春(はる)ちゃんは私の幼馴染で、保育園の頃からずっと一緒の女の子だ。
 ちょうどお昼になったので、私は篠崎さんに報告を入れたのち、休憩がてら太宰府天満宮を二人で散策した。

「いやあ、ほんっと久しぶりだね! 大学卒業してから、ほとんど会えてなかったから嬉しいよ」
「忙しそうだったものね、楓ちゃん」
「うん……まあ、お休みの日はほとんど持ち帰りの仕事してたし、残業も多かったし、いつもぐったりしてたし……色々何度もメッセージくれてたのに、不義理してたよね」
「楓ちゃんが謝ることじゃないわ。でも今は元気そう。……転職したのね?」
「やっぱりわかるー? 実はそうなんだー」

 太宰府天満宮の参道は途中で90度真横に折れ、心字池を通り、本殿へと続いている。
 私たちは賑わう参道をまっすぐ歩き、突き当たりに鎮座した撮影で人気な丑さんを通り抜け、心の字池の太鼓橋を二人で渡る。

 修学旅行の観光客から、海外旅行客、親子連れからカップルまで、たくさんの人が訪れていて賑やかだ。
 人混みでも浮き上がるように、春ちゃんは色白で美人でよく目立つ。
 彼女のゆったりした声を聴いていると、なんだか学生時代に戻ったみたいだ。

「私、最近ずっと楓ちゃんに会いたいと思っていたのよ」
「それは光栄だなあ」
「ここなら会えるかなって、なんとなく来たの」
「……太宰府で会えるかもって偶然狙える土地だっけ?」

 むしろ待ち合わせをしていても人混みに呑まれそうな気がするけれど。
 私が太宰府育ちならともかく、私は生まれも育ちも東区から出たことがないし、頻繁にエンカウントする場所でもない。

「でも逢えたでしょ?」
「う、うん」
「きっと運命なのよ」

 春ちゃんは長い黒髪を靡かせて柔らかく笑う。

「春ちゃんに運命って言われると、なんだかドキドキするなあ」

 幼い頃からお人形みたいに綺麗な春ちゃんは、今日も相変わらず物凄い美女だ。深窓の令嬢といった言葉に命を与えてそのまま具現化したような、現実離れした美貌と物腰が、私は小さい頃からずっと憧れだった。

 二番目の橋を渡りながら、私たちの話題は現状の話になっていく。

「ーーじゃあ、今の会社に入って順風満帆なのね?」
「うん。まあそんな感じかな……」

 最近は、私の個人的な感情のせいで順風満帆と言っていいのかわからないけれど。
 春ちゃんは私の態度の曖昧さを逃さない。

「ちょっと含みがあるけど、さては何かあったわね?」
「えー。うーん……」
「ほぉら。春おねえちゃんに話して御覧なさい?」

 春ちゃんは長い睫毛の双眸でじっと私を見つめてきた。
 私は言葉に詰まる。嘘をつくのは昔から苦手だ。上手く返事ができないまま、足早に最後の太鼓橋を渡った。

「まあいいわ。後で聞かせてね」
「うん……」

 私たちは手水舎で手を清め、拝殿まで向かってお参りを済ませた。そしておみくじを頂いて二人で捲る。太宰府天満宮のおみくじは季節によって色が異なり、今は薄い水色のおみくじだ。
 先に開いたのは春ちゃんだ。

「私は中吉。『結果はいいけど手間はかかるでしょう』って。楓ちゃんは?」
「待って待って。指が引っ掛かっちゃった」

 爪でカリカリしてようやくおみくじを開くと、そこには大吉と書かれていた。

「やった! ……ええと、『これまでの苦労が報われて、花開くように満ち足りた日々が訪れるでしょう、』」
「よかったわね」
「うん。……えーでも続きが不穏だよ。『しかし降り注ぐ陽光は同時に、向き合わなければならない新たな問題や別れも照らし出します。盛んな時でも何事も謙虚さを忘れず、周囲の人々の気持ちを大切にし、祖先を大切に敬うのが運気につながります』……順風満帆でも調子に乗るなよって感じね……」

