飲み会の夜から、週末が終わって月曜日。今日のお仕事は篠崎さんの同行だ。
篠崎さんは私を助手席に乗せ、社用車で博多駅へと向かった。二日市にあるあやかし御用達温泉宿に、住み込み就職を希望する女性を送迎するためだ。
車を博多駅筑紫口の駐車場に停めると、篠崎さんはシートを引いてタブレットを開き、各所へと連絡を始める。
作業をしながら、助手席の私に話しかけてきた。
「こういうとき、楓が入社してくれて助かってるんだ。男と二人で車移動は抵抗があるあやかしは多いから」
「まあ、知らない男性と一緒なのって不安な人も多いですしね、女性って。……お役に立てて、よかったです」
私は普通の顔で、普通の返事ができているだろうか、と思う。
先日のキス、そして友達との飲み会の夜以降。
篠崎さんと二人きりの時はどうしても、普通に振る舞おうとしてもぎこちなくなってしまう。
「……今日お連れするのは二日市温泉ですよね」
「ああ。大宰府政庁時代から続く古い湯だ。古いあやかしも知っていてネームバリューもあるから人気の案件だ」
「ですよね。求人出した瞬間にお問合せ溢れて、ちょっとびっくりしました」
「竹取物語で宣伝されるくらいだからなー」
今回の求人は1名。それに求人に対して驚くほどの問い合わせが入っていた。メールや電話だけでなく霊力で手紙が届いてきたり、言霊が飛んできたりするだけでなく、此方の頭に直接飛ばされてくる思念まであって対応が大変だった。
「人気の求人でもあるんだが、まあ一つ面倒があるんだ」
「……面倒、とは?」
「近場の商売敵が勝手にスカウトして引っ張っていくんだよ、別の温泉宿に」
「べ、別の温泉宿? 商売敵さん……?」
篠崎さんは苦い顔をして頷く。
「博多駅で待ち構えて、勝手に交渉して引っ張っていくんだ。あっちはオーナーも有名人だから、名前を出されると強くてな」
「そんなに有名な人ですか?」
篠崎さんは深く頷く。
「佐賀だしなあ……」
「佐賀ですか」
私は話を聞きながら、手元のタブレットで地図を開く。
福岡県は北部の筑前と南部の筑前の境目、ちょうど太宰府がある位置で逆くの字に折れ曲がった形をしている。その曲がったところに嵌っているのが佐賀県だ。福岡を南北に繋ぐJR鹿児島本線も九州新幹線も九州自動車道も、ちょうどそこで佐賀県を通過する。
近場だから余計に、「コチラで就職はどうですか」と引っ張っていくのが容易いのだろう。
ーーあ。
私は地図を見ていて、ふと気づく。
私たちがこれから向かう二日市と太宰府は目と鼻の先だ。
篠崎さんは二日市には行くけれど、太宰府には行かない。それほど、旧知には会いたくないという意思がそこに滲み出ているようだ。
「おい、楓?」
「ひゃあ」
物思いに耽っているところで声をかけられ、悲鳴がでてしまう。
「ひゃあ、じゃねえよ。ずっとボーッとしてどうした。尻尾触るか?」
「子供に飴玉勧めるようなノリで差し出してきますよね……うっ柔らかい」
ふさ…と尻尾で頬を撫でられると自動的に蕩けてしまう。
もふもふに屈服して撫でていると、篠崎さんは少し真面目な声音になった。
「様子がおかしいぞ、今日のお前」
「……大丈夫です。熱もありませんし、元気です」
「体調が悪いなら無理すんな。今のうちに早退するならしろ。女性社員なら羽犬塚さんも呼べるから。夏場でもずっと働きづめだったし、なんなら明日有給使ってもーー」
「あ、いえ……そういうのではないです、本当に」
尻尾をふかふか揉みしだきながら私は、心配してくれる篠崎さんの顔がうまく見れなくなる。
夏でもクールビズにしないネクタイをぼんやりと見ながら、そうか、とまたもう一つ、気づいてしまう。襟を開かないのは紋様を刻んだ胸元が見えないようにしているのか、と。
『相手の人が、『普通』じゃない人なら。楓ちゃんの好きを受け止めてくれる人かどうかもわからないし……楓ちゃん以外に、大切な人がいるとしたら?』
春ちゃんの声が耳に焼き付いて離れない。
篠崎さんは確実に、魂を縛るほどに大切な人(だれか)がいる。そんな人を「好き」だと自覚しても、辛いだけなのに……。
不意に、篠崎さんがシャツの胸元を手で隠す。顔を見れば、篠崎さんがじっとりと睨んでいた。
紋様の場所をじろじろと見てしまい、私は気まずさに肝がサッと冷える。
「……楓、お前……」
「は、はい……」
「………………さては乳首透けてるか確かめてるな?」
「違いますよ!!!!!!」
流石に、流石にそれは違う。私は反射的に全力で反論した。
そういえば篠崎さんは狐さんだけど乳首6つあるのかな、それは置いといて。
「悩んでるなら言え。まだ待ち合わせの時間まで、ゆっくりあるから」
「……」
「言わなけりゃ無理にキスして気絶させて早退させんぞ」
「っ、言います、言います!」
このタイミングでキスされるのは、とんでもない。背もたれに手をかけた篠崎さんから距離を置きつつ、私は慌てて申し開きをした。
「先日私、お武家さんのお客様のご対応したじゃないですか」
「ああ」
「殿の方、紫野さんが元気か心配なさってました。……筑紫野の紫野、それが篠崎さんの本当のお名前なんです、よね」
「何遍今は篠崎だって伝えようが、皆結局紫野って呼ぶんだよ」
