君が僕にくれた余命363日


「元気でね」


小さくつぶやくように言った成田さんの横顔から目が離せない。

アイガモは立ち上がり、小さなアイガモたちと田んぼに入っていった。

その様子を優しい瞳で見つめる成田さんに手を伸ばす。

そこで自分の手が震えていることに気づいた。

鼓動も速くなって、このまま口から飛び出しそうだ。

成田さんの肩に手を置く。


【18.87】


朝から1年減っている。

きっと、ぜったい。
今、使ったからだ。


「どうして……」


顔を上げて僕を見る成田さん。

僕は声まで震えていた。

見え続ける成田さんの減った余命。

あと、18年しか生きられない。


「どうして、アイガモにまであげるの?」


君は知らないんだろうけど、あと18年しかないんだよ。

時間は有限。

君の命にも期限があるというのに。


「助けられる命がそこにあるから」


強い瞳。
揺るぎない意志。

成田さんは知らない人でも、動物でも、誰でも関係なく自分の命を渡すんだ。

さっきまで動かなかったアイガモが元気に田んぼを泳ぎ回っている。

視線を田んぼに移し、満足そうにアイガモたちを見つめる成田さん。

でも、僕はどうしても納得できない。


「誰にでも渡すの?」
「そうだね」


迷いなく即答。

成田さんは今までも、こうして自分の命をあげていたんだ。

命を落とした生き物に、再び生を授けてきたんだ。

減りが早いと思っていた。

命を渡さなければいけない場面なんて、そうない。

このような使い方をしているのなら、減りが早いのもうなずける。


「どこからどこまで使うの?」
「そんなに興味ある?」
「だって、こんな使い方……」
「命は命だよ。重いも軽いもない。命に優劣つけたくない」


僕の言いたいことを先読みして強い口調で言う。

わかってるよ。

それくらいわかってる。

でも、それは成田さんも同じだ。


「だとしても、成田さんが自分の命を削る必要はないんじゃないの」
「そうかもしれないね」

「優劣つけたくないって言った成田さんが、自分の命を下に見てる」
「そんなことないよ。だけど、わたしにしかできないことだから」

「それでも!自然の摂理に人間が手を出していいはずがない」


人はいずれ死ぬ。

生まれた時からそれは決まっていて、すでにカウントダウンも始まっている。


「変えてはいけないこともあるんじゃないの?」
「それでも変えたいんだよ。変えられるなら変えるべき。それが、この能力を持ったわたしの使命だと思うから」


今年で17歳だというのに、すべてを受け入れて運命に立ち向かおうとしているみたい。

いや、本来なら変えられない運命を変えている成田さんは、ひとりでずっと立ち向かってきたということだ。

成田さんの強い思いはわかった。

自分の命だ。

僕がその使い方に理解ができないとしても、とやかく言う権利などない。

ない、のだけどクラスメイトとして、こうして話すようになった仲としてはやっぱり気になる。


「その考えになったことは、さっき話してくれたことと関係してる?」
「さすが瑞季くんは察しがいいね」


立ち上がった成田さんが僕に体ごと向ける。


「そうだよ。わたしがもっと早く、この力に気づけていたらお母さんを助けられた。お父さんが壊れて自殺することもなかった」


成田さんが自分の余命をあげられると気づいたのはおばあさんに引き取られてからだ。

初めから持っていたかもしれないし、持っていなかったかもしれない。

だけど、もし、成田さんのお母さんが事故に遭った時に……と考えてしまうのだろう。

考えても仕方がない。

今なら助けられる。

死ぬことを、先延ばしにすることができるのだから。


「だからね、わたしは惜しみなく使いたい。わたしの命を削ってでも、わたしみたいな思いをする人がいなくなるならそれがいい」
「動物は?野生の動物にも?」
「変わらないよ。ほら、あのアイガモの親子だって嬉しそう」


視線を田んぼに向ける。

さっきまで倒れていた大きなアイガモの後ろを小さなアイガモが泳いでいる。

嬉しそう、と言われればそう見えるかもしれない。

倒れている大きなアイガモと、その周りを不安げにウロウロする小さなアイガモを見たから。


「でも、1年後にはさ」
「うん。でもその1年でできることも変わることもある。わたしは、みんなの未来を繋ぐことができるんだよ」
「未来……」
「そうだよ。だから、心配してくれてるのかもしれないけど、わたしは大丈夫」


