ーー駅前のトイレに駆け込んでいった楓が、出てきたと思ったらそのまま奴の車に連れて行かれた。
 俺は車の中で呆然と一部始終を見てしまっていた。

「最悪すぎんだろ、このタイミング」

 俺はすぐに羽犬塚さんに電話をかけ、駅の迎えをお願いするとハンドルを切る。
 奴は徐福(じょふく)。佐賀を中心に、あやかし向けの温泉旅館を複数展開する不老不死の元人間(あやかし)だ。
 
 幸いにも楓に持たせたICカードの霊力は、商売敵の運転する車の行方を教えてくれる。
 車の霊力を追って都市高速に入る。向かう方角と降りたICで、経営する二日市の温泉宿に向かっていると気づいた。

 おそらくあいつの狙いは、楓を勧誘することだ。あの霊力だだ漏れ女なら鍛えれば最高のセラピストになれる。温泉宿を経営するあやかしにとって垂涎の人材だ。
 ICカード越しに楓の霊力を感じとる。楓が危害を加えられている様子はない。

 ICを降りて二日市市内を追いかける。
 信号ひとつ、一時停止ひとつに焦りを覚えながら、篠崎は先程の楓の姿を思い出していた。

『ーー篠崎さんの好きな人なんですよね?』

 俺に訊ねる、楓の唇は震えていた。楓は霊力を吸うキスのことを、俺に対して申し訳ないと感じているらしい。

「馬鹿野郎。お前の方が、被害者のくせに」

 俺がキスで霊力を吸っているのは、あいつの霊力がダダ漏れだからだ。だが楓が謝る何も必要はない。霊力が強く生まれたのも、あやかしに狙われるのも、楓の責任じゃない。
 楓本人が、運命に呪われた被害者そのものなのに。

 霊力を吸うことに罪悪感を覚えていたのは、むしろこちらの方だ。霊力を吸ってそして、守るため。そんな言葉に託けて、俺は楓が大切にしているものを奪った。嫌われても仕方ないと思っていた。

 ーーいや。むしろ、嫌われてしまえばいいとさえ思う気持ちもあった。楓があやかしに関わって、死ぬ姿は見たくない。
 桜のように。

「……俺だって、まさかこんな拗れた事になるなんて思ってなかったよ……」

 信号停車した車内。俺はは深くため息を吐きながら、車のハンドルに体をかける。
 そして目を閉じると、かつての桜(あるじ)の姿が脳裏に浮かぶ。胸が焼けるように、熱い。

「……桜……」

 己の女主人であり、愛しい連れ合いだった人のことを思う。俺は四百年以上の長い時を、桜にもう一度逢うために『此方』で生きてきた。あの日、天神駅で見つけた楓は、あまりにも最期に別れた桜によく似ていた。

 再会した楓は紫野(じぶん)を覚えていなかった。俺が霊力を吸って胸の紋様を見せても、何も思い出さなかった。
 その時。桜にもう一度逢って、次こそ添い遂げたいと願い続けてきた俺はーー楓は何も知らないまま、俺から離れた方が幸せなのではと気づいてしまった。

 桜は霊力に振り回されて生きて、死んだ女だ。
 強大な霊力で巫女として拾われ、霊力で600年の霊狐と使役関係になり。そして別れ。
 彼女は巫女として姫城督を守って命を散らした。

 霊力がなければ、巫女として拾われず、筑紫野の霊狐と出会うこともなかった。
 霊力がなければ、普通の女として生きられた。
 霊力がなければ、呪いで命を散らすこともなかった。
 ーー普通ではない桜は、普通の生き方を選べない時代だった。

 けれど生まれ変わったこの時代ならば彼女も生き方も幸福の形も選べる。霊力の使いこなし方を学び、彼女が「普通」に生きられるのならば、それが楓にとって最も幸福なのではないか?

 それに「楓」にとって、自分は赤の他人だ。俺にとって桜と楓は連綿と繋がる一つの魂だとしても、人間である楓にとって、桜と楓はノットイコールだ。
 全く身に覚えのない前世を持ち出して、好きだと云うのが見当違いなことくらいーー人里に暮らして千年あまり、篠崎はとっくに理解している。

 何度生まれ変わっても結局、俺は懲りずにあの変な女に惹かれている。
 だからこそ不安になる。楓に今回の人生でも、あやかしと霊力に振り回され続ける人生を歩ませるのか?

 俺は自分の選択をズルズルと引き伸ばしていた。
 甚大な霊力を持て余した彼女と、再び番になって共に生きるべきか。
 もう普通の人生を得ている彼女ならば、霊力の問題を解決したらそっと「普通」の世界に帰すべきか。

「言える訳ねえだろうが。前世からお前が好きだった、なんて」

 いっそ元主人はお前だよ、と言ってやる方が親切か。
 けれど、俺の気持ちを知った楓がーーまた、「普通」の人生を捨てる事になったら?

 井戸の底で死んだ桜(ぜんせ)を思い出す。
 あやかしに入れ込みすぎると、死を招く。
 彼女を守れなかった自分が、今世も彼女を得ていいのか。

「よかねえよな、……やっぱり……」

 信号が変わる。ハンドルを握りなおす。
 まずは、あの商売敵から楓を取り返すのが先だ。