「そっか」と言う押村さんの声は、柔らかな自然のように優しかった。

 「好きなものとか、やりたいこととか、わかんない……」

 「いいんだよ。それで」

 「でも……私ピアノ辞めたんですよ。敵わないって、勝てないって思う人に会って。でも……でもなにも感じなかったんです」

 「そっか」

 「おかしいじゃないですか。一度は本気でピアニストだって目指したのに。その世界から離れて、後悔とか未練とか、なにも感じないんですよ」

 「いいんじゃない、それはそれで」

 「でもっ……」

 「おかしくはないと思うよ。やり切ったと思ったんじゃない? とせちゃん自身が気づいてなくても、心のどこかでさ」

 「でも、勝てないと思ったら、敵わないって思ったら、普通はもっと燃えるものなんじゃないんですか」

 青園の言葉に、押村さんの表情――というよりも、彼女を包む雰囲気のなにか――が、少し変わった気がした。

 「普通なんてないんだよ。多数決みたいなものじゃない、そんなの」

 青園は深く息をついた。ため息とも深呼吸とも見えるものだった。

 「まったく……。だから他人と馴れ合うのは嫌だったんですよね」

 「え、なに?」はっ、と言って、押村さんは勢いよく立ち上がり、青園に向き合った。ファイティングポーズをとっている。「お主、もしや私たちを倒しにきたのか⁉」

 「なんの話ですか」と言う青園の声と、「大丈夫?」と尋ねるおれの声が重なった。「嫌だ、二人とも冷めてない?」と押村さんは苦笑する。

 「あーあ、本当嫌だ」と青園は天を仰ぐ。押村さんはその隣に座り直した。青園の肩に腕をまわすと、彼女も押村さんの肩口に頭を寄せた。