よく晴れた日の川下りは、緑の美しい枝垂れ柳の風情が見事だ。
私たちは水路を通る川下りを楽しみ、終点の城下町らしい、白壁と掘割と柳が美しい地区に辿り着いた。どうやらここが、城下町らしい風景を楽しむ中心地のようだ。
とても綺麗でのどかな観光日和なのに、私は謎の動悸が止まらないでいた。
切ないような、ぎゅっと胸が苦しくなるような。泣きたくなるような、そんな変な感じ。決して不快じゃない。むしろ景色の全てが輝いて見える。私はなんでこんな気持ちになっているのだろう。
「楓ちゃん、大丈夫?」
船を降りた後に鰻屋さんまで歩きながら、春ちゃんが私の背中を撫でる。
「具合が悪いなら少し休む? 鰻も……」
「大丈夫、すっごくお腹は空いてるし鰻って聞くだけで涎が出てきちゃいそう!」
私は慌てて笑顔を作る。特に具合が悪いわけではないので申し訳ない。心配そうにしてくれる春ちゃんを前に、私はなんとか取り繕おうとする。
「えっと、なんだろう……うまく言えないけど、切ないというか、すっごくうわーって気持ちになるって言うか……どこか懐かしい風景だからかな? 城下町だし、あはは」
私にとって懐かしいのは香椎の住宅街なのに、何を言っているんだろう。よくわからない言葉を捲し立てる私を、春ちゃんはじっと黒い瞳で見つめてくる。彼女はどこか、私の様子を観察しているように見えた。
「きっと歩き疲れたのよ」
「そうかな……?」
「鰻の予約の時間にはまだ余裕があるし、御花にいきましょう。庭が綺麗なのよ」
「御花……そういえば、チケット貰ったって言ってたね」
「ええ。お殿様の別邸なのよ」
春ちゃんは私の手を取ると、観光客の賑わう通りを通り抜け、目的地まですいすいと向かう。
訪れたのは白壁の西洋建築と日本建築の屋敷が連結したような造りの立派なお屋敷だった。ひんやりとした中に入ってフロアを抜けると、日本建築の見事な大広間にたどり着いた。
「わあ」
大広間から、緑鮮やかな見事な庭園が広がっている。
ちょうど誰もいない時間帯だったらしく、ほぼ私たちの貸切状態だ。
畳の間を抜けて、春ちゃんはゆったりと縁側へと腰を下ろす。その仕草はまるでお姫様みたいだ。
私は変な感覚もすっかり忘れ、景色に見惚れながら春ちゃんの隣に腰をおろした。
「綺麗だね……」
「ここ、落ち着いてて好きなのよ。松と石と池で、松島を模しているのですって」
「松島って、宮城のあの松島?」
「ええ。ご存知?」
「あーえっと……会社の顧客の方が、お土産で先日そっちの地ビールをくれたんだ」
最近、糸島芥屋(いとしまけや)の磯女さん達が慰安旅行で宮城に行ったとかなんとかで、地ビールをくれたのを思い出していた。
篠崎さんはビールがあまり呑めない(お神酒も含め、アルコール自体苦手らしい)。
そして夜さんはひと舐めで酔い潰れる(お神酒はいけるが、お酒よりオリーブオイルが好きらしい。化け猫らしさを遺憾なく発揮したご意見だ)。
と言うわけで私が羽犬塚さんと二人で分け合い、私が貰った分はさらに実家に横流ししたのだ。
「まだ2本は冷えてるから、今度春ちゃんうちにおいでよ。一緒に呑もう」
「ふふ。楓ちゃんちにお泊まりなんて楽しみ」
「そうだねー。一人暮らしじゃなかったからそういえば、春ちゃんとそういうお付き合いしたことなかったなあ。あっでも春ちゃん、猫アレルギーじゃない? うち時々猫がいるから」
「飼ってるの?」
「飼ってるというか……まあ、居付いちゃったというか……」
「へえ」
春ちゃんは一瞬、ちらりと顔を真顔にさせる。
「獣にずいぶん懐かれちゃって。嫉妬しちゃう」
「し、嫉妬って」
「だって私の事、家に入れてくれないのに、もう他の獣を入れちゃってるんでしょ? 匂いまでさせちゃって」
「えっ」
私は思わず袖を嗅ぐ。
「ね、猫の匂いする?」
「さあ?どうかしら」
そういえばフリマアプリでも、動物を飼ってる人はプロフィールに記載していたりする。飼っていると気づかないものなのかもしれない。夜さん毎日お風呂入ってるし抜け毛も掃除機かけてくれるから匂いなんてついてないと思ってた。危険だ。
くんくんと自分の匂いを嗅いでいる私をみて、春ちゃんは赤い唇でにこりと微笑んだ。
「ねえ楓ちゃん。……お仕事楽しいのね?」
庭に面した縁側は、水面の光がゆらゆらと反射する板張りで、春ちゃんはじっと私を見つめている。
口元は笑っているけれど、目は真剣だった。
