「そうだ。お題は『春の庭』にしましょう。それでもよろしいですか?」

「……好きになさい」

「晋太郎さんは、春の庭と言えば、何を思い浮かべますか?」

「私ですか? そうですね……」

何気ないおしゃべりは続く。

この人の隣でこんなにも長く話したのは、初めてかもしれない。

よかった。もう大丈夫。

奥の襖が開いた。

「ずいぶんと、熱心にしていらっしゃること」

お義母さまが入ってきた。

盆にどんぶりが二つ乗っている。

「志乃さん、今日はゆっくりしていなさい」

にっこりと微笑む。

すぐに襖は閉じられた。

義母は全力で応援してくれている。

お昼にと用意してくれたのは、アサリと大根の吸い物をご飯にかけたものだった。

「わ、何だか申し訳ないことをしました。私が作らないといけなかったのに……」

「いいのです。いただきましょう」

あっさりとした汁に、ふわりと磯が香る。

「志乃さんは、いつの頃から句を詠まれていたのですか」

「さぁ、もう忘れました」

そういうことにしておこう。

ニッと微笑むと、晋太郎さんは呆れたように笑った。

夕餉の支度は手伝って、寝所を整え床につく。

しばらくしてやってきた晋太郎さんは、すぐに布団に入った。

「明日は三味線を教えてください。床の間に立てかけてあるでしょう? ずっと気になっていたのです。よいですか?」

衝立の向こうでごそごそと音がして、その人はくるりと背を向けた。

「あれは飾り物であって、弾くものではありません」

「たまにお弾きになっているではないですか」

「駄目なものは駄目です」

「……まだ人に聞かせるほど、上達してはいないからですか?」

「はい?」

驚いたような晋太郎さんの声に、つい笑ってしまう。

「だって、お世辞にもあまりお上手とは……」

「もう休みます。おやすみなさい」

布団の山が動いた。

こみ上げてくる笑いをおし殺すのは難しくて、衝立の向こうのこの人を思うだけで、こんなにも楽しくなれることに驚く。

朝になって、お義母さまに尋ねてみた。

「あぁ、あの三味線ね」

義母は表情を変えることなく雑巾を絞る。

「耳障りなだけよ、やかましいもの。志乃さんまであんなものをかき鳴らさないでちょうだい。あの三味線はね、いろいろあって……、まぁ、形見なのよ」

「え? 珠代さまの形見なのですか?」

「そ。面倒くさいから、触れちゃダメよ」

義母の板の間を拭く手は止まらない。

ものすごい勢いで掃除を済ませる。

私は水の入った桶を持ち、立ち上がった。

「……。弾いてくださいって、お願いしちゃった……」

「あぁ、それは無理ね。無駄よ。諦めなさい」

今日は晋太郎さんは、お勤めに出て家にいない。

昼寝をしてもいいけれどこんな機会でもなければ、ゆっくりとあの部屋を見て回ることもできない。

私は奥の部屋に忍び込んだ。