「ふー、吃了一惊(びっくりした)」
徐福がゆったりと一人掛けの椅子に背中を預けると、空間から溶け出すように襦裙を纏った女官たちが現れる。彼女たちはそれぞれ徐福の肩を揉み、扇であおぎ、茶の準備を始める。
徐福はされるがままに寛ぎながら眼鏡を外し、やれやれ、といった様子でそして目頭を揉んで目を閉じた。
「面倒事に巻き込まれるのは嫌いなんだよね。諦めてくれればいいけど、小娘だけならともかく彼がいるのがネ……」
ーーまあ、考えても詮無いことだ。
そう思ってまどろみかけた徐福の上に、ぎゅっと重たい物が乗る。
「誰」
「目を開けたらいかが? 方士様」
目を開けばそこには、髪を長く伸ばした狐の童女が腹の上に座って頬を膨らませていた。仕草は可愛いが、広がった九尾が、童女の可愛げのない霊力を示している。徐福の構築した旅館に容易く侵入してくるなど、並大抵ではない。
彼女はじっと、金色の双眸で睨みつけてくる。
「私、楓に手を出さないでって、貴方に約束してなかったかしら?」
「さあてね。こっちこそ、そちらの面倒に我を巻き込まないでほしいんだけど」
「……」
双方じっと見つめ合い、暫し沈黙する。
お互い実力行使に出ないのは、強い霊力を持つ者同士の暗黙の了解だ。そもそも元人間の二千年の方士と千年の女狐、相性はとんでもなく悪い。悪いからこそ互いに領域を侵さぬよう、無難な関係を築いてきた。
それをぶち壊すのはーー素人の変な霊力だだもれ女、だ。
「……そもそも」
徐福は口を開く。
「菊井楓ーー彼女が己の自由意志で、ここで働きたいと言い出したら貴方は否定できないでしょ?」
「楓はそんな事言わないわ」
「そう、言わないで欲しいと願うしかない」
「……」
僅かに耳を震わせる女狐に、ニィ、と目元だけで徐福は笑う。
「契約切ればよかったじゃない。弟は切ったんでしょ? なぜ弟には、あの娘が前世とは別人と思い知らせた癖に、自分だけは刻まれた絆を後生大事にとっておくの」
「彼女の霊力を見守る必要があるからよ。素人のあの子を、貴方のような人に利用されないようにね」
「愛してるくせに」
徐福が言葉を発した瞬間、九尾の女狐の双眸が光る。部屋に雷光が轟く。部屋の中にいた徐福の女官たちが、たちどころに煙となって消えていく。
「おお、怖い怖い。でも我、女性(にょしょう)と狐の面倒事は逃げると決めてるのよね」
雷光を軽々と袖で交わし、笑みを絶やさず徐福は余裕を見せる。
女狐は舌打ちし、掲げた手を下ろした。
「……とにかく。楓は渡さないから。絶対」
「だから、それは女狐如きが決められることではないでしょ?」
「……」
「さて、もうこの空間にあの娘を捕らえて暫く経つ。……例の我慢比べに慣れた旦那ならともかく、普通の娘ならそろそろ根をあげる頃じゃ、」
その瞬間。
部屋の方に向かって、地鳴りするような駆け足が近づいてきた。