空気が変わった気がする。私は意を決して、春ちゃんに向き直った。
「春ちゃん。私……私ね」
「ええ」
「社長に告白しようと思ってる。社長が好きなんだ、やっぱり」
「あのセクハラの怪しい社長さん?」
「セクハラでも怪しくもないよ。……あの人のこと、私やっぱり好きみたい」
「……そうなのね」
春ちゃんは静かな眼差しで受け止めてくれる。私は話を続けた。
「来週、社長が今後について話す機会を設けてくれたの。社長の過去とか、社長が考えてることとか、教えてくれるって。……だから私も隠さず彼に、私の気持ちを伝えるんだ。きちんと想いを伝える。恋愛としてダメならダメ、OKならOKできっぱりしたいんだ」
「そう」
春ちゃんは水面に目を向ける。視線に弾かれるように水鳥が、黒松から一斉にバサバサと逃げていった。
「OKならつがいになるの?」
「つ、つがいって」
そんな言い回し、猫の夜さんからしか聞いたことない。狼狽えた私を見る春ちゃんは真顔だった。
真っ黒な瞳に、たじろぐ私が綺麗に写り込んでいる。
「……っ」
何故か急にぞくりとする。
ーーなんだろう。一瞬、篠崎さんの真面目な顔を思い出した。
「楓ちゃんは社長と恋人になりたいの? それとも結婚? どこまで考えてるの」
「わかんない。なりたいのかどうかも」
私は首を振る。
「はっきりしているのは、今の仕事が楽しいという事と、社長が好き、この二つだけ。……できれば両方とも失いたくない。けれど、それを決めるのは来週だから。社長も、私とちゃんと色々話してくれるって約束してくれたし」
「……楓ちゃん。普通じゃなくなっても、いいの?」
「普通、かあ」
春ちゃんの言葉を受け止め、私は池に目を向け、友人達との飲み会の夜を思い出す。
そして人間を辞めることを唆してきた徐徐さんの言葉も。
私は結局、本当はどうしたい?
そんなの、決まってる。
「社長の傍にいたい。社長と、もっともっといろんなことを知って行きたい」
私は、私なりの「普通」を選ぶのが一番楽みたいだ。
「人が言う『普通』より、やっぱり自分自身が納得する道と、大切にしたい人を大切にしたいんだ。だから恋心も……仕事も、大事にしたい。『普通』の言葉に逃げないよ」
その時、春ちゃんは深くため息を吐いた。
「ばかね、楓ちゃん」
私たちは水路を通る川下りを楽しみ、終点の城下町らしい、白壁と掘割と柳が美しい地区に辿り着いた。どうやらここが、城下町らしい風景を楽しむ中心地のようだ。
とても綺麗でのどかな観光日和なのに、私は謎の動悸が止まらないでいた。
切ないような、ぎゅっと胸が苦しくなるような。泣きたくなるような、そんな変な感じ。決して不快じゃない。むしろ景色の全てが輝いて見える。私はなんでこんな気持ちになっているのだろう。
「楓ちゃん、大丈夫?」
船を降りた後に鰻屋さんまで歩きながら、春ちゃんが私の背中を撫でる。
「具合が悪いなら少し休む? 鰻も……」
「大丈夫、すっごくお腹は空いてるし鰻って聞くだけで涎が出てきちゃいそう!」
私は慌てて笑顔を作る。特に具合が悪いわけではないので申し訳ない。心配そうにしてくれる春ちゃんを前に、私はなんとか取り繕おうとする。
「えっと、なんだろう……うまく言えないけど、切ないというか、すっごくうわーって気持ちになるって言うか……どこか懐かしい風景だからかな? 城下町だし、あはは」
私にとって懐かしいのは香椎の住宅街なのに、何を言っているんだろう。よくわからない言葉を捲し立てる私を、春ちゃんはじっと黒い瞳で見つめてくる。彼女はどこか、私の様子を観察しているように見えた。
「きっと歩き疲れたのよ」
「そうかな……?」
「鰻の予約の時間にはまだ余裕があるし、御花にいきましょう。庭が綺麗なのよ」
「御花……そういえば、チケット貰ったって言ってたね」
「ええ。お殿様の別邸なのよ」
春ちゃんは私の手を取ると、観光客の賑わう通りを通り抜け、目的地まですいすいと向かう。
訪れたのは白壁の西洋建築と日本建築の屋敷が連結したような造りの立派なお屋敷だった。ひんやりとした中に入ってフロアを抜けると、日本建築の見事な大広間にたどり着いた。
「わあ」
大広間から、緑鮮やかな見事な庭園が広がっている。
ちょうど誰もいない時間帯だったらしく、ほぼ私たちの貸切状態だ。
畳の間を抜けて、春ちゃんはゆったりと縁側へと腰を下ろす。その仕草はまるでお姫様みたいだ。
私は変な感覚もすっかり忘れ、景色に見惚れながら春ちゃんの隣に腰をおろした。
