篠崎さんは沢山の鬼火を纏わせ、闇夜に浮かび上がるように佇んでいた。
篠崎さんが来てくれた。
安堵で膝が笑いそうになるのを堪え、私は引き続きICカードを構え続ける。
主任が忌々しげに舌打ちした。
「どうして、私の事を一本尻尾の霊狐如きが……」
「あんたと違って、こっちは行き当たりばったりで生きてないものでね」
篠崎さんは鬼火を手に取り口付けながら、ゆっくりと此方に近づいてくる。
「下級の水術を使う巫女。巫女としてはあり触れた術だが、犯人を辿れない訳じゃない。そこの楓みたいなイレギュラー以外は、大抵の能力者は特別な家系育ちだ」
ちらりと私に目を向け、そして再び彼は話を続ける。
「この土地は『天神様のお膝元』。福岡に精通した巫女なら絶対やらかさない場所だ。つまり、通り魔巫女は、土地勘のない、下級水術を使う巫女。そこから目星をつけて、県庁の土木課の知り合いに問い合わせれば、素性はすぐにわかる」
「あやかしと……公務員が、繋がっているって言うの?」
「表向きは払い払われの関係だがな。まあ、大人の事情ってもんさ。土地の謂れや霊力についてはあやかしの方が熟知している事も多いんだ」
篠崎さんは片目を眇めて笑う。
「あんたの事はご親戚がすぐに話してくれたぜ? 島の本家の生まれでありながら、水神に選ばれなかった巫女。巫女として失敗作扱いされて妹に当主を奪われ、公務員試験も落ちて、やけくそになって縁故頼りで福岡に就職したが、自分の立場に納得できないまま会社も辞め、今はふらふら通り魔巫女ってわけだ」
「知ったふうな口を……私が、どれだけ苦しんできたのか、知らないくせに」
「苦しんできた、それがどうした」
鋭く否定した篠崎さんは私の隣に立ち、更に力強く言葉を続けた。
「あんただって、あんたが傷つけたあやかしが何を考え、生きてきたか知らねえだろ。あんたが勝手に拗らせて攻撃している、菊井楓(こいつ)もそれなりに苦労してきてんだ」
篠崎さんの手が、ふわりと私の肩に触れる。
その優しい気遣いに胸がぎゅっと苦しくなる。彼は真剣に、主任に向かって反論した。
「特別な血だから楽に生きられる訳じゃねえって、あんたなら知ってるはずだ。楓(こいつ)も自分の能力で「普通」に生きられず苦労してきた。それでも長所を伸ばして、必死に自分らしく人の役に立とうと努力してる。あんたも現実を見て、地に足を付けて頑張ったらどうだ」
顔が真っ赤。
「うるさい、うるさいうるさい! じゃあ私は、どうしろって言うのよ!」
衝撃波が飛ばされる。篠崎さんが口の中で何かを呟くだけで、衝撃は反射して主任に跳ね返る。
「きゃっ……!!」
へたり込んだ主任に、私は訴えた。
「お辛い気持ちはきっと色々あるんだと思います、けれど、人の幸福を否定してちゃ……先には進めませんよ!!」
その時。
「そうじゃ。巫女よーー自分を認めて、そこからできることを探していく為に島を出たのではないのか?」
夜空の向こうから、お爺さんの声が聞こえる。そして力強い羽ばたきの音。
「来たか」
篠崎さんがつぶやく。
見上げると頭上から、猛禽の大きな翼を生やしたスーツ姿の男性が舞い降りてきた。
ワイシャツの背中から飛び出すのは、全身を覆うほどの大きさの猛禽の翼。
さらさらの銀髪に金色の丸眼鏡、袖にアームバンドをつけた事務職然とした美男子だ。
彼の右腕には、真っ白な蛇が絡み付いている。
お爺さんの声は、どうやら蛇が発しているようだ。
「あ、ああ……」
主任が青ざめている。
美青年は震える主任が目に入っていないような淡々とした調子で、私の方にペコリと頭を下げた。
「菊井さんですね。お初にお目にかかります。私、法務相談を生業としております福田六郎(ふくだろくろう)です。こんばんは」
「こんばんは、初めまして……菊井楓と申します」
視線に射抜かれた瞬間ビリビリとする。私でもはっきり解るーー彼は、強い存在だ。
圧倒されてしまった私の隣で、篠崎さんが言葉を添える。
「彼が、楓の退職手続きをやってもらった法務担当の福田先生だ」
「あ! あの時、電話をしてくださった!」
福田先生は頷く。
「北海道出身です。長らく小さき里の土地神(コタンコロカムイ)をしておりましたが、守るべき村が無人となった折、炭鉱労働者の方と一緒に福岡に移住しました」
「それは遠い所から遥々……」
大きな翼は梟の翼らしい。フクロウ?ーーああ、福田六郎とは、もしかして?
