会社に帰って報告書を書いて、諸々の手続きを済ませているとあっという間に夜だ。
 久しぶりの飲み会は、学生時代にお世話になった大学近辺の居酒屋で話が決まった。
 週末の天神の人気店は予約がいっぱいだが、少し中心部から離れたこのお店は比較的空いていて、安くて、しかもとても美味しい。

「鳥皮塩とタレ、とりあえず30本あればいいよね」
「ちょっと! もっと可愛い感じの食べようよ! 山芋鉄板!」
「炭水化物の塊じゃない。私はビール!」
「日本酒!」

 わいわいと集まったみんなは大学以来の顔ぶれで、私は居酒屋で顔を合わせて癒された。
 中高時代の友人は私の『勘が良すぎる』失敗で離れてしまった子が多いけれど、大学時代は努力の結果、多少今でも話せる友達が残っている。皆と、こんな風にまた集まれるなんて嬉しい。

 ガッツリ居酒屋メニューを頼む社会人女子の間で、にこにこと座っている春ちゃんは相変わらずどこか浮世離れした美人だ。
 友達の一人が私に話しかけてきた。

「久しぶり、楓。転職おめでとう」
「誘っても全然空いてなかったもんねー。心配してたんだよ」
「皆、ありがとう。そしてごめんね、心配かけてて」
「で、どうなの!? ついに楓に浮いた話なんだって!?」
「そうそう。何があったの!?」
「え、ええと……その……説明がちょっと長くなるんだけど」

 私は興味津々にこちらを見つめる彼女たちの好奇心に応えるべく、昼に春ちゃんへ説明した内容と同じものを、慎重に皆へとお話しした。
 浮いた話のない私の浮いた話に、食いつくように皆は耳を傾けてくれる。

 ーー話終わったあと、皆は酔いが醒めたような顔で互いに顔を見合わせ合う。

「それは……楓……ヤバい男では……」
「むしろその会社大丈夫なの? 社長の決定一つで家も仕事も失っちゃうような立場に置かれて、それでセクハラとか」
「せ、セクハラはされてないよ!?」
「いや、なんか誤魔化しながら言ってるけど多分セクハラされてるような気がする……」
「イケメンというのも信用できない。そもそも、その社長さん結婚してんの? 独身?」
「えっ」

 急に地に足がついたワードが出てきて、私はたじろぐ。
 私の態度に皆はますます、怪訝な顔付きになっていく。

「独身……だと、思う……」

 口にした瞬間、私は、はっと胸に刻まれた絆の跡を思いだす。そして嫌な予感が急にぞくりと体を走る。

『夜みたいに主従契約を結んで、楓の霊力を吸い上げる方法もある。だが俺はあいにく既に飼われてる身なんでな』

 飼われてる、って?
 篠崎さんはそういえば、決して主従の契約を結んだ相手の話をしない。
 もしかしてあの淡く浮かび上がった紋様の相手は、篠崎さんにとって大切な人との絆、なんじゃないか。

 ーー昔から、私の予感は当たる。大抵、自分にとって悪い方向に。

「だと思うって、確かめたこともない感じね」
「……うん……」
「独身かどうかって大事だよ。結婚できないともったいないじゃん」

 友達は私を心配しながら、口々に恋愛スタンスを打ち明けてくれる。

「まだ若いって言ってもさ、仕事してたら毎年あっという間だと思ってさ。だからアプリで婚活はじわじわ初めてはいるんだよねー」
「アプリ怖くない?」
「そりゃ怖い人もいるけどさ、慣れたらいい感じだよ。気が合うし誠実な人見つかるし」
「私は大学時代の彼氏と同棲してるし、結局そのまま……になるかなあ」
「結婚! 結婚!」
「えへへ、上手くいったらの話だけどねー」
「私は全然恋愛とかできていないなあ。むしろ結婚はしたくないって決めちゃったっていうか」
「強い女だ!」
「強い女だ!」
「強い女だよ! ……ってのは冗談だけどさー。でも結婚しなくても仕事だけで生きられるように、ガツガツに資格取得してるし、セミナーとかも行ってるよ」

