「今日のお仕事は小倉ですね。なになに……『競馬競輪競艇でスりまくってダメダメな亭主に何かお仕事ください』あらまあ奥様からのご連絡ですか」
「種族見てみろ」
「え……件(くだん)さん!? 件さんって予言できるんじゃないんですか!?」
「しかも元々の生業は占い師なんだとさ」
「博打でスる件(本業占い師)って最悪じゃないですか?」
「真面目に生きていればいいのに」
「この方にお仕事何ご紹介すればいいのやら……」
「明日は門司の方にも足を伸ばす。資料を確認したら、ついでに甘口の焼きカレー屋も調べといてくれ」
「ああっ、めっちゃお腹空いてきた」
もうすぐ冬が来る。
先日24歳の誕生日を迎えたばかりの私は、今日は篠崎さんと二人、北九州市の小倉まで向かっている所だ。
私はちらりと、運転をする篠崎さんを見やる。車内に流したジェリッシュの音楽がすっかり耳についているのか、時折無意識に小さく口ずさんでいるのが可愛い。指摘すると絶対歌ってくれなくなるから言わないけど。
でもリズムに合わせて、ちょっと尻尾が揺れてパシパシこちらに当たってるのは言ってもいいかもしれない。
「どうした、ニヤニヤして」
「なんでもありません」
寒くなってきたけれど、篠崎さんは最近首元が開いた服を着るようになった。
今日も運転中はシャツの襟を緩めている。真夏でも仕事あがりでも、いつでもネクタイを上まできっちり締めていた篠崎さん。
胸に刻まれていた紋様が消えているのを、私は知っている。
「……ワイシャツからVネックの肌着が透けてるのって、ちょっとえっちですよね」
「最っっ低ーーーーだなお前、狐(ひと)が運転してる最中に」
「痛い痛い、尻尾で叩かないで、換毛期だからわっさわっさする」
「セクハラで訴えてやる。hey.si○i〜! 福田先生に電n」
「ぎゃーごめんなさい!! あっチョコありますよチョコ! チョコあげます」
私はトートバッグからチョコレートを取り出し、一欠片を篠崎さんの口に差し出した。
無言で口を開いた篠崎さんは、そのまま仕返しとばかりに指をひと噛みしてきた。痛い。
「そういえば篠崎さん、エキノコックス大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃなかったら今頃お前ただじゃ済んでないだろ」
こんな話をしていると、車は小倉南ICに到着する。
ETCを抜けて国道に入って落ち着いたところで、私は篠崎さんに話しかけた。
「篠崎さん、私の霊力を吸っても根性で耐えてたふりをしてましたけど。あれって私が桜(ごしゅじん)の魂を持ってたから、吸い尽くせなかっただけだったんですね」
「ま、そういうことだ」
「私てっきり、すっごい自制心強いんだと思ってましたよ」
「獣の本能は自制心だけじゃどうしようもねえな、正直なところ」
篠崎さんはそう言って、ぺろりと舌を出してみせた。
ーー今、私は篠崎さんに霊力を吸われる必要がない。
私のだだ漏れ霊力は、まだ使役契約が続いたままの九尾狐・春ちゃんがきっちり封印してくれているので、好きな時に出し入れできるようになっていた。呪符は相変わらずICカードを使っている。
「でも、ちょっと残念だな」
私の言葉に篠崎さんが答える。
「何が」
「篠崎さん、口実ないとなかなかキスしてくれないじゃないですか」
篠崎さんの反応が止まる。私は渋滞に巻き込まれた車内で、やれやれと大袈裟に肩をすくめてみせた。
「最初はとんだ大胆な狐さんだな〜と思ってたけど、まさか案外奥手な狐(ひと)だなんて思いませんでしたよ」
「……」
「森で再会した時だってキスしてくれなかったし。もしかして桜さんともキスしたことなかったり」
「うるさい黙れ吸い尽してやろうか」
「えー嫌ですよ。吸い尽くされたらすぐに寿命終わっちゃうじゃないですかー」
信号停車になり、何気なく篠崎さんを眺めてみる。そして私は固まった。
篠崎さんが顔を真っ赤にして、こちらを思い切り睨みつけていた。瞳が獣のそれだ。
ーーやばい。ちょっとからかいすぎた。かも?
