「あの男子とはさ」と言うのに、随分と時間と勇気を要した。「なにか、あったの?」

 綸は驚いたように、少し目を大きくした。色がすうっと抜けていくように表情を戻すと、「正直、よくわからないんだ」と言った。「よく、覚えてない」と俯く。

 「……そっか」けれど、なにかしらあったのだろう。

 「あの日、自分がなにをしてたのかも覚えてない」そう言って、綸は自嘲気味に、悲しげに、小さく笑った。「気持ち悪いね」と。

 「急にね、意識が飛ぶんだ。そして目を覚ますと、いつもそこが壊れてる」

 「……そっか」

 「ごめんね」と綸は言う。「高野山君には関係ないのに」

 「そんなことない」と答えた声は、思いの外大きかった。綸はそっと微笑む。そしておれとの間の短い距離に手をついて、もう一方の手をこちらへ伸ばす。けれどそれは、どこに触れるよりも先に、引き返した。おれはその手を掴んだ。儚げな目元に驚きの色が滲む。

 「関係なくない。おれは君のことが知りたい。君のなんでもないけど、知りたい」

 茶色の虹彩を持った淡い目が、儚く微笑む。ふわりふわりと消えていってしまいそうで、この手を引き寄せて、抱きしめたくなる。

 「優しい人だね」と、彼女は言った。あの日、水を渡してからずっと聞いている、おれの知らない、中性的な声で。