好しな上に独り身の耕介の上に、これまで十一人がかりで行っていた業務が一気に圧し掛かったのだ。
もちろん百日を越える連続勤務など、法的にも許されることではない。だが、声を上げなければ法律が守ってくれることなどない。
いや、正確にいえば耕介自身には、日々の業務に忙殺されて声を上げるだけの余裕も無かったのだ。
なんでこうなった……とは思うが、仕方がないとも思う。お人好しにもほどがあると言われるかもしれないが、彼自身にはとりたてて恨む相手もいない。
薄れゆく意識の中、最後に彼の頭を過ったのは、「明日の朝、出勤してきた同僚たちは、一体どんな顔をするだろう」と、いたずらを仕掛けたばかりの子供のような想いだったのは、耕介本人にとっても意外な気がした。
◇ ◇ ◇
「……ずぬまさん、水沼耕介さん」
誰かが自分の名を呼んだような、そんな気がした。
耕介が静かに目を開くと、そこには真っ白な空間が広がっていた。
どちらが上で、どちらが下かも分からないような不可思議な感覚。ふわふわと漂うような、そんな感覚だ。
「お目覚めですかぁ?」
声が聞こえた方へと目を向けると、そこには一人の美しい女性の姿があった。
年のころは十八か十九ぐらいだろうか?
ウェディングドレスかと見まがうような、ゴテゴテとした装飾過剰な白いドレスをまとった西洋系の女性である。
青みがかった長い銀髪に、透き通るような白い肌。垂れ目がちの眼は碧く、どこか自信なさげな雰囲気を醸し出していた。
(日本語喋ってたけど……外国人だよな?)
「あなたは? それに……ここはどこなんでしょう?」
戸惑う耕介の様子に、その女性はクスリと笑った。
「ワタクシは女神ベローチェですぅ。ここは審判の空間なのですよぉ」
「女神さま?」
その瞬間、モニター上に映っていた『r』の羅列が耕介の脳裏を過る。
(なるほど、俺は死んだということか……)
「……ここは天国ってことですか?」
「うふふ、天国とか地獄とか、そんなのありませーん。ただの迷信ですぅ。ここはあなたが次に生まれ変わる先を決める場所。人間の罪の重さに応じて、来世に生まれ変わる先を決定する、ただそれだけの場所ですぅ」
「はぁ……?」
「分かりにくいですか? 言ってみれば、ゲームの分岐選択画面みたいなものですね」
「はあ」
ゲームなんて就職してからは全然やってないし、分岐選択画面と言われても、余計にしっくりこない……というか、女神が口にするには例えが俗っぽすぎるような、そんな気がした。
「あら、あまり動揺されないのですね。ここへ来た方は大抵取り乱すものなのですけれど……」
「はあ」
取り乱すには耕介の精神は摩耗しすぎていたし、目の前の光景があまりにも非現実的過ぎて、脳が処理するのを拒んでいたのだ。
「まあ、良いですわぁ。えーとぉ、水沼耕介さん、享年三十八歳、日本国埼玉県蕨市の御出身ですわねぇ」
「蕨? ……違いますけど?」
「うふふ、誤魔化したってダメですよ。もう死んじゃってますからね。ウソついたって生き返ったりできる訳じゃありませんよ?」
「はぁ、そうですか。でも俺、出身、関西なんですけど……」
「またまたぁ」
「いや、ホントに」
「むぅ……」
なんだか急に、不機嫌そうなムスッとした表情になる自称女神さま。だが、そんな顔をされたって困る。事実は事実なのだ。
「あの……?」
「もう! 往生際の悪い人ですねぇー! じゃあ、ちゃんと経歴を確認しますからね。えーと、自衛隊除隊後にフランス外人部隊に入隊して、アフガン駐留部隊に所属。カミカゼコースケと呼ばれ、テロリストとの死闘の末に、町はずれの廃工場で溶鉱炉におちて、アイルビーバックって親指を立てながら死亡した水沼耕介さんですよね?」
「誰だ、そいつ!?」
「違うんですか?」
「違います! 名前以外一ミリだってかすってませんってば!」
「そんなはずは……」
女神は後ろを向いて、なにやらゴソゴソとし始める。そして、
「あっ……」
と短い声を上げて、錆びた機械のようにぎこちなくこちらを振り向いた。
彼の目に、自称女神さまのただでさえ白い顔が蒼ざめていくのがはっきりと見て取れた。
うん、なるほど。
どうやら同姓同名の別人と取り違えたと、そういうことらしい。
彼女はおもしろいぐらいに動揺していて、アワアワと指先で宙を掻いている。
「ど、どうしましょう」
「どうしましょうって言われても……。いや、まあ、むしろ間違えてもらって良かったかも。ロクでもない人生でしたし」
「へ? …………お、怒らないんですかぁ?」
「まあ、ロクでもない人生でしたから」
「な、なんでそんな落ち着いてるのですかぁ?」
(いや、むしろアンタがなんでそんなに動揺してるのかが聞きたいよ。女神さまなんでしょうが……)
そんな想いは胸の内にしまって、耕介は一つ咳払いをする。