心配、してるのかな。

なんかピンとこない。

だけど、それ以外の気持ちを表す言葉は今は思いつかない。

少し違う気がするけど、今はそれでいいや。


「大事にしなよ」
「ありがとう」


本当にこれでいいのか。

正直モヤモヤしていないと言えば嘘になる。

それでも、僕が決めることではないし、成田さんがいいならそれでいい。

成田さんの好きにしたらいい。

個人の自由だ。

いつもと変わらない笑顔を向けてきた成田さん。


その笑顔を見ても、僕のモヤついた心は晴れなかった。






「瑞季、これ食ってみ。超美味いから」
「ジローは味覚おかしすぎ」
「うぇ~、水。水ちょうだい」


ニコニコしているジローと眉をしかめる木下さん、喉を押さえながら水を求める成田さん。

カオス以外の何物でもない。

今は昼休みで、僕の席にこの3人が集まってきている状態。

ジローはクラスが離れているのにわざわざこの教室まで来ている。

初めて4人で放課後を過ごした次の日からこの4人で昼休みを過ごすようになった。

すでに1週間が経っている。
賑やかなのにも少し慣れ始めてきた自分がいる。


「はい、花純」


木下さんが成田さんに水の入ったペットボトルを渡す。

それを受け取りすぐにいっき飲みをした。


「……ぷはぁっ。ありがとう!」


ジローが買ってきた新発売のグミを食べて瀕死だった成田さんが復活する。

グミだけでここまで苦しむとは、怖いおやつもあったもんだ。


「うん。それにしても、花純にこんなの食べさせて、どうなるかわかってるの?」
「いや、美味いって。花純の味覚がおかしいだけ」
「はぁ?ここまできて花純の味覚だって?」
「じゃあ瑞季に決めてもらおうぜ」
「いいよ。日野がおいしいって言ったら、あんたの味覚を認めてあげるよ」


どうしてそうなる……。

ふたりから強い視線を向けられて逃げられない状況。

仕方がない。
覚悟を決めよう。

さっきの成田さんの様子は見ている。

水はキャップを開けて、手に持っておこう。


「ほら、瑞季。好きなだけとっていいから」
「1つで」


本当なら1つでも嫌だけど。

木下さんは食べてすらいない。

ジローの味覚を信じていないからだろう。

成田さんは好奇心から食べてあの有様だし。

拒否したくなるのも無理はないけど、僕はこのふたりの視線に負けてグミを口に放り込んだ。

口に入れて舌触りを確認してから数回噛む。
弾力がすごくて押し返される。


「どう?」
「美味いだろ?」


木下さんとジローが僕をじっと見てくる。


「めっちゃ噛むじゃん」


成田さんは僕の行動に目を丸くしている。

そういえば成田さんは口に入れた瞬間に変な顔をしていた。

僕はそこまでではない。
むしろ成田さんと反対だ。


「食べられる」
「え?」
「というと?」
「おいしい、かもしれない」


成田さんの反応や木下さんの食べないところから、相当まずいと予想していたけど案外いける。

べつに嫌な感じではない。


「よっしゃー!」

僕の感想を聞いて、ガッツポーズをして喜ぶのはジロー。


「ありえない……」

と驚いて僕を見るのは木下さん。


「これで俺の味覚、認めてくれた?」
「日野も味覚音痴だったとは……」
「え?」
「ジローの味覚にあう人は味覚音痴だよ」
「ちょっと待て、美玲。話が違う」
「心外だけど、本当においしく感じたんだよ」
「瑞季くん音痴ー!」
「音痴だけはやめて。意味が変わる」


わいわい騒いでいると、時間はあっという間にすぎて昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴る。

