車は迷いなく都市高を走り、そこから東区のICで降りて立花山の方へと向かっていく。山の麓から更に山の中に入り、ワゴンで通れる限りの細い山道をどんどん登っていく。
 秋が深まって紅葉し始めている窓外の景色を眺めながら、私は独り言のように呟いた。

「立花山といえば遠足で登った山って印象ばかりでした」
「ふむ。私は知らなんだが、最近の東区住まいの子でもそういうものか」

 高橋様の言葉に私は頷く。

「私は香椎駅より海側なので、こちらは普段の生活圏内というわけじゃなかったですね。……そういえば、春ちゃんとは何度か登ったことがあるかも」
「そうか。もしかしたら彼女は、楓にかつてのことを思い出して欲しかったのかもしれない」
「高橋様」
「ん?」
「私、……柳川では、問答無用で記憶を消されて、去られちゃったんです。そんな私が、強引に会いにいくって、……やっぱり迷惑かもしれません」
「迷惑だろうな、と私がいえば、楓殿は行くのをやめるか?」

 私は首を横に振る。そして高橋様を見た。

「せめて別れるとしても……『桜』じゃなくて、『楓(わたし)』として、きちんと二人に気持ちを伝えたいです」
「気持ちを伝えるのは大切だ。大切な相手なら尚更」

 高橋様は柔らかく微笑んで、足を組み替えて遠くを見る。

「……私もかつて、死を目前とした時、婿に出した子から身を案じる便りが届いた」

 その横顔は、ひどく懐かしそうな顔をしていた。

「息子は私に撤退し、共に戦おうと提案した。だが私はそれに応えなかった。……その戦は私が決死で果たさねばならぬ、最期の役目だったからな。もちろん息子も私の矜持を分かった上で、それでも最期の手紙をよこしたのだろう」
「高橋様……」

 私は彼についてWikipediaで流し読みしたことしか知らない。わかるのは高橋様が大勢の敵に対して少数の兵で戦ったことや、彼と家臣の皆さんが時間稼ぎをした結果、息子さんにはぎりぎりで援軍が間に合ったということだけ。文字で読むだけででも壮絶な戦いをしてきた人が、こうして隣で穏やかな顔で微笑んでいるのは不思議だった。

「結果を変えられるとしても、変えられずとも、大切な相手に気持ちを伝えるのは良いことだ。……私は少なくとも、子の気遣いが嬉しかったよ」
「高橋様……」
「まあ、そのためには相手を会話の土俵に立たせなければまた逃げられる話だが」
「そうなんですよ。それが不安なんです」
「逃げられないようにするには、どうすればいいのか、か……よし、私が一つ策を伝授しよう」
「本当ですか!?」
「ああ、任せろ」

 高橋様が私にひそひそと計画を伝えてくれる。
 シンプルかつわかりやすい妙案に、私の心は弾んだ。

「ありがとうございます! やってみます!」
「二人とも、そろそろ話終わった?」

 車をとある路側帯に停車した徐福さんがバックミラー越しにこちらに話しかけてきた。

「ここからは霊力でびゅっと行くから、捕まっといて」
「え? 霊力って……」

 その瞬間、体が宙に浮くのを感じて目を閉じる。
 地面に降り立った感覚がして目を開けば、そこはどこかの山中だった。

「ここは……」

 辺り一面燃えるような紅葉で真っ赤に染まったこの場所は、まるで幻術で生み出した領域のように幻想的だ。
 キョロキョロしていると、肩をつんつんとした徐福さんに顎で足元を示された。

「それ。それがあの筑紫野姉弟の祠ね」
「え? それって言われても……」

 私は足元をじっと確かめる。よく見れば確かにそこには、拳ほどの大きさの岩が二つ、寄り添い合うように落ち葉に埋もれていた。
 ぱっと見では岩があることもわからないほど、苔生して埋もれている。
 私は膝をついて紅葉や落ち葉や土をかき分け、岩を露にする。

「篠崎さん……春ちゃん……」

 隣に高橋さんが片膝を立ててしゃがみ、苔生した岩の汚れを優しく撫でて払い落とす。

「二人は旧い神だ。本来は鳥居や祠に住まう神ではなく、こうして自然の中に暮らしていた獣(かみ)だったのだ。大和言葉ではない『春雷』という名も、大陸文化に通じたこの土地の古い神だからこそ、発展を願った民に名付けられた名だろう」


 岩に触れる。その瞬間、頭の中でいろんな景色が巡る。
 繁栄を象徴する、黄金色の稲穂の海を駆ける二匹の狐。
 服装も言葉も今とは全く違う人々が、今と変わりない笑顔と感謝を込めて彼らに祈りを捧げる。
 二匹の狐は幼い子供の姉弟となり、手を取り合って楽しそうに駆ける。
 ーー二匹で完璧で、二匹で永遠だった。

 金色の稲穂の海が、桜の花吹雪に洗い流される。
 花吹雪の乱れる中、一人の少女が綺麗な少女を連れ、二匹の元へ駆け寄っていく。
 少女は勢いよく、二匹に向かって飛びついた。
 三人で笑い合いながらゴロゴロと転がるのを、綺麗な少女が笑いながら幸福そうに眺めていた。

 桜吹雪が消えたとき、世界は暗闇だった。
 姉は弟の首を締め、弟は姉の元から人里へとかけていった。
 姉は一人ただ、悲しげな顔をして弟の背中を見つめていた。

「楓殿、楓殿」

 名前を呼ばれ肩を揺すられハッとする。
 高橋様が気遣わしげにこちらを覗き込んでいた。

「呑み込まれていたぞ、大丈夫か」
「あ……はい。ありがとう、ございます」
「危なっかしいね、そのだだもれ素人。早く狐と仲直りして、もっと修行積んどいて」

 徐福さんは肩をすくめて踵を返そうとする。高橋様が笑顔で言った。

「あ、車は置いていってくれ」
「随分なこと頼むね、あんたは」

 ーーその時。
 ガサガサと足音が近づいてくる。
 なぜだろう。その足捌きでもう、誰が来たのか私は気づいてしまった。

「楓」

 掠れたような、聴き慣れた声に名を呼ばれる。
 振り返れば、燃えるように真っ赤な紅葉の中、白装束を纏った綺麗な人が立っていた。

「…………どうして来た」

 篠崎さんだ。
 私は彼を見つめたまま、静かに片足を後ろに引く。
 低く構えてコンマ1秒、思い切り叫びながら、手のひらを思い切り突き出す。

「破ーーーーーーーッ!!!!!」
「!?」

 私の霊力で篠崎さんが吹っ飛んだ。