「すごいね、みんな……」

 私は話を聞きながら圧倒されていた。本当にすごい。
 皆、私がキスひとつにあたふたしている間に、どんどん別のステージに行っている気がする。
 結婚とか、子供とか、考えたこともなかった。
 ーー普通なら、ちゃんと考えるのかな。

「大丈夫よ、楓はそういうのゆっくりでさ」
「楓が恋バナしてるってだけでも成長、成長」
「あはは、そうかな……」

 私は豚バラ(塩)の焼き鳥を齧りながら友達の話を聞いていて、段々と自分の悩みが陳腐でつまらないもののように感じられてきた。

 篠崎さんへの気持ちに左右されている間は、皆みたいに結婚とか、子供とかーーそんな話には入れない。

 むしろ。
 私があやかしに関わる仕事をしている限りは、そういう「普通」の人生は永遠に送れないんじゃないか。
 篠崎さんの会社に入った時は、あやかしの「普通」を守るために働きたいと思っていた。
 それは今でも変わりない真実だ。

 けれど私は忘れていた。人生はいつまでも同じ時間をぐるぐると回るものではない。
 私はいずれ歳を取るし、周りの人間関係も変わっていく。親も家族も、いつまでも今のままじゃない。
 周りの「普通」から別れた道を選び取って、自分の軸だけ信じて生きていくことが急にーー怖くなった。

 それに。
 篠崎さんだってーー大切な人がいる。四百年ずっと、体に刻み続けるような絆が。

「大丈夫? 楓ちゃん」

 皆が口々に人生プランについて盛り上がっている中で、黙り込んだ私に声をかけてくれたのは春ちゃんだった。

「すこし、一緒に風にあたろうか」
「……うん」

 私は春ちゃんと一緒に席を立つ。そして居酒屋の外で二人で空を見上げた。
 空は星ひとつ見えない。
 街灯と商店街の光と、夏の夜の虫の音と、往来する車の音、他店の喧騒。全部他人事のようだ。

「……私もっと恋愛とか、してくればよかったなあ」

 空を見上げながら呟く私に、春ちゃんは何も口を挟まない。
 じっと、私の言葉を待ってくれている。

「私……今日、春ちゃんや皆と話して気づいたんだ。多分、社長のことが好きなんだと思う」

 言葉にすればあまりにもシンプルで、明快な答えだった。
 春ちゃんは、静かに頷いた。

「おめでとう。恋心を知ることは素敵なことだわ」

 でもね楓ちゃん、と春ちゃんは付け加える。

「覚えておいて。住んでる世界が違う人と、『好き』って気持ちだけで一緒になろうとすると不幸になるわ」

 これまで私の気持ちを受け止め続けてくれた春ちゃんが、私を真剣に見つめて語る。

「春ちゃん……」
「楓ちゃんは「普通」になりたいんでしょう? ずっと、普通じゃない人生するってしんどいよ。好きって気持ちだけでは解決できないことも多いし。それに」
「それに?」
「……相手の人が、『普通』じゃない人なら。楓ちゃんの好きを受け止めてくれる人かどうかもわからないし……楓ちゃん以外に、大切な人がいるとしたら?」


 胸が貫かれるように、痛い。
 そうだ。篠崎さんには大切な人がいる。400年も前からずっと繋がり続けている、絆の相手が。

「ありがとう。春ちゃんと話すと、いつも色々見えてくるわ。ありがとう」
「ううん。また近々会いましょうね。約束よ」

 私ははっと時計をみる。

「あ、ラストオーダーの時間だ! 戻ろう、春ちゃん」

 私の言葉に春ちゃんは首を横にふる。

「先に行ってて。私、お手洗いに行ってからいくから」
「そう? わかった。何か頼むものがあったらメッセージおくって!」

 私は一人、慌てて店内の明るい光に飛び込んでいった。


ーーー


 この時、私は気づかなかった。

 私が店に戻ったあと、春ちゃんの姿が18歳ほどの若い姿に変わっていたことに。
 そしてーー街頭に照らされる春ちゃんの影に、大きな尻尾が9本、揺らめいていたことにも。