「尽紫(つくし)……」
「春ちゃん……」
「まだ私のこと、春ちゃんって呼んでくれるのね」

 少し悲しげな顔をして、春ちゃんが微笑む。今日は最初から隠す気がないらしく、髪は狐色で尖った耳も晒し、白いワンピースからは九尾の尾がふわふわとまろびだしている。
 春ちゃんは篠崎さんに近づくと、そっと背中に額を寄せた。

「負けたわ。大好きな弟も桜も楓も、不幸になってほしくなくて色々やったけど、余計なお世話だったみたいね。あとは紫野が決めなさい」

 春ちゃんは名残惜しそうに背中から離れる。そして風に髪を押さえながら、私たちに笑顔を作ってみせた。

「もう、私は一人で『彼方』に行くから安心して……ごめんなさい、私の勝手に振り回して」
「え?」

 思わず変な声が出る。
 私は篠崎さんの腕の中から抜け出して、私は春ちゃんの両手を握った。

「か、楓ちゃん?」

 目を丸くして狼狽える春ちゃん。狐色の髪をしていると、本当に篠崎さんとよく似ている。
 私はその綺麗な顔に詰め寄った。

「何で行くの」
「え?」
「いく必要なくない? 一緒にこれからも暮らそうよ」
「え、ええー……」

 大きな目を瞠り、春ちゃんが困惑した顔で私をまじまじと見つめた。

「怒ってないの、楓ちゃん……?」
「いや、別に……だって春ちゃん、自分が一番悪者になって、私たちが幸せになるように考えてくれてたんでしょ?」
「そう、だけど」
「ならいいじゃない。一緒にこれからも遊んだりしてよ」
「それでいいの…?」
「むしろ幼馴染が一人減っちゃうのは寂しいんだけど!」

 春ちゃんはずっと一緒にいた大切な友達だと判明したばかりなのに、消えるなんて寂しすぎる。
 率直な私の言葉に何を思ったのか、彼女は吹き出し、ケラケラと笑い始めた。

「本当に、変な子なんだから」

 篠崎さんも苦笑いを浮かべて首肯する。

「本当に変なやつだよな、こいつ」
「え、何、何も変なこと言ってないよ!?」

 春ちゃんがひとしきり笑って落ち着いたところで、姉弟は視線を交わし合う。
 二人は何かしら憑き物がおちたような、晴れ晴れとした目をしていた。

「……そうね。こんな子と弟を『此方』に残して、一人だけ『彼方』になんて行けないわ」

 春ちゃんは私の背中を押して、そっと篠崎さんの前に出す。
 私たち二人は、互いに向かい合い見つめ合った。

「楓」
「……はい」

 金色に輝く綺麗な瞳に、私の真剣な顔が映り込んでいる。
 篠崎さんの髪が秋風にそよぐ。私はきっと、この光景を一生忘れないと思った。

「なるべく善処するが、お前に桜を重ねてしまうことがあっても許せ」
「織り込み済みです。元カノ引きずった人と付き合うなら当然の事だと思います」
「……お前、元カノいる奴と付き合ったことあるの」
「あるわけないじゃないですか。23年お付き合いの経験なんて一切ないです」
「まずは人間試してからじゃなくていいのか」
「試しで誰かとお付き合いするつもりはありません」
「……俺と一緒にいて、あやかし関係の面倒ごとで死んでも知らねえぞ」
「どのみち長生きしたって残り80年程度なんですから、精一杯守っていただけると信じてます」
「俺から離れるな」
「貴方こそ、私の傍にいてください。私がおばあさんになっても、どんな姿になっても、いつまでも」
「……これからずっと俺をひとりにしないで欲しい」
「ご希望に合わせて、人間辞めることも検討します」
「それはゆくゆくでいいから。……楓、」

 そのまま、篠崎さんの腕が私の体を包み込む。
 真っ白な着物にファンデがつかないようにしながら、私は篠崎さんの首にぎゅっとしがみついた。

「もう、おいて行かないでくれ」
「もちろんです。篠崎さんも約束してくださいね」
「……ああ。もう離すものか」

 篠崎さんの背後で、春ちゃんが、私に目配せする。
 唇だけで「またね」と言い残し、手を振って春ちゃんは消えた。

 また、秋風が吹く。篠崎さんの耳と尻尾が風に揺れる。
 紅葉が髪にからまったのを指で取れば、篠崎さんは眉を下げて微笑んでくれた。

「ねえ、篠崎さん」
「ん」
「また、キスしてくださいよ。今度は霊力吸わない、普通のキス」
「……今度な」
「えー」

 どちらからともなく微笑み合い、私たちは二人っきりで、額を寄せ合ってくすくすと笑った。
 身を寄せて体温を分け合っているだけで、なぜだかこれまでのキスよりずっと幸せな気持ちになった。
 永遠に、こうしていられると思った。

 ーー四百年に渡る篠崎さんの恋は、これにてハッピーエンドだ。