その日、お義父さまはお勤めに出ていて、晋太郎さんはいつものように、奥の部屋に籠もっていた。

私はお義母さまとお祖母さまの三人で、いただいた甘納豆をつまんでいる。

「ところで志乃さん」

ふいにお義母さまは言った。

「晋太郎とは、仲良く出来ていますか?」

「えぇ、それなりに……」

ほとんど話しなんてしていないけど、喧嘩もしていない。

なにしろもう夫婦になってしまったのだから、あの人にとってもこれ以上、どうということもないのだろう。

私にしたって、なにが正解なのかも分からない。

お茶をすすると、お義母さまはお祖母さまと目を合わせた。

「晋太郎の所にも、これを持っていってやって」

そう言って、取り分けた甘納豆を懐紙に乗せる。

晋太郎さんのものだという大きな湯飲みを渡され、初めてそれに触れた。

私の手には大きくて重すぎる根岸色のごつごつとしたそれを、盆にのせる。

「いってらっしゃい」

そう促されて、私はこの家へ来て初めて、晋太郎さんの自室となっている奥の部屋へ足を向けた。

北に向かう廊下は冬でも少し湿っぽくて、ツンとした冷たさが足袋を通して体の芯まで響く。

ここは屋敷の中でも、特に静かな場所だった。

緊張なのか寒さのせいか、かじかむ手で板戸を開く。

広い縁側と、それにかかる屋根の庇が大きく庭に向かって伸びていた。

庭は綺麗に掃かれた何もない質素な土だけ庭で、その人はそんな小さな庭を前にして、書架に広げた本を静かに読んでいる。

晋太郎さんは日々を仕事と道場の手伝いとに費やし、時折どこかに出かけていた。

この奥まった部屋にじっと籠もっていれば、同じ家にいてもほとんど顔を合わせることはない。

家にいる時には、晋太郎さんはこの部屋から出ることはほとんどなかった。

「お茶をお持ちしました」

盆ごと差し出す。

晋太郎さんはそれをちらりと見ただけで、何も言わず視線を本に戻した。

日のよく降り注ぐ縁側は、風さえなければ冬でも暖かい。

「……。何をお読みになっているのですか」

用は済んだので、戻ろうと思えば、すぐに戻ってもよかった。

祝言の日とその翌朝に言葉を交わして以来、この人の顔もろくに見ていない。

何を話そう、なんて話そう。

年上の大きな男の人を相手に、どう接していいのかも分からない。

無意識にぎゅっと拳を握りしめる。

「もう下がっていいですよ」

本から離れた手は、ただ盆を引き寄せただけだった。

大きな湯飲みを軽々と持ち上げ、視線を本に向けたまま口をつける。

そう言われて、緊張で固まっていたのが少しほぐれた。

小さな庭は白壁に囲まれていて、壁際にわずかに常緑樹が植えられている他は、地面がむき出しになっていた。

何を話そうか話題を探してみたけれど、それすら思い浮かばない。

仕事のことも、たまにいく道場の師範としての手伝いのことも、全部お義母さまから聞いて知っている。

「では、失礼します」

立ち上がろうとして、続きの奥の部屋にずらりと箪笥の並んでいるのが目に入った。

「まぁ、立派な箪笥がこんなに。ずいぶんたくさん置いてあるのですね」

掃除の時にも、この部屋に立ち入ったことはない。

ふらりと近寄る。

「とっても素敵。ここには、何が入っているのですか?」

「触るな!」

引き出しに手を掛けようとして、その声にビクリと手を引っ込めた。

「いや、大声を出してすまなかった。しかしそれには触らないで欲しいのです。できれば……そのままにしておいてください」

「は、はい! すみませんでした」

ろくに返事も出来ず、ペコリと頭を下げる。

そこを逃げ出した。

そんな急に、突然あんな大声を出さなくてもいいじゃない! 

私はただ単に、並んでいた箪笥が見たかっただけなのに……。