 まさに今の状況にぴったりの内容。どこかで見下ろしていらっしゃるだろう、プロフェッサーM氏のお導きを感じさせる。
 内心のモヤモヤが、溜息になって溢れる。

「春ちゃん。……もし時間があるなら、少し悩みを聞いてくれる?」
「ええ」

 春ちゃんは、私を見て目を細めて笑んだ。
 私は幼い頃からずっと、何か困るたびに春ちゃんに相談してる気がする。

ーーー

 私たちは天満宮参道にあるお茶屋さんで、赤い毛氈の引かれた椅子に並んで、お抹茶と梅枝餅を食べていた。

「ふうん……社長さんの事が気になるけど、どんな人かわからないから不安なのね」
「そんな感じかな」

 あやかしに纏わる仕事という部分を誤魔化しながら、私は春ちゃんに今の悩みを打ち明けた。

 転職と対人関係(だだもれれいりょく)で困っていた時に助けてくれた社長さん。
 (見た目は)若くて格好良くて、とても仕事でも頼れて優しい人。
 その人はちょっと私に距離感が近くて(キスの関係は流石に言えない)、私が一人ドキドキしてしまっている状況。彼は私を意識しているようには感じない。
 普通なら意識しているのかな?と思うような距離感だけど、彼は普通の人とはちょっと違うから、私の事をどう思っているのかわからない。 

「……イケメンで遣り手で、気があると勘違いするような距離感で女子社員にコミュニケーションを取る社長……?」

 春ちゃんの顔が思いっきり怪訝な顔になっている。

「それ、明らかに信じちゃいけない人なんじゃない?」
「あっいや、その、……わ、私の説明がダメなだけかも!! 篠崎さんはその、そういう人じゃなくて……!」
「あ。庇い立てしてる」

 春ちゃんはピシ、と指摘する。

「悪く言われたくないのね、社長さんのことを」
「ま、まあ」
「篠崎さんって言う彼のこと……好きなんだ?」

 春ちゃんの視線に耐えきれず、私は空になってる菖蒲池の方へ目をそらす。

「うう……好きなのかどうかも、よくわかんないよ。私彼氏いた事ないし。優しくされてるから好きだと勝手に思っちゃってるだけなのか……篠崎さんが私の事をどう思ってるのか全くわかんないし、好きになるのは怖い」
「好きになるのは怖い、か」
「……うん。怖い。かも」

 私は春ちゃんに漏らす言葉で、初めて自分の気持ちに気づく。
 そうかーー私は、篠崎さんを『好きになるのが怖い』んだ。
 彼がどんな気持ちで私に接してくれているのか、全くわからないから。

「それって…会社経営者さんだから、住む世界が違ってわかんない、みたいな感じなのかな」
「近いかも」

 住む世界が違う。だから気持ちがわからない。
 篠崎さんが同じ普通の寿命の人間だったら、ここまで悩まなかった。

「うーん。そうなのね……」

 春ちゃんは口元に手を添えて呟きながら、長い睫毛の瞳でじっと一点を見つめ、考える。
 こういう時の春ちゃんの顔が、私はずっと好きだ。

「うん。決めたわ。楓ちゃん、こういう時はサンプリングよ」
「サンプリング、って……?」
「普通の女子がこういう状況をどう思うのか、いくつか意見を求めるのよ」

 彼女は言いながら早速ポシェットからスマートフォンを取り出すと、白魚の指でスッスッと何かを入力している。

「な、何してるの」
「福岡市内に住むお友達に連絡よ。できればもう今夜、飲み会しちゃいましょうって」
「話が早すぎるよ春ちゃん!!!」
「早くもなるわよ」

 春ちゃんは真顔になって、私をじっと正面から見る。

「だって小さい頃から見守ってきた、大切な幼馴染の一大事だもの。ね?」

 にこり。奇跡の美女に微笑まれると、私は何も言えなくなる。

「は、はい」


 今日が金曜日ということと、ちょうどランチタイムだったのが功を奏したのか、次々に春ちゃんに返信が入ってくる。春ちゃんは画面を見て弾んだ声をあげた。

「あっ、みんな集まれるみたい。よかったわね。これから楓ちゃんは仕事でしょう? また終わったら連絡するわね」

 有無を言わせぬ勢いに圧倒されーー私は今夜、業務後に夜ご飯に行くことになった。