「さっき、生き返ったりできる訳じゃないっておっしゃってましたし、騒いでもどうしようも無さそうですから……。どうせ終わるなら、早めに終わってくれて良かったというか……」
途端に女神は困惑するような表情を浮かべた。
「……あっさり受け入れられるとぉ、それはそれで罪悪感がヒドいんですけどぉ……」
(どないせいっちゅうねん)
思わず肩を竦めると、女神はおずおずと問いかけてくる。
「あの……次は亀に輪廻するはずだったんですけど……。別人なんですよね?」
「少なくとも戦場に行ったことはないです」
「アフガンは?」
「マッチョが大暴れする映画でしか見たことありません」
「アレのロケ地はアリゾナ州です。アフガンじゃありません」
(要らなくないか? その情報)
女神はガクリとその場に膝から崩れ落ちる。器用なヒトだ。上も下もわからないって言っているんだから、設定はちゃんと守ってほしい。
やがて、彼女は泣きそうな顔で口を開いた。
「あの……も、元の身体には戻せませんけどぉ、ワタクシの管轄の別の世界に生まれ変わらせることなら出来ますけどぉ……」
「結構です。俺ももう疲れちゃったんで、亀とか良さそうじゃないですか、のんびりできそうだし」
「な、なにか凄いチートスキルとか付けますから……」
「いや、それはそれで、世界を救えとか言われても困るんで」
途端に女神さまはボロボロと泣きながら、耕介の肩を掴んでものすごい勢いで揺さぶり始めた。
「ぞごをなんどかぁああぁあああ!」
「ちょ! は、離してくださいってば!」
「お願いでずぅ。こんどミスしたら、先輩に殺ざれちゃうんでずぅう。望む形で転生ざぜであげまずがらぁあああ! 転生じでぐだざいぃいい!」
これには水沼耕介も引いた。ドン引きである。
(ポンコツだ、こいつ)
「わ、わかりました、わかりましたから!」
「ほんどぅ?」
「はい、本当です。だから泣き止んでください」
ぐすっと鼻をすすりながら見上げてくる女神に、耕介は思わずため息を吐いた。
(ほんと……何なんだこれ)
「じゃ、じゃあ、どんな人物に転生したいですか? できるだけリクエストには応えますけど?」
「どんな……?」
どんな人物と言われてもそれはそれで困る。イケメン? 金持ち? 天才? いやいや、それはそれで、どれもめんどくさそうなことに巻き込まれそうな気がする。
「えーと……楽な人生を歩めればなんでも」
「楽な人生……ですか?」
「ええ、楽したいです。田舎でのんびりって感じで……」
「わ、わかりました! 任せてください! そのかわりお願いですから、ワタクシのミスは誰にも言わないでください!」
必死に懇願する女神の姿に、耕介は思わず苦笑する。
「言いませんってば」
「言ったら、化けて出ちゃいますからね」
「さっき、死後の世界なんてないって言ってませんでしたっけ?」
生まれ変わるというのなら、スローライフも悪くない。
田舎で土にまみれて田畑を耕して、日の出とともに起き出して、暗くなったら床に入るような生活だ。
そういえば結婚だってしてみたいかも。
学生時代には彼女がいたこともあったけど……結婚というものには多少のあこがれがある。
「それでは……」
女神が手を振りかざした途端、光に包まれて耕介の姿が掻き消えた。
女神は「ふぅ……」と小さく息を吐いて額を拭う。
当面の危機は去った。
とりあえず、管轄している世界の中でも、比較的平和な世界エルステイン。その中堅国家フィグマの辺境貴族の子。それも三男坊という、とにかく楽な地位に生まれ変わらせた。
政治に参加出来るような地位ではないし、働かずとも食べていくことに困ることはない。それこそ、指一本動かさずとも、それなりに楽な人生を歩めるはずだ。
その上、こっそりチート能力を与えておいた。彼自身が気付くかどうかはわからないけれど。
これで大丈夫な筈だ……たぶん。
だが、万一、それでも彼が不満を持ったら……。
彼が次にその人生を終えるのは、長く見積もってもおおよそ八十年後。その頃には輪廻転生の担当神は持ち回りで、あの恐ろしい先輩に交代しているはずだ。
そこで彼が、今回与えられた人生に不満を持ってクレームでも付けようものなら、自分がミスを隠蔽した事がバレてしまう。
「そんなことになったらぁ……」
女神は思わず身震いする。
「も、文句をつける気が起きないくらいの、最高の人生を与えるしかありません! 接待! そ、そう接待ですぅ!」
謝罪対応のコツは相手が望む以上のこと、それも相手の想像を超えるレベルの対応をすることだ。そうすればクレーム化することはない。
でも、あれ……なにか忘れてるような? エルステインって確か……。
そこで、女神はさーっと青ざめる。
「あわ、わわわ……わ、忘れてました。そ、そうです! さ、最強の従者を用意しなくちゃ。あっさりと困難を跳ねのけられるぐらいの強力な従者が必要です」
女神は何もない空間に手を伸ばすと、慌ただしく黒電話の受話器を手に取った。