神様も移住してくることがあるのかと思うとちょっと凄い。そりゃあビリビリ感じるはずだ。
私が福田先生に気を取られていたところで、主任の泣きそうな声が聞こえてきた。
「神様、どうして……ここに……」
「我が社(やしろ)の巫女が福岡で暴れていると聞けば、儂も島から出ぬわけには参らんよ」
主任は青ざめてぎゅっと拳を握る。その震える姿はまるで折檻を受ける幼い子供のようで、彼女がかつてどれだけ厳しく躾けられてきたのかを感じさせるものだった。
「霊力としても、志も、巫女としての才能は妹の方が上じゃったよ。今も善く儂に奉仕してくれている。だが妹も、島の外で大成したいと飛び出していった姉を応援しているぞ、今でも」
「そんなの……同情でしかありません」
「いい加減、劣等感の色眼鏡を外して、妹の本当の気持ちを汲んでやらんか。……少なくとも、今のお主のその姿は妹が望んだ『強い姉』ではないぞ」
「……」
「島を出たとはいえ、お主も可愛い我が巫女だ。中途半端で諦めて自暴自棄になるなど、許さんぞ」
主任は座り込み、顔を覆って嗚咽を始めた。
福田先生の腕から降りた白蛇さんは、主任の顔を覗き込むように近づいていく。
二人は私たちに聞こえない言葉で、しばらくずっと語り合っていた。
ーーー
その後。
主任は蛇神様と福田先生と一緒に、あやかし自治会の皆さんに向けて謝罪した。
迷惑をかけたあやかしに弁償をすること、霊力で一定期間の奉仕活動をすること。一旦島に帰り、今後について改めて家族会議を行うことが決まったらしい。
私はと言えば夜の仕事は終わりを告げ、いつもの日中業務に戻っていた。
通り魔巫女騒動から数日後、真夏の事務所に福田先生がやってくる。
篠崎さんと一緒に応接間に入ったので、私は冷蔵庫に入っていた例の「あかくて、まるくて、おおきくて、うまい」な苺がまるごと入った大福とお茶をお出しした。
私をみて福田先生は軽く会釈してくれた。
軽く結んださらさらの長い銀髪に金の丸眼鏡、それに背中に大きく広がる梟の羽。ものすごく目立つ容姿だけれど、鏡に映る姿はごく普通の黒髪短髪の男性だ。こういうの、まだよく慣れない。
あま……大きな苺入りの大福を遠慮なくもぐもぐと口にしながら、福田先生は私に話しかけた。
「災難でしたね、菊井さんも」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ転職の時に助けていただいていた福田先生にご挨拶もしないままで失礼いたしました」
「私も色々飛び回っているので捕まりにくいですし、こちらも仕事ですから気になさらないでください」
梟だけに、飛び回ってらっしゃるんですね!というアホなツッコミはなんとか口の中で押し留めた。
「あの、福田先生。これから主任はどうなるんですか?」
「少なくとも向こう数十年は、福岡での就職は難しいでしょうね」
「ひえ」
「そういうものです。あやかしだから何をしてもいいと思って暴走する輩もたまにいますが、『こちら』にいるあやかしは基本的に人と影響し合ってますので」
その後、篠崎さんと福田先生は別の仕事の話があるというので、私は応接間を後にする。
扉を閉める直前、福田先生の声が聞こえた。
「ーーでは、しの殿のご相談の件について始めましょうか」
しの?