ジローはにこにこしながら教室を出て行き、木下さんは不服そうに自分の席を戻った。

「瑞季くんってあの味が好きなんだ。やばいね」


前の席の成田さんは僕にそれだけ言って、前を向いた。

成田さんの後ろ姿を見つめる。
失礼な人だな。
好みじゃないか。

それに成田さんに引かれるのは気分がよくない。

だから、ちょっとしたいたずら心で、シャープペンの背で首の後ろを突いた。


「ひゃっ」


肩を跳ね上がらせて、驚きの声をもらした成田さん。

その反応に満足して小さく吹き出した。

いつもやられっぱなしだから、こうして成田さんが想像していないことをできるのはいいな。

ちょっとだけ、楽しいと思った。

首を押さえて振り返る成田さんは怒った表情をしている。


「瑞季くん!」
「どうかした?」
「白々しい!」
「成田さんからその単語でツッコミ入れられるのおもしろいね」
「おもしろくないんだけど」

「ほら、先生来たから前向きなよ」
「んむ~、覚えてろよ」


バトルギャグ漫画の雑魚キャラみたいなセリフを吐く成田さん。

そんな様子に口角が上がるのが止まらない。


「にやけすぎ」


唇を尖らせた成田さんが、僕の頬を指でつまんだ。

さすがに予想外で驚く。


「プッ、いい顔」


成田さんに仕返しをされた。

笑っている成田さんに触れられて見える数字。


【18.80】


短いな。

あと、18年。
18年しかないのに、成田さんは瀕死の人や動物がいたら、自分の余命を迷いなく渡すのだろう。

成田さんは余命があと何年かは知らないから。

知っても、変わらないんだろうけど。

なぜか胸のあたりがズキっと痛んだ。

理由はわからない。

けど、どうしようもなく自分でもわからない感情が出てきて、やり場がなくなったから成田さんにデコピンをした。


「いったーい」
「おーい、もう授業始めるぞ。号令」


成田さんが大きな声を出した時、本鈴が鳴り先生が声をかけた。

成田さんお得意のオーバーリアクションのせいでクラスの視線を集めたけど、先生のおかげですぐに号令がかかった。

助かった。
注目は浴びたくない。

それは今も変わらない。

だけど、もう成田さんと距離をおこうとは思わなくなっていたことに気づいた。

成田さんの背中を見ながら5限目の授業を受ける。

5限が終わる男子は教室を出て、次の体育の着替えのため準備をして隣の教室に移動する。

僕はすでにカバンに体操服を入れて用意していたため、カバンを持って隣の教室へ行った。

今、体育は体力測定をしていて正直休みたい気持ちでいっぱいだ。

それに今日は持久走。
憂鬱な気持ちでいっぱいになりながら、着替えてひとりでグランドへ行った。



「ふたりペアになって、ペアの人のタイムを覚えて教えてやってくれ」


授業が始まると同時に、体育教師が魔のセリフを吐く。

ペアをつくる系のものは僕が余ることが目に見えている。

ぼっちの宿命というやつだ。

先生に言いに行こう。

いつもみたいに「相手がいません」って。

ペアができていく集団から距離をとり前にいる先生の元へ足を向けた。


「ミズキ、だっけ」
「え?」


僕の前方からやって来た男子3人組。

クラスメイトだけど話したことはない。


「あ、うん。それ名前。日野瑞季」
「苗字じゃないのか。まぁいいや。俺とペア組もう」
「え?僕と?」
「あぁ。俺余ってるから」


そっか。
3人組だから、ふたりペアを作るとひとりあぶれてしまうんだ。

でも、他にも奇数グループはいるはずなのに何で僕?

そう思ったけど、どうせペアを作らないといけないのだから先生に言いに行く手間がはぶけた。


「うん」
「よし、決まりな」


ペアが決まり、各々アップを始める。

10分後にスタートするらしい。


「瑞季は先がいい?あとがいい?」
「選んでいいよ」
「じゃあ俺が先行くわ」


僕は体力がないからアップはストレッチ程度で、前屈をしていると話しかけられた。

普通に話してくるけど初会話なんだよな。

いちいち初めて話す、とか気にするのは僕だけなんだろうか。


「瑞季って最近、木下や成田と仲良いよな」
「仲良いというかなぜか一緒にいるだけだけど」
「あと違うクラスの男子も一緒でさ、なんかそこのグループ楽しそうだよな」
「そう」