「綺麗だね……」
「ここ、落ち着いてて好きなのよ。松と石と池で、松島を模しているのですって」
「松島って、宮城のあの松島?」
「ええ。ご存知?」
「あーえっと……会社の顧客の方が、お土産で先日そっちの地ビールをくれたんだ」
最近、糸島芥屋(いとしまけや)の磯女さん達が慰安旅行で宮城に行ったとかなんとかで、地ビールをくれたのを思い出していた。
篠崎さんはビールがあまり呑めない(お神酒も含め、アルコール自体苦手らしい)。
そして夜さんはひと舐めで酔い潰れる(お神酒はいけるが、お酒よりオリーブオイルが好きらしい。化け猫らしさを遺憾なく発揮したご意見だ)。
と言うわけで私が羽犬塚さんと二人で分け合い、私が貰った分はさらに実家に横流ししたのだ。
「まだ2本は冷えてるから、今度春ちゃんうちにおいでよ。一緒に呑もう」
「ふふ。楓ちゃんちにお泊まりなんて楽しみ」
「そうだねー。一人暮らしじゃなかったからそういえば、春ちゃんとそういうお付き合いしたことなかったなあ。あっでも春ちゃん、猫アレルギーじゃない? うち時々猫がいるから」
「飼ってるの?」
「飼ってるというか……まあ、居付いちゃったというか……」
「へえ」
春ちゃんは一瞬、ちらりと顔を真顔にさせる。
「獣にずいぶん懐かれちゃって。嫉妬しちゃう」
「し、嫉妬って」
「だって私の事、家に入れてくれないのに、もう他の獣を入れちゃってるんでしょ? 匂いまでさせちゃって」
「えっ」
私は思わず袖を嗅ぐ。
「ね、猫の匂いする?」
「さあ?どうかしら」
そういえばフリマアプリでも、動物を飼ってる人はプロフィールに記載していたりする。飼っていると気づかないものなのかもしれない。夜さん毎日お風呂入ってるし抜け毛も掃除機かけてくれるから匂いなんてついてないと思ってた。危険だ。
くんくんと自分の匂いを嗅いでいる私をみて、春ちゃんは赤い唇でにこりと微笑んだ。
「ねえ楓ちゃん。……お仕事楽しいのね?」
庭に面した縁側は、水面の光がゆらゆらと反射する板張りで、春ちゃんはじっと私を見つめている。
口元は笑っているけれど、目は真剣だった。
空気が変わった気がする。私は意を決して、春ちゃんに向き直った。
「春ちゃん。私……私ね」
「ええ」
「社長に告白しようと思ってる。社長が好きなんだ、やっぱり」
「あのセクハラの怪しい社長さん?」
「セクハラでも怪しくもないよ。……あの人のこと、私やっぱり好きみたい」
「……そうなのね」
春ちゃんは静かな眼差しで受け止めてくれる。私は話を続けた。
「来週、社長が今後について話す機会を設けてくれたの。社長の過去とか、社長が考えてることとか、教えてくれるって。……だから私も隠さず彼に、私の気持ちを伝えるんだ。きちんと想いを伝える。恋愛としてダメならダメ、OKならOKできっぱりしたいんだ」
「そう」
春ちゃんは水面に目を向ける。視線に弾かれるように水鳥が、黒松から一斉にバサバサと逃げていった。
「OKならつがいになるの?」
「つ、つがいって」
そんな言い回し、猫の夜さんからしか聞いたことない。狼狽えた私を見る春ちゃんは真顔だった。
真っ黒な瞳に、たじろぐ私が綺麗に写り込んでいる。
「……っ」
何故か急にぞくりとする。
ーーなんだろう。一瞬、篠崎さんの真面目な顔を思い出した。
「楓ちゃんは社長と恋人になりたいの? それとも結婚? どこまで考えてるの」
「わかんない。なりたいのかどうかも」
私は首を振る。
「はっきりしているのは、今の仕事が楽しいという事と、社長が好き、この二つだけ。……できれば両方とも失いたくない。けれど、それを決めるのは来週だから。社長も、私とちゃんと色々話してくれるって約束してくれたし」
「……楓ちゃん。普通じゃなくなっても、いいの?」
「普通、かあ」
春ちゃんの言葉を受け止め、私は池に目を向け、友人達との飲み会の夜を思い出す。
そして人間を辞めることを唆してきた徐徐さんの言葉も。
私は結局、本当はどうしたい?
そんなの、決まってる。
「社長の傍にいたい。社長と、もっともっといろんなことを知って行きたい」
私は、私なりの「普通」を選ぶのが一番楽みたいだ。
「人が言う『普通』より、やっぱり自分自身が納得する道と、大切にしたい人を大切にしたいんだ。だから恋心も……仕事も、大事にしたい。『普通』の言葉に逃げないよ」
その時、春ちゃんは深くため息を吐いた。
「ばかね、楓ちゃん」