見るからに二十代のお若い方(ほう)と、いかにも役職付きのような紳士の方(ほう)。
 二人とも武道の心得があるのか、どことなくスッと背筋が伸びていて凛々しい。まるで武者だ。
 私たちは通り一遍の挨拶を交わし、席に着く。

「弊社篠崎から既にご案内がお済みかと存じますが、今回はこちらのお寺の御住職としてお勤めいただきます。雇用契約につきましてはこちらにーー」

 タブレットと書類を前に、スムーズに確認と手続きが進んでいく。若い方の男性と紳士の二名のうち、今回入職するのは若い方の男性の方だ。
 紳士は笑顔を浮かべて私に言った。

「私は単なる付き添いだ。まあ気にしないでくれたまえ」
「いや〜殿、拙者が慣れてないばかりにご足労いただき申し訳ない」
「なに。偶(たま)には人里に出て人と話す口実が欲しいものだよ、気にするな。……ほら、そこはフリガナ欄だ。片仮名で書けよ」
「はっ!」

 書類に書き込んでいく様子を見ながら、私はタブレットの情報を見やる。お二人とも400年前くらいに亡くなった武士の方と書かれている。あ、本物のお武家さんか〜。

 そう言えば太宰府天満宮の宝物殿に収蔵されている菅原……名前を申し上げられない公の刀も焦げ焦げだった。確か戦国時代に天満宮の本殿が燃えたとき、一緒に燃えたって書かれていた気がする。
 きっとその頃にご存命だったあやかしさんなのだろう。 あやかし?

「あ、あの…不躾だったら申し訳ないのですが」
「構わぬよ。どうした?」

 殿と呼ばれる紳士が柔らかく私に返してくれる。

「恥ずかしながら私、まだ『あやかし』の基準がわからないでいるのですが……。お二方は元々人間としてお過ごしだったのですよね。今は……区分としては…?」
「まあ、神仏に近い存在だろうね。私もどう表現すれば良いのか分からぬのだ」

 殿は苦笑いして、コーヒーをゆったりと口にする。代わって隣で部下の方が話してくれた。

「いやあ、『子孫が元気にやってるかなー、ちょっと見守ってから逝こうかなー』とか思ってたら、意外と手厚く祀られちゃって、そのまま神霊となる者も多いんですよ。ま、せっかくこうして永く『此方』に居られるのだから、少しは働いて人々の助けになれればと」
「輪廻に入る魂もあれば、祀られる事により魂が分離して、神仏に近い存在として残ることもある。私たちはそういう存在だ」
「へー」
「こうして戴く珈琲も美味いし、甘味も美味い。長生きするに越したことはないな」
「なるほどですね……」

 元人間の神様から狐まで、全部網羅!ーー『あやかし』は、奥が深い。

「弊社篠崎からの紹介のお寺は、宗派など障りはありませんか?」
「念仏は任せてください。生前に殿に倣って出家もしましたし!」
「あは……」
「幽霊ジョークだ。気にしなさんな」

 殿が少し困った顔をして笑う。その漂う気品に私はつい緊張してしまい、愛想笑いもぎこちなくなってしまうのだった。

ーーー

「それでは、次にお会いするのは一週間後、お寺でですね」
「はい、よろしくお願いします」

 不意に、殿が涼しげな目元を細めて私を見た。

「ところで楓殿。紫野(しの)は息災か? 実は、私は彼に会いたくて来たようなものだったのだが」
「しの、ですか?」

 私は先日からスナックで聞いた名前を思い出す。あの時も篠崎さんは「しの」と呼ばれていた。

「ああそうか、今は篠崎か」

 殿は笑う。

「しの、って……弊社の篠崎の事なんですね、やっぱり」
「ああ。彼奴は、過去を知る物には中々会ってくれなんだ。だが無理もなかろう」
「昔からのお知り合いとは……会わないんですね……篠崎は」

 その時。涼やかな殿の眼差しが静かに、私をみて細くなる。

「主(ぬし)。もしや、好いておるのだな? 紫野のことを」
「っ……え、えっと、その」
「ふふ、まあ良い。……今は楓殿がいるのならば、紫野も安泰だろう」

 しどろもどろになる私に殿は優しい顔をして微笑み、窓の外にちらと目を向けた。

「妻が来たようだ」
「奥様、ですか?」
「ああ。今日は暑いから出て来ずとも良いと言ったのに。待ちきれなかったか」

 私も窓外を見下ろしてみる。
 殿の視線の先には、喫茶店へとゆっくり近づいてくるレースの日傘があった。顔はよく見えない。殿の隣で部下さんが私に言う。

「殿と奥方はこの後でぇとのお約束なんですよ」
「あらデート。素敵ですね」

 私と部下さんは顔を見合わせてふふふと微笑む。
 話は既に終わっていたので、私たちは立ち上がり店を後にした。

「では、また。紫野に宜しく伝えてくれ」
「菊井殿! では寺では宜しく頼みますね!」
「はい! 本日はご足労いただきありがとうございました!」

 私が挨拶をすると、殿と部下さんは日傘をさした奥様と一緒に去っていった。殿と奥様は後ろ姿だけでもうっとりする程、仲睦まじく見えた。

「篠崎さんの昔の、お知り合いかあ……」

 私は見送りながら一人、ぽつりと呟く。

 篠崎さんの古いお知り合い。400年前のお知り合いも、いることにはいるのだ。私にとって400年前なんて、ご先祖様が何をしていたのか、わからないくらいの昔なのに。
 なんだか不思議な感じだと思っていた、その時。

「楓ちゃん」

 懐かしい声が私の背中に掛けられる。
 はっと振り返ると、そこには幼馴染の友達が白いワンピースで佇んでいた。

「春(はる)ちゃん!」

 長い黒髪を靡かせ、春ちゃんは私に向かってにっこりと、笑った。