深夜。
 私は雫紅(しずく)さんから借りたジェリッシュのCDを掛けながら、家でゴロゴロと図書館の本を読んでいた。

「へえ、狐って色々いるもんなんだな……」

 図書館で借りてきた狐にまつわる本をぱらぱらと捲(めく)る。
 狐があやかしとして知られるまでの歴史や、霊狐の格について書いてある本だ。

 参考資料の文献や時代によって意見が別れることも多いと書かれているけれど、修行を積んだ力の強い狐は尻尾が何本も増えた姿をしている事が多いらしい。

「篠崎さんの尻尾は一本だけど、霊狐としては普通の狐に近い方なのかな?」

 とても強い狐のように振る舞っているから、霊格が低いというのが意外だ。けれど四百年って確かに歴史としては結構新しい方だ。

 志賀島の金印とか、平原遺跡の内行花文鏡とか、カラフルな王塚古墳よりは新しいし。
 私は郷土史の授業を思い出しながら、思いつく限りの古いものを考えながら、あの背の高い綺麗な篠崎さんの姿を思い出す。

「篠崎さんは、昔どんな狐さんだったんだろう」

 長い金髪を肩に滑らせ振り返る、篠崎さんの優しい眼差し。ざっくばらんな人だし、普通に話してると本当に普通で、400年の狐さんだなんて想像できない。
 昔も、あの金の瞳を目を眇めて笑っていたのだろうか。
 キスしたこと、これまでもあったのかな。

「うわー!! だめだだめだ! 思い出しちゃダメ!!!」

 じたばた。
 枕を抱いて足をジタバタしたところで、こういう時に迷惑そうに「にゃあ」と鳴く声が無いことに気づく。
 半分同居状態の猫さんは、今夜はまだ帰宅していない。

「……そういえば猫又の夜さんも尻尾が二本よね」

 彼は彼なりのお付き合いやお仕事があるらしく、毎日毎晩一緒にいるわけではない。ここ一週間ほどは帰ってきていないが、会社では済ました顔で仕事をしているから元気にやっているのだろう。

 その時。
 ベランダに黒い影がぴょこぴょこする。ネギや豆苗を育ててる100均のプランター置き場を乗り越えて、よろよろの黒猫がやってきた。
 水に濡れてびしゃびしゃだ。口に何かを加えている。

「夜さん、どうしたの?」

 よろよろと部屋に入ってきた夜さんは、ぺそ、と咥えているものを吐き出す。にぃにぃと鳴く子猫が、寒いのかカタカタと震えている。夜さんは宥めるように顔をぺろぺろと舐めてやる。

「大変! えっと……猫のお世話知らない、どうしよう」
「まずは拭くものと暖かい湯を頼む」

 夜さんは猫のまま私に言う。

「怪我はない、ただ怯えているだけだ」
「うん、わかった」

 私はふかふかのバスタオルで子猫を包み、すぐに温かい湯を沸かす。夜さんもタオルで包んで拭いてあげると、私の手に擦り付いてくる。霊力がじわじわと吸われているのを感じた。

「そうだ、霊力! ねえ夜さん、この子猫ちゃんも、あやかし?」
「ああ。まだ尻尾は裂けていないが、猫又の母親を持つ子だ」
「わかった!」

 私は仕事カバンを手に取り、ぶら下げたICカード入れからICカードを取り出す。
 簡易的呪符として、犬のキャラクターの目の部分にシールが貼られたそれ。
 私は犬のキャラクター部分を子猫ちゃんに向け、感性の赴くままにポージングを決めた。

「菊井楓パワー! 降り注げ!! はや○けんビーム!!!!」

 驚いた夜さんが毛並みをブワッと逆立てている。
 次の瞬間、マスコットキャラクターの両目から光がほとばしり、子猫に勢いよく降り注ぐ。
 子猫の震えはだんだん収まり、そして、すうすうと静かな寝息に変わった。

「ふう……上手くいった……」
「楓殿。その面妖な呪符は」
「篠崎さんに教えてもらったんだ。私の霊力を少しでも能力として運用する方法」

 私はICカードをケースにしまう。

 は○やかけん。
 カード自体は何の変哲も無い、福○市営○下鉄の交通系ICカードのあれだ。

 日本各地で発行されている先発ICカードの「○○カ」の命名規則を踏襲しているようでありながら「けん」が字余り、さらに明朝体ひらがな、既存のキャラクターのイラストやロゴマークが散りばめられた、全体的に強烈な個性を誇るICカードだ。

 地下鉄に乗るたびにポイントが地味に結構貯まるので、私は学生時代から愛用している。

「見て、夜さん。この○○○○くんの目のところにシール貼ってあるでしょ。これ」
「ああ」
「シールのおかげでICカードが特別即席の呪符になってるんだ。霊力を使えば篠崎さんも分かるらしいし」

 私は○やか○んを見つめる。
 初心者な私でも巫女のように霊力を扱えるように、篠崎さんが調整してくれたものだ。
 呪符の代わりとしてICカードは意外とアリらしい。
 常に身につけているものだし、意識を集中させやすい形だし。

「そうか。あいしーかーどとは便利な呪物なのだな」

 夜さんは神妙に頷くと、人間の姿に変化し、湯桶に張ったお湯でそっと子猫を洗ってあげた。
 そして、改めて、ふかふかのタオルで包んであげる。
 パンツくらい履いてほしいけれど、緊急事態なので全裸でも気にしている場合では無いだろう。

「夜さん。大丈夫、そうかな?」
「ん。子どもは安心だと御母堂に伝えなければ」
「ごぼ……ああ、ママね。ママさんは携帯持ってる?」
「持ってる」
「じゃあ連絡入れられるね」

 夜さんが連絡している間、私は鼻息をぴぃぴぃ鳴らして寝る子猫の傍についていた。

 ーー未契約のあやかしに霊力を与えるのは良くないが、治療はあり。
 もしもの時のために篠崎さんから習っていたのだけど、早速役に立って私は嬉しかった。