ギョンボーレの都の図書館に入って5ヶ月が経過していた。

「……つまり、ノブナーグ王の部将パクランチョがヘンタルの丘で魔王軍を撃滅したのがヘンタル丘の戦い。で、30年後に魔王軍が奇襲をかけたのがヘンタル川砦の戦い、ってこと?」
「ややこしい。ここは、第一次ヘンタルの戦い、第二次ヘンタルの戦いとしましょう」
「いやパクランチョ将軍の回顧録だと、その10年前にノブナーグが隣国との勢力争いをしているぞ。この戦いを第一次にすべきじゃないか?」
「戦いが多すぎじゃね、この丘……」
「交通の要衝ですし。ヘンタルの街自体が街道の交差点で、大陸最大の貿易港バトレバも近い」
「でもって南のベンチラスカの森は伝統的な魔族の拠点だ」

 見ての通り、皆この世界の知識を驚くほどものにしていた。地理や文化、風習への理解が深まり、それらが全て歴史書の解読に力を与えてくれる。
 もちろんトントン拍子に話が進んだわけではない。むしろ、解読が快調に進み始めたのはここ何週間かの話だ。星見の夜から2ヶ月は足踏みの日々が続いた。それでもあの夜以降、誰も折れなかったのは、皆の中に強い核心が生まれたからだ。

 「子供向けの書物から始める」というマコトの方針。アツシがメモした星物語の内容を手がかりに、同じ内容が記述されたやさしい本を探した。貴族の子どもたちが、乳母や家庭教師に読んでもらうためのものが、まず何冊か見つかった。

「この挿絵、星物語で見たのとそっくりだ。いけるぞこれ!」

 オレたちはまず、その内容を完璧に翻訳できることを目指す。そこで1ヶ月かかった。
 さらにそこから別の児童書の翻訳に取り掛かる。それらの翻訳にさらに1ヶ月。そこから地理担当、聖石担当、交易担当、文化担当、戦記担当といった感じにメンバーを役割分担し、それぞれの分野の大人向け書物に標的を移していった。

 同時進行でオレは異世界語辞典の追加する。皆が本の中から集めてきた、新しい単語や文法をまとめる。そしてリョウの〈叡智投影〉でみんなにフィードバックする。
 追加する分量は、村で覚えた言葉の何倍にもなり、〈連続攻撃〉を丸一日繰り返すような事態にまでなっていた。当然、疲労の蓄積もハンパないものになっており、アツシも翻訳作業を離れ、ほとんどオレ専属の看護師と化していた。

 その甲斐もあって、みんなの集めた言葉が次第に結びついていく。児童書翻訳の途中から、加速度的に読書スピードが早くなった。それに伴い、遅々として進んでいなかった歴史書の解読もスムーズになった。

 そして……

「で、今日の本題だけど……このノブナーグ王って、"彼"だよね?」

 リョウの問いかけに一同うなずく。

 歴史書やその他多くの書物を読んでいくうちに、オレたちは過去の転生者たちの素顔に近づいていった。それは、オレたちも体験した『転生』というシステムそのものを知る事につながるのである。
 ノブナーグ王。勇者歴368年から始まる「三英雄時代(チムセルダー・ケロン)」の主役の一人。
 活発化した魔族の台頭を食い止めるため、当時の神官が呼び出した転生者だ。セロト地方を支配していた魔族・ケイタムを倒し、セロトの領主となる。
 その後、周囲の人間国家と魔王軍双方から包囲網を敷かれながらも、経済と軍事で才能を発揮し、大セロト王国を打ち立てた。オベロン王の歴史書の中には、とりわけ偉大な英雄(セルダー)と記されている。

「ノブナーグ王の偉業に"彼"との共通点が多する。例えばコレ、バトレバ港の支配」

 ハルマが語り始めた。元クイズアスリートの本領発揮と言ったところだ。

「セロトの領主になった直後、王は隣国の人間国家ヘンタルに侵攻。が、彼は都を攻めるのではなく、バトレバ港の支配権を奪い取るだけで戦争をやめた。それと同じ頃に、領内の通行税を廃止して流通を活性化させている。経済を重視し、堺を直轄地にしたり関所を廃止したりした"彼"にそっくりです」
「戦争のスタイルもそうだな」
「はい。これは星物語にも出てきた有名なシーンです」

