彼女に対して怖いと感じるのには理由がある。特徴的な容姿のためによく目につくのだけれど、その度に顔が違うのだ。いや、当然、顔立ちはいつも同じだ。けれど、単なる気分とか機嫌とは違う、表情の違いがある。それはもう、まるで別人のように。

先ほどのように優しい顔をしている瞬間があれば、物凄い冷酷さを感じさせる――目的の達成のためならなにをするのも厭わないような、映画の中の憎しみに燃える主人公のような顔をする瞬間もあるのだ。それがどうも、恐ろしくて仕方ない。こうして一緒に探しものをしているだけでも、恐怖で体が震えそうになる。一対一であの冷たく燃える目を向けられたらと、どうしようもないことを考える。

 こういう時、あいつだったらどうするだろうと、弟の慶祐を想う。今頃、友達とばか騒ぎしているのだろう。

 不意に、がこんっ、と椅子か机にぶつかったような音がして、とうとう体が震えた。歯が鳴るのをなんとかごまかして、「大丈夫?」と尋ねる。

 むくっと立ち上がった彼女は、「うん」と小さく答えた。

 「……ね、ねえ……大丈夫だよ……? もしかしたら、家に置いてきちゃったのかもしれないし……」

 「帰って、家族はいるの」

 私は震える首で一度、頷いた。実際には、今日、部活がなく帰ってくる慶祐もそのまま友達と遊びに行くだろうから、帰ったところで玄関は開かないのだけれど。それよりも、彼女を怒らせないことを優先すべきだと思った。

 彼女は黙って、こちらに向かってくる。表情という表情がないのが怖い。「鞄は……?」と尋ねると、彼女はほんのりと笑みを浮かべて、「落とし物箱、見てくる」と話した。微笑むその色素の薄い目の奥に、底知れぬ愁いのような影が見えた気がして、どくんと、胸が震えるように痛んだ。明るく優しい母の密かな涙を見たような、貰ったばかりの風船がばんっと弾け散ったような、一つの世界の裏を見たような、そんな強い衝撃があった。

 呼吸の仕方も忘れて、膝が震えるまま、その場にへたり込んだ。初めての感覚だった。恐怖とも驚きともつかない、強すぎる感情が全身を支配していて、体が思うように動かない。体は、震えるでもなく、呼吸をするでもなく、ただ、その感情に抱かれるばかり。

 不意に、左肩にとんと重みを感じて、ひゅっと呼吸を再開した。水中からようやく上がった時のような、下手な呼吸を繰り返して振り返る。

 「あったよ」と、その中性的な声は私の家の鍵を差し出した。触れれば消えてしまいそうな、あまりに細く白い手だった。

 ありがとう、と鳴らない喉で言って、鍵を受け取る。

 一つ肩に載った重みは、背中に下りてきた。しなやかに、上へ下へと流れる。

 「大丈夫」

 「……へ?」空気に声が混じった程度だけれど、喉が鳴った。

 その手は、なにも言わずに私の背をさすった。不思議なことに、それは大きな安心感をもたらした。柔らかいタオルに包まれているような、肌触りのいい毛布に顔をうずめているような。

 「あ、あの……」と言う頃には、体を支配する感情は解けていた。声も出る、呼吸もできる。

 「気分、悪くない」

 「え、あ、うん。大丈夫」

 「水」と呟いて立ち上がり、ドアの外へ向かう彼女を、「いや、大丈夫っ」と呼び止める。

 「ちょっと、立ち眩みっていうか、なんか変だっただけだから。もう全然、大丈夫」

 「そう」と彼女は言った。

 「もう帰るの」

 私が頷くと、彼女は自席に残った鞄を肩に掛けた。

 「家、どこ」

 「あ……」

 自宅のある地区を答えると、彼女は「同じ方向だ」と言った。「途中まで一緒に行こう」とも言った。