綺麗な狐のお兄さんーー篠崎さんに連れていかれたのは屋台だった。
 観光案内でよく使われているキャナルシティ近くの中洲の屋台ではなく、福岡天神駅から西に向かって舞鶴辺りまで行った場所にある屋台だ。
 
  篠崎さんは屋台に長身をかがめて暖簾を捲り、「大将、いつもの」と言う。
 中の人の好さそうな大将とは顔見知りのようだ。

「今日は二つね」
「ん? 篠崎の旦那、誰かお連れさんもいるのかい?」
「ああ」

 中からおじさんの声がして、しばらく奥で準備をする音が聞こえる。
 そわそわしていると、篠崎さんが隣から私に話しかけてきた。

「ほら鞄、返すよ」
「あ! もう、鞄とられちゃったからびっくりしましたよ」
「悪いな。あの猫又のマーキングがついてないか確認しときたかったんだ」

 篠崎さんからトートバックを受け取っている間に、「お待ちどうさん!」の声が聞こえる。
 はっとしてテーブルを見れば、そこにはすでに、おうどんがあった。
 鉋でひっかき模様が刻まれた小石原焼きの素朴な器に、透き通ったつゆと細麺。
 繊細に刻まれたネギとおあげが乗せられている。私たちは揃って手を合わせた。

「いただきます」

 味も薄味で上品で、鰹の風味がふわりと鼻を通り抜けて、ただただ美味しい。

「ん~っ……おいし……」

 時折麺に絡んでくる天かすのしゃくしゃくの噛み応えが良いコントラストになっていて、ますます美味しい。
 お腹がすいていたのと、久しぶりの外食の味に、私は夢中になって箸を進める。
 お礼を言い忘れていたと気づいたのは、麺がすっかり半分以上消えてしまってからだ。

「そうだ、篠崎さん! 先ほどは助けていただきありがとうございました」

 見ると、隣で篠崎さんが優しい目でこちらを見て微笑んでいる。
 いきなり美形の微笑に被弾して、私はむせた。

「!! ご、ごほ」
「どうした!?」
「い、いや……綺麗な人に見られて緊張して、麺が変なとこに」
「馬鹿か」

 篠崎さんが背中をさすってくれる。

「それに、あんたにお礼を言われる筋合いはない。あやかしの面倒に巻き込んじまったのはこっちの都合だからな、詫びとして存分に食っといてくれ。口止め料みたいなもんだ」
「口止め料、ですか」
「そ」

 篠崎さんは話しながら、甘い汁をたっぷり吸ったお揚げを齧る。目を細めていかにも美味しそうだ。

「このご時世、SNSや口コミやら、何かと『怪異』の証拠が残り易い。証拠はあやかしにとって命取りだ」
「だから口止め料、なんですね。でも私だけ口止めしても、天神駅前で結構な騒ぎになってましたし……」

 もしかしたらもうすでに、占い師騒動は、すでにSNSで話題になっているかもしれない。
 そう思っていると、篠崎さんが顎で私のスマホを示す。

「今、調べてみろ」
「えー……?」

 私は視線で促されるままにスマートフォンを取り出し、ささっとSNSをチェックする。

「あれ……?」

 芸能人が通りかかるだけでも行儀の良くない写真がタイムラインに上がるような末法(マッポー)なのに、天神駅前の目立った話題なんて、ない。

「っていうか、天神駅前の写真撮った人いるのに、占いの出店が映ってない…?」
「あの出店自体が、霊力が強い人間にしか見えない罠だったってことさ」
「そんなものが、天神駅前にあったなんて……」
「あやかしは、人間社会の『お上』から存在を黙認されている存在だからな」

 篠崎さんが肩をすくめる。

「俺は例の黒猫又を探していた。最近ここいらで暴れ回っていたからな。悪さをする奴を、内輪(あやかし)だけで自浄できないとなりゃあ……めんどくさい『その筋のプロ』が出てきて、俺達(あやかし)全員が面倒なことになっちまうんだ」
「ああ、見つけたっておっしゃられていたの、占い師さんのことだったんですね」

