時は春。
送別会に歓迎会、人々の集まりが少しばかり落ち着きを取り戻した頃の鬱屈とした気持ちが入り混じらないでもない頃の、夏を迎える少し前の春だった。
雑居ビルの中に入っているアジアンな居酒屋の片隅で笑う有象無象の中に僕等はいて、ただ生きている事になんの疑問も持つことなく、当たり前の明日をいつだって待っていた。
“明日が世界の終わりだとしたら”などという謳い文句は使い古された言い回しだろう。
けれど、毎日をその覚悟を持って生きている人など世界にどれくらいのものだろうか?
時の流れは優しく、ときに残酷だ。裏表がなく誰にも等しく平等。
戦場の前線に立つ歩兵と、病気で病室のベッドに横たわる人、生まれたての赤ん坊、すこぶる健康体の僕。
一日、一時間、一分、一秒の時間さえ重みが違う。
流れる時間は平等であるにもかかわらず、一人ひとりに与えられた時間はこんなにも不平等だ。
もちろん明日が『当たり前ではない』ことはきっと本当は誰にも平等で、幾ばくかの人生経験を積んだものならばテレビ画面の向こう側であまりにも無力に『明日』を奪われた人々がいる事も知っている。
そして、それ故に明日は当たり前ではないことを知っている。
しかしながら、毎日を常に全力で生きる事の是非を問うことは極めて難しい問題である。
もがいて苦しんで、解決策を模索する。
“自分”というものを確立している人にとっては全力で生きることはそれが普通のことで、あやふやな僕はそれがある意味とても羨ましい。
それは大袈裟なことなんかではなくて、起きて寝て起きたら誰の元にも朝はやってくる。
来ることが当たり前の『明日』。
約束された未来、そこに疑いなどなく、それが良い日であろうがなかろうが、変わることなく時は平等に刻まれていく。
今この時も、確実に。
「大石くんって、なんていうか。涼しい顔して小器用に生きてる感じがするよね」
まだ慣れない酒の席でそう言ってきたのはかつての高校の同級生、芦原陽奈子だった。
小器用などでは決してなく、むしろ口下手で不器用な部類に入ると思っていた自分では到底導き出せない回答に僕は目を瞬いた。