閉ざされてしまった扉を振り返り、私は盆を抱えて息を殺す。
やっぱり篠崎さんは色んな人に「しの」と呼ばれている。愛称なのだろうかと思ったけれど、今の会話で確信したーーきっと、篠崎さんは「しの」なのだ。
「私は、篠崎さんのこと……何も知らない」
応接間の階から階段で降りながら、私はひとり呟く。
「『推し』なんだから、知らなくてもいいじゃない。芸能人の本名とか、卒アルとか興味ないし。自分に見せてくれる『推し』の姿が全てでいいじゃない」
自分に言い聞かせるように、私はお盆を抱いたまま口にする。
冷静になろうとする私を笑うように、首筋の噛まれたところが、甘くジンジンと、痛い。
篠崎さんが来てくれた。
安堵で膝が笑いそうになるのを堪え、私は引き続きICカードを構え続ける。
主任が忌々しげに舌打ちした。
「どうして、私の事を一本尻尾の霊狐如きが……」
「あんたと違って、こっちは行き当たりばったりで生きてないものでね」
篠崎さんは鬼火を手に取り口付けながら、ゆっくりと此方に近づいてくる。
「下級の水術を使う巫女。巫女としてはあり触れた術だが、犯人を辿れない訳じゃない。そこの楓みたいなイレギュラー以外は、大抵の能力者は特別な家系育ちだ」
ちらりと私に目を向け、そして再び彼は話を続ける。
「この土地は『天神様のお膝元』。福岡に精通した巫女なら絶対やらかさない場所だ。つまり、通り魔巫女は、土地勘のない、下級水術を使う巫女。そこから目星をつけて、県庁の土木課の知り合いに問い合わせれば、素性はすぐにわかる」
「あやかしと……公務員が、繋がっているって言うの?」
「表向きは払い払われの関係だがな。まあ、大人の事情ってもんさ。土地の謂れや霊力についてはあやかしの方が熟知している事も多いんだ」
篠崎さんは片目を眇めて笑う。
「あんたの事はご親戚がすぐに話してくれたぜ? 島の本家の生まれでありながら、水神に選ばれなかった巫女。巫女として失敗作扱いされて妹に当主を奪われ、公務員試験も落ちて、やけくそになって縁故頼りで福岡に就職したが、自分の立場に納得できないまま会社も辞め、今はふらふら通り魔巫女ってわけだ」
「知ったふうな口を……私が、どれだけ苦しんできたのか、知らないくせに」
「苦しんできた、それがどうした」
鋭く否定した篠崎さんは私の隣に立ち、更に力強く言葉を続けた。
「あんただって、あんたが傷つけたあやかしが何を考え、生きてきたか知らねえだろ。あんたが勝手に拗らせて攻撃している、菊井楓(こいつ)もそれなりに苦労してきてんだ」
篠崎さんの手が、ふわりと私の肩に触れる。
その優しい気遣いに胸がぎゅっと苦しくなる。彼は真剣に、主任に向かって反論した。
「特別な血だから楽に生きられる訳じゃねえって、あんたなら知ってるはずだ。楓(こいつ)も自分の能力で「普通」に生きられず苦労してきた。それでも長所を伸ばして、必死に自分らしく人の役に立とうと努力してる。あんたも現実を見て、地に足を付けて頑張ったらどうだ」
顔が真っ赤。
「うるさい、うるさいうるさい! じゃあ私は、どうしろって言うのよ!」
衝撃波が飛ばされる。篠崎さんが口の中で何かを呟くだけで、衝撃は反射して主任に跳ね返る。
「きゃっ……!!」
へたり込んだ主任に、私は訴えた。
「お辛い気持ちはきっと色々あるんだと思います、けれど、人の幸福を否定してちゃ……先には進めませんよ!!」
その時。
「そうじゃ。巫女よーー自分を認めて、そこからできることを探していく為に島を出たのではないのか?」
夜空の向こうから、お爺さんの声が聞こえる。そして力強い羽ばたきの音。
「来たか」
篠崎さんがつぶやく。
見上げると頭上から、猛禽の大きな翼を生やしたスーツ姿の男性が舞い降りてきた。
ワイシャツの背中から飛び出すのは、全身を覆うほどの大きさの猛禽の翼。
さらさらの銀髪に金色の丸眼鏡、袖にアームバンドをつけた事務職然とした美男子だ。
彼の右腕には、真っ白な蛇が絡み付いている。
お爺さんの声は、どうやら蛇が発しているようだ。
「あ、ああ……」
主任が青ざめている。
美青年は震える主任が目に入っていないような淡々とした調子で、私の方にペコリと頭を下げた。
「菊井さんですね。お初にお目にかかります。私、法務相談を生業としております福田六郎(ふくだろくろう)です。こんばんは」
「こんばんは、初めまして……菊井楓と申します」
視線に射抜かれた瞬間ビリビリとする。私でもはっきり解るーー彼は、強い存在だ。
圧倒されてしまった私の隣で、篠崎さんが言葉を添える。
「彼が、楓の退職手続きをやってもらった法務担当の福田先生だ」
「あ! あの時、電話をしてくださった!」
福田先生は頷く。
「北海道出身です。長らく小さき里の土地神(コタンコロカムイ)をしておりましたが、守るべき村が無人となった折、炭鉱労働者の方と一緒に福岡に移住しました」
「それは遠い所から遥々……」
大きな翼は梟の翼らしい。フクロウ?ーーああ、福田六郎とは、もしかして?