「………今夜はこっちで泊まりだっての、忘れてんだろうな」
「あ」
ひゅっと、喉の奥で息を呑む。
篠崎さんは苛立ちと怒りをたっぷり込めた眼差しで、私を眇めて笑った。
怖い。これまでで一番、篠崎さんが怖い。
「今言ったこと、よおおおおおく、覚えてろよ」
「え、えっと……その……」
最悪のタイミングでジェリッシュの曲が止まり、私の社用スマホが呼び出し音を鳴らす。
篠崎さんは前を見たまま、低い声で私に命令した。
「出ろ」
「…………はひ」
私は頬を軽く叩き体を冷やすと、頭を仕事モードに切り替えた。
「お電話ありがとうございます、こちら、あやかし移住転職サービス菊井が承ります。……あっ福田先生、あ、はい……ええ!? 件さんが裁判で訴えられるかもって!? それってもしかして小倉南区のーー」
忙しい一日は始まったばかり。
今日も夜までとりあえず、平和で慌ただしい「普通」の日常が過ごせそうだ。
「種族見てみろ」
「え……件(くだん)さん!? 件さんって予言できるんじゃないんですか!?」
「しかも元々の生業は占い師なんだとさ」
「博打でスる件(本業占い師)って最悪じゃないですか?」
「真面目に生きていればいいのに」
「この方にお仕事何ご紹介すればいいのやら……」
「明日は門司の方にも足を伸ばす。資料を確認したら、ついでに甘口の焼きカレー屋も調べといてくれ」
「ああっ、めっちゃお腹空いてきた」
もうすぐ冬が来る。
先日24歳の誕生日を迎えたばかりの私は、今日は篠崎さんと二人、北九州市の小倉まで向かっている所だ。
私はちらりと、運転をする篠崎さんを見やる。車内に流したジェリッシュの音楽がすっかり耳についているのか、時折無意識に小さく口ずさんでいるのが可愛い。指摘すると絶対歌ってくれなくなるから言わないけど。
でもリズムに合わせて、ちょっと尻尾が揺れてパシパシこちらに当たってるのは言ってもいいかもしれない。
「どうした、ニヤニヤして」
「なんでもありません」
寒くなってきたけれど、篠崎さんは最近首元が開いた服を着るようになった。
今日も運転中はシャツの襟を緩めている。真夏でも仕事あがりでも、いつでもネクタイを上まできっちり締めていた篠崎さん。
胸に刻まれていた紋様が消えているのを、私は知っている。
「……ワイシャツからVネックの肌着が透けてるのって、ちょっとえっちですよね」
「最っっ低ーーーーだなお前、狐(ひと)が運転してる最中に」
「痛い痛い、尻尾で叩かないで、換毛期だからわっさわっさする」
「セクハラで訴えてやる。hey.si○i〜! 福田先生に電n」
「ぎゃーごめんなさい!! あっチョコありますよチョコ! チョコあげます」
私はトートバッグからチョコレートを取り出し、一欠片を篠崎さんの口に差し出した。
無言で口を開いた篠崎さんは、そのまま仕返しとばかりに指をひと噛みしてきた。痛い。
「そういえば篠崎さん、エキノコックス大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃなかったら今頃お前ただじゃ済んでないだろ」
こんな話をしていると、車は小倉南ICに到着する。
ETCを抜けて国道に入って落ち着いたところで、私は篠崎さんに話しかけた。
「篠崎さん、私の霊力を吸っても根性で耐えてたふりをしてましたけど。あれって私が桜(ごしゅじん)の魂を持ってたから、吸い尽くせなかっただけだったんですね」
「ま、そういうことだ」
「私てっきり、すっごい自制心強いんだと思ってましたよ」
「獣の本能は自制心だけじゃどうしようもねえな、正直なところ」
篠崎さんはそう言って、ぺろりと舌を出してみせた。
ーー今、私は篠崎さんに霊力を吸われる必要がない。
私のだだ漏れ霊力は、まだ使役契約が続いたままの九尾狐・春ちゃんがきっちり封印してくれているので、好きな時に出し入れできるようになっていた。呪符は相変わらずICカードを使っている。
「でも、ちょっと残念だな」
私の言葉に篠崎さんが答える。
「何が」
「篠崎さん、口実ないとなかなかキスしてくれないじゃないですか」
篠崎さんの反応が止まる。私は渋滞に巻き込まれた車内で、やれやれと大袈裟に肩をすくめてみせた。
「最初はとんだ大胆な狐さんだな〜と思ってたけど、まさか案外奥手な狐(ひと)だなんて思いませんでしたよ」
「……」
「森で再会した時だってキスしてくれなかったし。もしかして桜さんともキスしたことなかったり」
「うるさい黙れ吸い尽してやろうか」
「えー嫌ですよ。吸い尽くされたらすぐに寿命終わっちゃうじゃないですかー」
信号停車になり、何気なく篠崎さんを眺めてみる。そして私は固まった。
篠崎さんが顔を真っ赤にして、こちらを思い切り睨みつけていた。瞳が獣のそれだ。
ーーやばい。ちょっとからかいすぎた。かも?
「………今夜はこっちで泊まりだっての、忘れてんだろうな」
「あ」
ひゅっと、喉の奥で息を呑む。
篠崎さんは苛立ちと怒りをたっぷり込めた眼差しで、私を眇めて笑った。
怖い。これまでで一番、篠崎さんが怖い。
「今言ったこと、よおおおおおく、覚えてろよ」
「え、えっと……その……」
最悪のタイミングでジェリッシュの曲が止まり、私の社用スマホが呼び出し音を鳴らす。
篠崎さんは前を見たまま、低い声で私に命令した。
「出ろ」
「…………はひ」
私は頬を軽く叩き体を冷やすと、頭を仕事モードに切り替えた。
「お電話ありがとうございます、こちら、あやかし移住転職サービス菊井が承ります。……あっ福田先生、あ、はい……ええ!? 件さんが裁判で訴えられるかもって!? それってもしかして小倉南区のーー」
忙しい一日は始まったばかり。
今日も夜までとりあえず、平和で慌ただしい「普通」の日常が過ごせそうだ。