彼は意外とあっさり紫野だと認めた。
篠崎さんは私を助手席に乗せ、社用車で博多駅へと向かった。二日市にあるあやかし御用達温泉宿に、住み込み就職を希望する女性を送迎するためだ。
車を博多駅筑紫口の駐車場に停めると、篠崎さんはシートを引いてタブレットを開き、各所へと連絡を始める。
作業をしながら、助手席の私に話しかけてきた。
「こういうとき、楓が入社してくれて助かってるんだ。男と二人で車移動は抵抗があるあやかしは多いから」
「まあ、知らない男性と一緒なのって不安な人も多いですしね、女性って。……お役に立てて、よかったです」
私は普通の顔で、普通の返事ができているだろうか、と思う。
先日のキス、そして友達との飲み会の夜以降。
篠崎さんと二人きりの時はどうしても、普通に振る舞おうとしてもぎこちなくなってしまう。
「……今日お連れするのは二日市温泉ですよね」
「ああ。大宰府政庁時代から続く古い湯だ。古いあやかしも知っていてネームバリューもあるから人気の案件だ」
「ですよね。求人出した瞬間にお問合せ溢れて、ちょっとびっくりしました」
「竹取物語で宣伝されるくらいだからなー」
今回の求人は1名。それに求人に対して驚くほどの問い合わせが入っていた。メールや電話だけでなく霊力で手紙が届いてきたり、言霊が飛んできたりするだけでなく、此方の頭に直接飛ばされてくる思念まであって対応が大変だった。
「人気の求人でもあるんだが、まあ一つ面倒があるんだ」
「……面倒、とは?」
「近場の商売敵が勝手にスカウトして引っ張っていくんだよ、別の温泉宿に」
「べ、別の温泉宿? 商売敵さん……?」
篠崎さんは苦い顔をして頷く。
「博多駅で待ち構えて、勝手に交渉して引っ張っていくんだ。あっちはオーナーも有名人だから、名前を出されると強くてな」
「そんなに有名な人ですか?」
篠崎さんは深く頷く。
「佐賀だしなあ……」
「佐賀ですか」
私は話を聞きながら、手元のタブレットで地図を開く。
福岡県は北部の筑前と南部の筑前の境目、ちょうど太宰府がある位置で逆くの字に折れ曲がった形をしている。その曲がったところに嵌っているのが佐賀県だ。福岡を南北に繋ぐJR鹿児島本線も九州新幹線も九州自動車道も、ちょうどそこで佐賀県を通過する。
近場だから余計に、「コチラで就職はどうですか」と引っ張っていくのが容易いのだろう。
ーーあ。
私は地図を見ていて、ふと気づく。
私たちがこれから向かう二日市と太宰府は目と鼻の先だ。
篠崎さんは二日市には行くけれど、太宰府には行かない。それほど、旧知には会いたくないという意思がそこに滲み出ているようだ。
「おい、楓?」
「ひゃあ」
物思いに耽っているところで声をかけられ、悲鳴がでてしまう。
「ひゃあ、じゃねえよ。ずっとボーッとしてどうした。尻尾触るか?」
「子供に飴玉勧めるようなノリで差し出してきますよね……うっ柔らかい」
ふさ…と尻尾で頬を撫でられると自動的に蕩けてしまう。
もふもふに屈服して撫でていると、篠崎さんは少し真面目な声音になった。
「様子がおかしいぞ、今日のお前」
「……大丈夫です。熱もありませんし、元気です」
「体調が悪いなら無理すんな。今のうちに早退するならしろ。女性社員なら羽犬塚さんも呼べるから。夏場でもずっと働きづめだったし、なんなら明日有給使ってもーー」
「あ、いえ……そういうのではないです、本当に」
尻尾をふかふか揉みしだきながら私は、心配してくれる篠崎さんの顔がうまく見れなくなる。
夏でもクールビズにしないネクタイをぼんやりと見ながら、そうか、とまたもう一つ、気づいてしまう。襟を開かないのは紋様を刻んだ胸元が見えないようにしているのか、と。
『相手の人が、『普通』じゃない人なら。楓ちゃんの好きを受け止めてくれる人かどうかもわからないし……楓ちゃん以外に、大切な人がいるとしたら?』
春ちゃんの声が耳に焼き付いて離れない。
篠崎さんは確実に、魂を縛るほどに大切な人(だれか)がいる。そんな人を「好き」だと自覚しても、辛いだけなのに……。
不意に、篠崎さんがシャツの胸元を手で隠す。顔を見れば、篠崎さんがじっとりと睨んでいた。
紋様の場所をじろじろと見てしまい、私は気まずさに肝がサッと冷える。
「……楓、お前……」
「は、はい……」
「………………さては乳首透けてるか確かめてるな?」
「違いますよ!!!!!!」
流石に、流石にそれは違う。私は反射的に全力で反論した。
そういえば篠崎さんは狐さんだけど乳首6つあるのかな、それは置いといて。
「悩んでるなら言え。まだ待ち合わせの時間まで、ゆっくりあるから」
「……」
「言わなけりゃ無理にキスして気絶させて早退させんぞ」
「っ、言います、言います!」
このタイミングでキスされるのは、とんでもない。背もたれに手をかけた篠崎さんから距離を置きつつ、私は慌てて申し開きをした。
「先日私、お武家さんのお客様のご対応したじゃないですか」
「ああ」
「殿の方、紫野さんが元気か心配なさってました。……筑紫野の紫野、それが篠崎さんの本当のお名前なんです、よね」
「何遍今は篠崎だって伝えようが、皆結局紫野って呼ぶんだよ」
彼は意外とあっさり紫野だと認めた。