 ハルマは子供向けの絵物語を広げた。ノブナーグ王は詠唱に時間のかかる大型攻撃魔法に特化した術士に多額の報酬を約束してかき集め、特別部隊を編成した。この術士隊は、例のヘンタルの丘の戦いで、柵に囲まれた即席の砦から魔王軍に集中砲火を浴びせて大活躍したという。

「魔術師を火縄銃に置き換えれば、まんま……」
「長篠の合戦……」

 "彼"の代表的な戦いだ。日本史上で最も有名な一人。社会の授業を真面目に受けてなかった人でも、"彼"の名くらいは知ってるはずだ。

「大セロト王国初代国王・ノブナーグの正体は、織田信長だ」

 来てたんだ……。歴史上のヒーローが、オレたちと同じ転生者としてこの世界で活躍していた。不思議な感動が胸を包んだ。

「じゃじゃ……じゃあ、あとの二人については……?」
「それも、考えられる人物がいます」

 この時代には他に二人の転生者が召喚されている。一人は、ヴェサラ共和国の政治家で、後に皇帝となったユリュス。そしてもうひとりは、ミゼール王国の大宰相として辣腕をふるい、政治・軍事・文化にさまざまな革命をおこしたツァツァウだ。
 この3人は368年に三国同盟を結び、大魔王ゲザリアを討伐、人間の歴史の最盛期を築き上げた。これが「三英雄時代」だ。

「ユリュスはユリウス・カエサル。ツァツァウはツァオツァオ、つまり曹操でしょうね」

 古代ローマのカエサルと、三国志の曹操。どちらも世界史的には信長以上のビッグネームだ。

「三英雄時代……豪華すぎるな」

 信長とカエサルと曹操の3人が協力し魔王を倒した時代。なんでその時代に召喚してくれなかったのかと思わず思ってしまう。

 あれ……? でも、その時代?

「けど、それっておかしくない?」
「おかしいって何が?」
「いやだって……」
「信長とカエサルと曹操じゃ死んだ時代がぜんぜん違う、そういう事でしょ?」

 リョウがオレの違和感を代弁する。

「織田信長は戦国時代の人間。カエサルは……紀元前だよね、たしか?」
「曹操は日本だと卑弥呼とかの時代だっけか? 魏志倭人伝って確か関係あっただろ」

 時代の違う3人が、死後同じ時代に召喚された。つじつまが合わないのではないか?

「てことは、死んだ時代と転生する時代は一致しない?」
「まさか……」
「いやでもここにいる全員、令和の初期の人間だよな?」

 みんな一斉に、隣の奴と顔を見合わせる。それは以前、皆で生前の話をしたことで確認にしている。全員あの世界では昭和の末期から平成の間に生まれ、令和に変わった少し後に死んだ。大正生まれや、令和の次の年号を知っている奴はいない。

「あの僕、翻訳しているときからちょっと不思議に思ったことがあるんですけど……」
「どうした、アツシ?」
「ノブナーグ王って神官に召喚されたんですよね? この神官って誰です? 僕たちのとき、そんな人いました?」
「あっ!!」

 確かにそうだ! オレが転生したときは、あの女神が発した光に飲み込まれたあと、一人で街道のど真ん中に立っていた。

「気がついたら、誰もいない道の上にいたな俺」
「そういえば、俺は一人で山の中に……」
「アタシは街の路地裏だったなー」
「神官なんていなかったし、召喚されたって感じでもなかったな」

 他の奴らも、スタート地点は違えど一人でこの世界に放り出されたのは同じらしい。

「そもそも、おかしいんですよ。この歴史書には登場する転生者が少なすぎます。魔王が現れた時代に、神官が儀式して一人を呼び出す感じで……どんなに多くてもその時代出てくる転生者の名前は数人なんです」
「それは……歴史に名を残した転生者しか扱われてないだけなんじゃ?」
「そうとも考えられます。けど……じゃあ逆に、なんで今の時代には織田信長のような転生者がいないんですか? 三英雄時代と同じように、スゴイ人が来てたっていいでしょう?」

 うん、アツシの言う通りおかしい。オレやここにいるみんなもそう。ガズト山に置いてきたアマネもそう。聖石を奪っていったオクトやアグリやジュリアもそうだ。全員、何者でもないごくごく一般的な21世紀の日本人だ。

 明らかに、転生のルールが三英雄時代とは変わっている。