徐福の元に足音が近づく、その少し前に話は遡る。


ーーー

「いいか、楓殿」

 炎を頂いたまま跪いた鬼へと目を向けながら、高橋様は言葉を紡ぐ。

「術も人それぞれ、得手不得手があるものだ。私のように生まれた時から鬼に馴染み修行を積んだ者ならばある程度の不得手は剋しているのだが、楓殿はずぶずぶの素人。礎となる知識も経験もない」

 気がつけば彼はスーツの上からひらひらとした透けた、紗のロングコートのようなものを羽織っている。洋装のような僧衣のような不思議な装いだった。

「私は元々、実家の関係で生前より修行を積んでいた。お陰でこういう立場になってもすぐに馴染めたが」
「さすが寺関係生まれでいらっしゃる」
「だが、素人とはいえ、楓殿はびっくりするほど勘がいい」
「勘、ですか」
「ほぼ直感だけに霊力を費やしていると言っても過言ではない。まあ恐らく、他の第六感を封印されていたからこそ、勘だけが冴え渡ったというのもあるのだろうが」

 びし、と高橋様は私を指す。

「楓殿。その馬鹿正直な勘のパワーを使って迷陣を抜けるぞ」
「できるんですか?」
「やってみらんと何も始まらんよ」

 高橋様はおもむろに私のトートバックにぶら下げたICカードはや○けんを取り出すと、失礼、と言った後に私の額にぺとりと貼る。

「目を閉じたまえ楓殿。そしておでこのICカード……ち○まるくんの笑顔を強く思うのだ」
「ち、ち○まるくん……」

 高橋様が離れた感覚がする。遠くから、高橋様が私の名を呼んだ。

「楓殿。目を閉じたままおでこに集中して、私の霊力を『視』なさい」
「視る……ですか?」
「そうだ。ゆっくりでいいから。暗闇の中、私の霊力が見えて来る瞬間があるはずだ」

 私にそんなことができるのかと、半信半疑のまま私はおでこに集中する。しばらくして、チカ、と何か感じるものが、右前方に小さく煌めいた。それはまるで、じっと夜空を見上げている時、不意に小さな星の在処に気づくような。

「見えました! 右にいらっしゃいますね! あ、動いた!」
「そうだ! それでいい!」

 高橋様の声がはずむ。

「楓殿。その調子で徐福殿を『視』なさい。目を開かずに、徐福殿の霊力を辿るのだ」
「で、できますかね?」
「できるさ。ち○まるくんも私も応援しているぞ。さあ、頑張れ!」
「はい!!」

 なんだか高橋様は乗せるのがすごく上手だ。さすが763人の軍勢で数万の兵と籠城線を繰り広げた伝説の戦国武将。私はだんだんできる!という気持ちが満ちてきて、おでこに集中して徐福さんをたどった。

「高橋様! なんだか細い糸のようなものが見えてきました!」
「でかした! よし、次は目を閉じたまま走りなさい!!」
「そ、そんなことしたら転けません!?」
「問題ない。さっき見ただろう、私の鬼たちに合わせて旅館が歪んだのを。ここはそういう空間だ、とにかく考えるより走るのが大切だ!! 私もついていくぞ!」
「は、はい!!」
「思い切って行け!!」

 私が思い切って駆け出すと、後ろから高橋様の革靴の音と、ドスドスと床を揺らす鬼さんたちの足音が続く。
 高橋様の言う通り、私は不思議と何にもぶつからない。糸を辿るように一心不乱に走ったその先にーー眩い霊力のゴールが見えてきた。

「そこだー!!!!」

 私は叫びながら、思いきり光の中へと飛び込んだ。


ーーー


「見つけましたよ! 徐福さん!!!」

 ーー本当に迷陣を抜けることができてしまった。高橋様を振り返れば、彼は腕を組んで力強く頷いてくれる。

「不敢相信(しんじらんない)。適当に作った迷陣だけどまさか、素人が抜けられるなんて」

 私の目の前には面食らった顔をして固まる徐福さんの姿があった。びし、と彼を指差しながら、私は妙な感覚を感じる。

「あれ? なんかちょっと違う匂いもする……?」
「ふふ、私はもう分かったぞ」
「ちょっと待ってください、自分で当ててみます高橋様」
「頑張れ」

 今の私は霊感が冴えている。思考を巡らすより早く結論に辿り着いた。

「わかりました! ここに春ちゃんーー尽紫の狐さんがいましたね!?」
「うむ」
「………正确(せーかい)」

 さも不快そうに眉根を寄せ押しだまった徐福さんに、私は頭を下げた。

「お願いします! 二人の居場所を教えてください!」
「……」

 彼はじっとりとした半眼で高橋殿を見やった。

「旦那、なんでたった少しの時間で、ここまで鍛えちゃったわけ?」
「私の力ではないさ、彼女の努力と勇気の結果だ。よくやったぞ、楓殿」
「た、高橋様……!」
「もー。人たらしってこわーい。面倒ったらありゃしなーい」
 
 徐福さんは唇を尖らせて女子高生のような口調で不満を口にすると、仕方ない、と言った様子で立ち上がった。

「まいっか、それだけ菊井サンがレベルアップしてくれたら、今後スカウトしがいがあるってものだし」
「徐福殿。彼女は()()()()

 高橋様は笑う。

「せっかく引き抜くなら、経験ある人材の方が良いだろう。そういう意味でも彼女を本気で求めるのならば一度、紫野の元に返してやった方が良いと思うぞ?」
「確かに旦那のいう通りだ。ウチでこの変な素人を一から修行させるのはコスパが悪いね」

 徐福さんが宙に向かってフッと息を吐くと、たちまち空間が煙のように揺らめいて、博多駅前筑紫口のワゴンの中に戻る。ーー本当に、ワゴンの中で術にかけられていたのだと思うとただただ驚くばかりだ。

「シートベルトして。行くと決めたらさっさと行くよ」

 徐福さんはワゴン車のエンジンをかける。そのまま車はロータリーを抜け、都市高速へと乗り込んでいった。
 見慣れた場所にどんどん向かっていく車。私は思わず徐福さんに尋ねる。

「あの、これどこに向かってるんですか?」
「君がよく知る場所だよ」
「……私の実家?」
「なんでそうなるの」

 呆れた顔をする徐福さんの代わりに、隣の高橋様が「なるほど」と言う。

「まだあの二人は、立花山にいるのだな?」