 私は合点した。

「とにかく」

 篠崎さんはごほん、と咳払いした。

「俺が福岡であやかし就職・移住支援の仕事をしている。あの黒猫みたいな野良あやかしに適切な職や住まいを与え、福岡をあやかしが住みやすい街にするためだ」
「公務員みたいなことしてんですね」
「公務員はあやかし関係には手を出しにくいんだよ。宗教とか、色々あるし」
「あー。なるほどですね」

 私は頷いたのをみて、篠崎さんが話を続ける。

「俺はあやかしが移住してくるのを歓迎する層と、福岡に移住希望のあやかしをマッチングさせ、共存させて、そして利益を上げている。そしてうどんを食っている」
「人間の移住者支援が活発なのは知ってましたが、まさかあやかしまでとは……」

 私は食べ終わった汁に目を落とす。満月のように綺麗な色をしている。
 狐色の美味しそうに輝く汁に、細くて柔らかい、独特の歯ごたえの弱いうどん。
 美味しい。口止め料として十分だ。

「こんなにおいしい屋台に連れて行っていただいて、さらにごちそうまでしていただいてありがとうございます。篠崎さんのことも、猫又のことも、今日の事は絶対誰にも言いません。約束します」
「ん。ならよかった」

 篠崎さんがにやりと笑う。
 私は汁を飲み干し、奥に引っ込んだ大将に向かって声をかけた。

「ごちそうさまでした! 次は友達を連れてきますね」
「ん~、人間の子は来られないよ」

 奥から出てきた大将にひゃっと声を上げそうになる。

「カワウソ!?」

 出てきたのは前掛けをつけた大きなカワウソだった。
 ふかふかの毛並みのカワウソは、声は先ほどまでの大将の声をしていて、大きさは170cmくらいありそうだ。
 カワウソのおじさんはふかふかとした手をぱたぱたと振る。

「嬢ちゃん違うよ、カワウソじゃないよ、おれは河童だよ」
「河童!? 河童って、あの緑で、てんちかの泉にいるようなアレじゃないんですか!?」

 私は天神地下街の泉に設置してある河童のオブジェを思い出す。きらきらと輝くプロジェクションマッピングの中で遊ぶ河童は、あの頭にお皿がある、河童といえばすぐ思い浮かぶあの姿をしている。

「河童っつっても色々いんだよ」

 驚く私に、隣から篠崎さん口を挟んできた。

「緑色のアレは全国区だが、河童って名称は大将みたいなあやかしの事も言う」
「へー……奥が深いですね……」
「おじさん可愛いでしょ」
「かわいいです」

 綺麗なお兄さん狐に、黒猫もふもふ猫又占い師、そしてシメにはおっきなカワウソ――もとい、河童のおじさん。た、たしかに可愛いけど、ちょっと理解が追い付かないもふもふデーだ。

「川副(かわぞえ)って言うんだ、今後ともよろしく、嬢ちゃん」
「川副さんとおっしゃるんですね……私は菊井楓といいます。こちらこそよろしくおねがいします」

 にぎにぎ。
 川獺の手と握手をしていると、篠崎さんが話題を変えた。

「ところで大将。このあいだ話した狸のあやかしの件はアテがありそうか」
「ああ、大名の喫茶店がちょうど手伝いを探していたよ。チェーン店じゃないし、店長も京都の人であやかしに理解があるし、店も長いし、ぴったりなんじゃないかな」

 川副さんがすっと、瀟洒な喫茶店のチラシを出す。

「マスターも、篠崎社長のことは知っていたよ」
「おっ、他県から来た人に知られてるのは有難ぇな」
「営業時間の後でいいなら、話を聞きたいってさ」
「そこまで話をつけてくれてると助かるよ。恩に着る」
「いやいや~、あやかしが住みやすい街になるのはウチも嬉しいからねぇ」

 篠崎さんはタブレットを取り出しさっそく予定を入れている。
 あやかしという普通じゃない存在でも、普通の人のように仕事をしたり、就職したりしてるんだなあと思うと不思議な気持ちだ。

 ――もともと人間に生まれて、普通にうまくやれない私って、なんだかなあ。
 私は溜息をそっと飲み込んだ。