星乃は蜂谷先生の顔をじっとみつめる。

「おそらく、肖像画を描かなくなってからも、私達みたいに似顔絵程度のものを描いて欲しいと頼んでくる人はいたんじゃありませんか? どうしても断りきれない時、先生は顔の部分を敢えて美しく描いたんです。自分の顔を醜く描かれて気分を害する人はいるかもしれませんが、逆に美しく描かれて不快に思う人は滅多にいないと思うんです。おまけに将来を有望視される人物画家が描いたとなれば説得力もありますからね。たとえ出来上がった絵が本人に似ていなくても。だから、その方法で先生が似顔絵を描いた人達は、全員満足して大人しく引き上げて行ったんじゃないでしょうか。私達がそうだったように。先生はそうやって、人の顔が判別できない事をずっと周囲に隠していたんじゃありませんか?」

 粘土の林檎を見せに行ったあの日も、入部届を見るまで先生は俺達の事を忘れているように見えた。けれど、実際は忘れていたわけではなく、俺達が誰だかわからなかったのだ。

 例の中庭の銅像の件もそう。立体的な人物像を認識できないために、俺の頼みを断ったんだろう。

「おい、菜野花畑星乃。お前さっきから何わけのわかんねえ事言ってんだよ! 頭おかしいんじゃねえの⁉ 顔がわからないなんて、そんな馬鹿げた事あるはずねえだろ! 水でもぶっかけて頭冷やしてやろうか⁉」

 食って掛かる赤坂に、星乃は向き合う。

「赤坂先輩。あなたも先生の相貌失認について知っていたんじゃありませんか? 私、不思議だったんです。どうして先輩が私達の事をフルネームで呼ぶのか。もしかして、その場に誰がいるのかを先生にそれとなく知らせるために、敢えてフルネームで呼んでいたんじゃありませんか? そして先生がいない時でもその癖が出てしまっていた。さっきだって私達がここに来た時、わざわざ蓮上先輩と私の名前を呼びました。あれも私達が来た事を先生に知らせるため。それと、先輩のその髪の色。私の予想ですが、その髪色にも意味があるんじゃありませんか? 先輩はその髪色だけで、自身が『赤坂くれは』であるという事が先生にわかるように、敢えてそうしているんです。目印の代わりに」