長い黒髪を綺麗に編んで横に垂らして、チャイナテイストの瀟洒な服を着た怪しい丸眼鏡の男性。切長の目元と長い手足が妖しくも色っぽく、細い金属が揺れるピアスや指輪が印象的だ。
 彼は私をワゴン車に乗せると、鼻歌まじりにワゴンを運転しながら一路、都市高を降っていく。私をワゴン車に引っ張り込んだ女性たちはどうやら幻術のようで、ワゴン車が発車すると自然とドロンと消えていた。
 車の中は、私と商売敵さんの二人きり。

「ああ、博多駅からこんな遠くまで……」

 私は窓外を見てオロオロする。
 福岡空港が左手を通り過ぎ、車は山脈に挟まれた筑紫平野をビュンビュンと進む。恰好のドライブ日和だ。こんな状況じゃなければもっと景色を楽しめたのに。

 運転をしながら、胡散臭い男は後部座席の私に話しかける。

「まあ気楽にしてて。お菓子食べる?」
「食べませんし…その、どこに連れて行くんですか」
「我が経営する温泉宿よ。とりあえず一番近場の二日市の温泉に連れて行くけど、基本的に佐賀に展開してる感じだから」
「は、はあ……」
「それともいっそ嬉野あたりまで行っちゃう? 我は大歓迎よ」
「大歓迎じゃないです! てか、帰してください! 犯罪ですよ!」
「犯罪、ねえ」

 ちらりと、バックミラー越しに彼は私を見た。

「筑紫野の狐に泣かされてたんでしょ?」
「えっ」

 私はどきりとして目元に触れる。彼は声をあげて笑う。

「はは、正解だ」
「私が勝手に泣いてただけです。篠崎に泣かされたわけでは」
「是非ウチの温泉を堪能してってちょーだい。断るにしてもそれからでいいでしょ? いい子つけるよ?」
「いい子、って……なんですか、それ」
「向こうについてからの、お・た・の・し・み♡」

 私はちらりと、カバンにつけたはや○けんを見下ろす。
 はやかけ○を通じて篠崎さんには私の居所は伝わっているはずだ。
 今はーーただ、助けに来てくれると信じるしかない。

ーーー

 私はそう簡単に陥落しないと思っていた。温泉やマッサージがどれだけ気持ち良くても、心までは屈服しない!
 覚悟して温泉に入り丹念なマッサージを受けると、私はすっかり生きた温泉湯豆腐になっていた。

「は、はう………これは……最高すぎる……」

 私は温泉ですっかり汗を流したあと、怪しいスカウトさん曰くの「いい子」に全身もみくちゃにマッサージされていた。とても上手い。全身がうどんになったかのように、ふにゃふにゃだ。

「すごい……技術ですね……」
「方士(せんせい)の技です」

 美人のセラピストはにこり、と目を細めて笑う。まるで作り物のように美しい彼女もきっと人間ではないのだろう。
 マッサージはたっぷり2時間コースということで、途中休憩が入り、暖かいお茶が用意される。

「中国茶、本格的なの初めて戴くなあ……美味しい……」
「それ、嬉野茶ですよ」
「えっ」

 蓋碗に入って出されると私には最早高級茶ということしかわからない。
 恥ずかしくなりながら施術用のゆったりした服を着てお茶を呑んでいると、部屋に怪しいスカウトさんがボックスステップを踏みながら入ってきた。

「お寛ぎしてるみたいだね、菊井サン。どう? ヨかったでしょ?」
「……天国でした」
「でしょー」

 怪しいスカウトさんは嬉しそうに両手を合わせて喜び、そして長い足を組み直して私に微笑む。

「菊井さん霊力持て余してるね。もったいないから、よかったらウチで働かない? 働こうよ!」
「い、いや……自分が気持ち良かったからって従業員になるなんて、そんな無茶な」
「その霊力でセラピストをやったら、ここに訪れるあやかしの皆さん大喜びだよ? それにちゃんとした『此方』で使える資格も取得させてあげるから、将来の独立やキャリアアップも安心! 産後も働ける! なんなら海外でも!」
「魅力的ですけど、でも私は篠崎さんのところの従業員、なので…!」
「それって、いつまでの話?」

 軽い調子ながら、彼はズバズバと私のふわふわした部分に切り込んでくる。
 篠崎さんのところで、いつま働けるのかどうか。ーーちょうど考えていた所だったので、ぞくり、と体が震えた。

 私の表情で何かを受け取ったようで、彼はニッコリと笑みを浮かべながら足を組む。

「隠すつもりがないから言うけど、我、徐福っていうんだよね」
「徐福さん……なんか聞いたことあります。サイクリングロードとかの名前になってますよね」
「そう! さすがだねえ、菊井サン。でまあ、つまりは我は元々普通の人間ってこと」

 元は人間。ーー彼は私に、何を言いたいのか。

「我、当時の大陸の皇帝陛下のために不老不死の妙薬を探していてね、そのご縁で蓬莱(ニホン)に着いたの。そしたら不老不死になって、色々点々として、今では佐賀県民やってるの」
「佐賀県民……」
「住民票はないけどね」

 元人間ジョークを交えつつ、彼は笑う。私は笑っていいのか分からず、曖昧に頷く。

「太宰府を守護するあの神様は菊井サンもよく知ってるよね? それに四王寺山の例のお武家さんにもあったんでしょ」
「……」

 この人はどこまで、私の動向を知っているのだろうか。

「あの二人を知ってるなら、わかるよね。元々人間でも、あやかしになるやり方はいくらでもあるんだ」
「……なにを仰られたいのですか?」
「もし菊井サンが霊狐と一緒にいたいのなら、人間を辞めてあやかしになればいい。ここで修行させてあげるよ」

 そうか。その手もあったのか。私はその道を一切考えていなかった。
 私が望むなら、きっと私は人間以外の道もあるのだ。

「人間辞めるの楽しいよ? いろんな俗物的な悩みから離れる。たまぁに離れすぎて色々あれなこともあるけどね」
「……でも……私は普通に暮らしたいので…」
「あの太宰府の旦那に会ったんでしょ? 四〇〇年前くらいに派手な戦をやった壮烈な彼」
「……ご存知なんですね」
「そりゃあ、あやかしの世間は狭いから」

 彼はにっこりと笑う。

「死後に神様になって夫婦仲睦まじく暮らす彼を見ただろう? あの旦那みたいになるといいんだよ」

 私はじっと考える。
 私は「普通」に生きるのは下手かもしれない。
 けれど私はーー人間として生きるのが、嫌いじゃない。

「申し訳ありません。私は少なくとも、今は人間を辞めたいとは思えません、家族もいるし、人間としての生活も大切にしたいので」
「『普通』というのは、君にとって居心地の悪い人生ではなかったのかい?」

 見透かすように射抜かれ、私は押し黙る。

「狐をも惑わせる強い霊力を持って生まれたら、何かと生きづらい事もあっただろう?」
「それは……」

 黙り込んだ私に、彼はあっさりと「まあいいさ」と追及をやめる。

「君は若い。まだ、幾らでも人間としての生をゆっくり楽しめばいいさ。我は急がないよ。人生は長いからね」

 人の生を超えた方士(あやかし)は、ピアスを揺らしてにこり、と紫水晶(アメジスト)の目を細めた。