すごく話しかけてくるな。

さっきまで苗字だと勘違いしていた名前を普通に呼んでいるし。

高校生はみんなこんなふうにフランクなんだな。


「で、どっち?」
「どっち、とは?」

「木下と成田。どっちかと付き合ってんの?」
「それ俺も気になってた」
「わかる。実際どっちなんだろうって」


人数が増えた。

ストレッチをする僕の周りに、興味津々と言わんばかりに近づいてくる。

女子といるとこんなふうに思われるのか。


「どっちとも付き合ってない」
「まじかよ。じゃあ何?」
「普通にクラスメイトだよ」
「えー、俺らもクラスメイトなのに一緒にいてくんないけど」

「瑞季がいいってことは、やっぱりミステリアスだから?」
「謎があるほうが暴きたくなるからモテるのか」
「顔は?瑞季、前髪上げてみて」


3人とも僕のことを名前で呼んで、グイグイくる。

6つの目が僕を捉え、それに抵抗する力のない僕は控えめに前髪を片手で上げた。


「お~、特別イケメンってわけでもないけど、普通にかわいい顔してんな」
「前髪切れよ。俺が切ってやろうか?」
「そのセンスのない前髪にされるほうがかわいそうだろ」
「あ?」


睨みあいが始まり苦笑い。

気まずいな。
僕はどうすればいいのだろうか。

そう思った時、体育教師がホイッスルの音で集合の合図を出す。


「行くか」


そこで睨み合いは終了し、体育教師の前まで軽く走る。

体育座りをして説明を受けてから、1組目がスタートした。


「瑞季って話せないやつかと思ったらそうでもないんだよな」
「え?」
「成田には普通に話してるし」

「まぁ、それは成田さんがめちゃくちゃだからというか」
「でも俺、それで瑞季のこと気になったから話してみたかった」
「あ、そうなんだ」
「クラスメイトなんだし、これからもよろしく」
「うん」
「あ、来たぞ。おら、もっと速く走れー!前抜けよー!」


成田さんと話している僕を見て気になったのか。

けっこう成田さんが普通に話してくるから僕も周りを気にせずに話しているところがあった。

だけど、それによって悪い印象を与えていないことにはほっとした。

面倒なことは嫌だから。


「はぁ、はぁー。どうだ、速かったろ」
「すごいね。そんなに足速いとは思わなかった」
「サッカー部だからな」
「キーパーだけどね」
「それ関係あるか?」

「きっと瑞季はガンガン攻めるほうを想像しただろうから」
「うん。そっち想像した」


キーパーだとしてももちろんランニングとかしているだろうから、こんなに速いんだろうな。


「顔笑ってんぞ。ばかにした?謝れコラ」
「してないよ。尊敬した」
「お前、いいやつだな」
「手のひら返し早すぎだろ」


変わりようの早さに僕も笑ってしまった。

おもしろい人だと思った。
少しジローに似ている。


「次、頑張れよ」
「それなりにね」
「ばっか!そんなんじゃ俺みたいになれねぇよ」
「なる気ないから」
「はぁ?尊敬したって言ったのは嘘か」


大きな声で訴えかけてくるけど、僕はそんな気はない。

尊敬はしたよ。

でも、なりたいとは思わないだろ。

そんなすぐになれるわけでもないし、元々運動は得意じゃない。


「瑞季おもしろいな」
「最高だよ」
「どこがだよ!」


仲の良い3人で、笑いが絶えない。

成田さんたちみたいだ。

だからか、僕も話しやすかった。

数分一緒にいて、嫌な気はしなかった。

そのあと持久走で有言実行。
それなりに頑張り、今日の体育は終わった。

教室まで一緒に戻り着替えを済ませる。


「瑞季、俺らとも仲良くしてな」
「また明日学校でな」
「付き合ったら報告よろしく」


3人組は部活に行くようで練習着に着替えて、僕のところまで来る。

言いたいことをそれぞれに言って手を振るから、僕は短い返事をして手を振った。

以前の僕じゃ考えられないな。