神様も移住してくることがあるのかと思うとちょっと凄い。そりゃあビリビリ感じるはずだ。
私が福田先生に気を取られていたところで、主任の泣きそうな声が聞こえてきた。
「神様、どうして……ここに……」
「我が社(やしろ)の巫女が福岡で暴れていると聞けば、儂も島から出ぬわけには参らんよ」
主任は青ざめてぎゅっと拳を握る。その震える姿はまるで折檻を受ける幼い子供のようで、彼女がかつてどれだけ厳しく躾けられてきたのかを感じさせるものだった。
「霊力としても、志も、巫女としての才能は妹の方が上じゃったよ。今も善く儂に奉仕してくれている。だが妹も、島の外で大成したいと飛び出していった姉を応援しているぞ、今でも」
「そんなの……同情でしかありません」
「いい加減、劣等感の色眼鏡を外して、妹の本当の気持ちを汲んでやらんか。……少なくとも、今のお主のその姿は妹が望んだ『強い姉』ではないぞ」
「……」
「島を出たとはいえ、お主も可愛い我が巫女だ。中途半端で諦めて自暴自棄になるなど、許さんぞ」
主任は座り込み、顔を覆って嗚咽を始めた。
福田先生の腕から降りた白蛇さんは、主任の顔を覗き込むように近づいていく。
二人は私たちに聞こえない言葉で、しばらくずっと語り合っていた。
ーーー
その後。
主任は蛇神様と福田先生と一緒に、あやかし自治会の皆さんに向けて謝罪した。
迷惑をかけたあやかしに弁償をすること、霊力で一定期間の奉仕活動をすること。一旦島に帰り、今後について改めて家族会議を行うことが決まったらしい。
私はと言えば夜の仕事は終わりを告げ、いつもの日中業務に戻っていた。
通り魔巫女騒動から数日後、真夏の事務所に福田先生がやってくる。
篠崎さんと一緒に応接間に入ったので、私は冷蔵庫に入っていた例の「あかくて、まるくて、おおきくて、うまい」な苺がまるごと入った大福とお茶をお出しした。
私をみて福田先生は軽く会釈してくれた。
軽く結んださらさらの長い銀髪に金の丸眼鏡、それに背中に大きく広がる梟の羽。ものすごく目立つ容姿だけれど、鏡に映る姿はごく普通の黒髪短髪の男性だ。こういうの、まだよく慣れない。
あま……大きな苺入りの大福を遠慮なくもぐもぐと口にしながら、福田先生は私に話しかけた。
「災難でしたね、菊井さんも」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ転職の時に助けていただいていた福田先生にご挨拶もしないままで失礼いたしました」
「私も色々飛び回っているので捕まりにくいですし、こちらも仕事ですから気になさらないでください」
梟だけに、飛び回ってらっしゃるんですね!というアホなツッコミはなんとか口の中で押し留めた。
「あの、福田先生。これから主任はどうなるんですか?」
「少なくとも向こう数十年は、福岡での就職は難しいでしょうね」
「ひえ」
「そういうものです。あやかしだから何をしてもいいと思って暴走する輩もたまにいますが、『こちら』にいるあやかしは基本的に人と影響し合ってますので」
その後、篠崎さんと福田先生は別の仕事の話があるというので、私は応接間を後にする。
扉を閉める直前、福田先生の声が聞こえた。
「ーーでは、しの殿のご相談の件について始めましょうか」
しの?
閉ざされてしまった扉を振り返り、私は盆を抱えて息を殺す。
やっぱり篠崎さんは色んな人に「しの」と呼ばれている。愛称なのだろうかと思ったけれど、今の会話で確信したーーきっと、篠崎さんは「しの」なのだ。
「私は、篠崎さんのこと……何も知らない」
応接間の階から階段で降りながら、私はひとり呟く。
「『推し』なんだから、知らなくてもいいじゃない。芸能人の本名とか、卒アルとか興味ないし。自分に見せてくれる『推し』の姿が全てでいいじゃない」
自分に言い聞かせるように、私はお盆を抱いたまま口にする。
冷静になろうとする私を笑うように、首筋の噛まれたところが、甘くジンジンと、痛い。