それから数週間、陽奈子は自宅で過ごした後に再び入院する事になった。
クールダウンがおわり、また抗がん剤治療をスタートさせる為だ。
一度経験している抗がん剤の辛さを繰り返す事に臆病になる気持ちはさすがの陽奈子にも隠すことができないでいた。

付き添うことはできなかったけれど、入院の日の足取りは重かったようだ。
「やぁ?」
「あら。学くんありがとうね」

返事をしてくれてのはお母さんだった。
陽奈子は、すやすやと眠っているようだ。
痛みが強くなり、嘔吐の音が響いてしまったりと神経質になってしまうこともあり再入院時に病室は大部屋から個室へと移っている。

お母さんに促され、部屋を出てロビーの方にある談話スペースへと二人で向かう。

「正直に言うところね、この抗がん剤治療は上手く行っていないのよ」
「そう、ですか」

向かい合う形で腰掛けるとポツリと話しだした。
その内容は、現実を突きつけるもので、小さな希望の灯火がより小さく、揺れれば消えてしまうほどになる。

「私達はね。余命宣告されたときから、少しずつ覚悟を決めてきたけれど……。ダメね。懸命に生きている、生きようとしているあの子の姿を見ると胸が苦しくて。もっともっと生きていてほしいけど、苦しむ姿も見たくない」
「そうですね」
「緩和ケアに切り替えようと思うのよ。とても強い薬だから、夢も現実もわからなくなってしまうような物だけれど、少しでも、痛みがなくなるように。辛くなくなるように……」

日増しに強くなる痛みに、抗がん剤による化学療法から終末ケアへと。それは同時に医学が、患者の生を“自然のままにする”事に、死を受け入れることと同義だと、僕は理解する。

「ここまで頑張れたって、思ってもいいのかしら。モルヒネを投与することは、終わりに直結してしまいそうで……その判断は、私達に託されてはいるけれど、あの子の意思は介入しないのよね。それってただの自己満足じゃないかしら……?」

素直な気持ちを吐露するお母さんの気持ちが刺さる。先生と話し合い、お父さんとも話し合い、千夜ちゃんとも話し合い、決めた、重い決断。
正解も不正解もなく、僕は何も言えなくなる。

人はいつか必ず死を迎える。誰にも等しくそれは来る。どんなに抗おうともそれは変えることのできない事実で、医療というのはそれに抗い続けている人間のエゴなのだろうか?
生きたいという根幹は、全てのものに、多分、あって。
植物も動物も人も、生まれながらに自然治癒力というものが備わっているのがそうだ。
人は、知恵を得た。その中で出来ることをして、生きるという選択を取り続けると言うのが医療だと思う。
植物のエキスパートや、獣医師が施すのも同じ。
行きたい、生きていて欲しい、願い乞うのがエゴなのだとしたらそれでも良い。