「お前、ふざけんなよっ。なんで喋った」

 教室全体が震えるような怒声だった。少なくとも、今、自分が尿意を感じていないことに安心するような声ではあった。もしも少しでも感じていたなら、それはきっと全部出ている。

 「なんとか言えよ」と少女が怒鳴るのと一緒に、棚が大きな音で叫んだ。少女が蹴ったのだろう。一番初めにおれが聞いたのは、男子生徒が腰を強打した音か、少女が蹴った音か。

 ところで喋ったとはなんだろう、と、頭は無責任なことを考える。もしやたばこじゃね、と。こんなことをしていないで、中に入って止めるべきなのに。それを思い出すと、少女を恐れているのかもしれない自分が、関係のない教室に勝手に入ることに引け目を感じているのかもしれない自分が、情けなくて仕方がない。先生を呼ぶだけでもいいのに、と気づいてしまうと、その感覚は強さを増した。

 「だって……」と、消えそうな声が聞こえた。少女の前にいる少年の声なのだろう。「本当に……よかったんだ……」とその声は続く。

 よかったってなんだ、と、無責任な頭はまた考える。

 「本当に……素敵だと……思っ、……思ったんだよ……」

 「ふざけんなっ」と少女の声が上がる。「そんで勝手に喋ったのか」

 ばかじゃねえの、と続いた、その少しひっくり返った怒声は、決して大げさではなく、窓ガラスを割りそうな声だった。聞いた耳が痛い。

 「お前には関係ないだろ。あたしと主催者の世界なんだ、お前みたいな部外者が踏み入ると穢れるんだよ」

 ふざけんなっ、と怒鳴る少女の声を聞きながら、おれは一歩、教室に踏み入った。もしかしたら、ここはこの二人の世界であって、おれのような部外者が踏み入れば穢れてしまうのかもしれない。けれど、このままでは危険だと思った。

 「忘れさせろ」と少女は叫ぶ。「お前が喋った相手、全員忘れさせろ」と。

 「ごめん」と少年の声が震えている。

 「ふざけんなっ、ふざけんなっ」

 何度目かの一歩を踏んだ時、床が軋んだ。

 「二度と喋んなよ」と怒鳴っているところ、「わかった……」と震えた声が答えているところを見ると、二人はまだおれに気づいていないらしい。

 「次になにか言ってみろ、舌引っこ抜いてやるっ、二度と喋れなくしてやるっ」

 そう言いながらも、今この瞬間にやりかねない勢いで荒ぶり怒鳴る少女の肩に、おれは手を載せた。彼女は少年の胸倉を両手で掴んだまま、獣のような目でこちらを振り返った。その顔に、おれの心臓はまた飛び跳ねた。少女は肩で息をし、白い頬を真っ赤に染め、虹彩の色が薄く白い部分が血走った目には涙を浮かべている。

 「どうしたの」とおれは言った。声が少し震えた。どうしたもなにも、一人の少年の身に危険が及んでいることは間違いないのだけれど。少女の顔と現状が一致しない。

 少女は鋭い目でおれを見つめた。誰だお前、とでも問うように。

 彼女はこちらに一歩近づいた。胸倉を掴んできそうな目をしているので、おれは咄嗟に両手を挙げた。「通りすがりの、忘れん坊だよ」と答える。

 このクラスか、と問うような彼女の目に、「六組なんだけどさ」と手を挙げたまま答える。「大きな物音がしたもんで、大丈夫かなって……」

 彼女はなにも言わず、自分の手が胸倉を掴んでいる少年を見た。

 「……お話は、終わったのかな」とおれは尋ねる。「それなら、放してあげようよ」と続ける。

 「もう……誰にも、言わないから……」とほとんど涙声で言う少年を、彼女は突き飛ばすように放した。少年は呻くような声を漏らした。帰りな、と目配せすると、少年はいそいそと鞄を持って、ばたばたと足を振り動かしながら教室を逃げ出していった。