目を覚ますと、灰色の部屋にいた。いつも“あたし”が絵を描いている部屋。
珍しく、絵具の匂いはあまりしない。見れば、あまり散らかっているようにも見えない。
ふと、両方の腕や手がじんじんと痛むのに気が付いた。重たい体を起こして見たそこは、深く傷つき、血を滲ませていた。嘘だ、と思った。そう思いたかった。
今まで、なにがあっても腕や手を傷つけることはなかった。喉から血が出るほど喚いても、いくつの瓶を割っても、絵筆を折っても、カンヴァスを破っても、一度たりとも、手先を傷つけたことはなかった。
途端に寒気がして、体が震える。嫌だ、嘘だ、と頭の中で声が響く。その中で、世界が壊れる音も聞こえた。
嫌だ、死にたくない。まだ、生きていたい。嘘だ、嘘だ、なにかの間違いだ。だって、今まで一度も、こんなことはなかったんだ。もう一度眠れば、夢だったのだとわかるだろうか。でも、もしも次に目が覚めなかったらと思うと、とても眠りになど就けない。ここで眠ったら、高野山君に会えないかもしれない。日垣さんに会えないかもしれない。青園さんと明美が笑っている声も、聞けないかもしれない。
どうしようもなく寒いのに、風邪でも引いたかのように体が熱い。釣り合いの取れない体はどうしようもなく、がくがくと震えている。心臓は痛いほどに脈打ち、肺はこれでもかと酸素を求める。
嫌だ、怖い、死にたくない――。まだ、高野山君にお礼も言っていないのだ。名前をくれたこと、誕生日をくれたこと、自分を許す時間をくれたこと、一緒にいてくれたこと、将来を望ませてくれたこと。そのどれか一つにだって、まだお礼を言えていない。
頬をなにかが伝う。汗か、涙か。
嫌だ、あと少しだけ、一日でいい、せめて高野山君にお礼を言えるだけの時間は――。
身体中で暴れる爆発的な恐怖は、胸やその下の辺りを強く締め付けた。
なんとか扉を開けると、すぐに膝から崩れた。呼吸を速めていた恐怖心は、ほんの一時呼吸を止めさせると、どろりと陶器の曲線を伝い、水に落ちた。それからまたすぐに、喉をひゅうひゅう鳴らしながら酸素を求める。それをまた止めて、音もなく口から流れ出る。一つ咳をしてしまえば、呼吸の仕方などまるで忘れてしまった。喉に詰まる恐怖心は、今度は息が止まる度、透明な糸となって出てくる。
全力で走った直後のように、わけもわからず泣き叫んでいるように、喉がひゅうひゅう鳴く。指先は使えないくらい震え、感覚さえ失っている。それをなんとかレバーに伸ばし、体の奥から流れ出た恐怖心を捨てる。
静寂の戻った狭い空間に、喉が酸素を求める音と、歯がぶつかる音だけが響く。
死へ対する恐怖が、世界の崩壊へ対する恐怖が、一人の少年を求める。言えないくらいなら、一度だけでいい。ただ一言、ありがとうが言いたい。
珍しく、絵具の匂いはあまりしない。見れば、あまり散らかっているようにも見えない。
ふと、両方の腕や手がじんじんと痛むのに気が付いた。重たい体を起こして見たそこは、深く傷つき、血を滲ませていた。嘘だ、と思った。そう思いたかった。
今まで、なにがあっても腕や手を傷つけることはなかった。喉から血が出るほど喚いても、いくつの瓶を割っても、絵筆を折っても、カンヴァスを破っても、一度たりとも、手先を傷つけたことはなかった。
途端に寒気がして、体が震える。嫌だ、嘘だ、と頭の中で声が響く。その中で、世界が壊れる音も聞こえた。
嫌だ、死にたくない。まだ、生きていたい。嘘だ、嘘だ、なにかの間違いだ。だって、今まで一度も、こんなことはなかったんだ。もう一度眠れば、夢だったのだとわかるだろうか。でも、もしも次に目が覚めなかったらと思うと、とても眠りになど就けない。ここで眠ったら、高野山君に会えないかもしれない。日垣さんに会えないかもしれない。青園さんと明美が笑っている声も、聞けないかもしれない。
どうしようもなく寒いのに、風邪でも引いたかのように体が熱い。釣り合いの取れない体はどうしようもなく、がくがくと震えている。心臓は痛いほどに脈打ち、肺はこれでもかと酸素を求める。
嫌だ、怖い、死にたくない――。まだ、高野山君にお礼も言っていないのだ。名前をくれたこと、誕生日をくれたこと、自分を許す時間をくれたこと、一緒にいてくれたこと、将来を望ませてくれたこと。そのどれか一つにだって、まだお礼を言えていない。
頬をなにかが伝う。汗か、涙か。
嫌だ、あと少しだけ、一日でいい、せめて高野山君にお礼を言えるだけの時間は――。
身体中で暴れる爆発的な恐怖は、胸やその下の辺りを強く締め付けた。
なんとか扉を開けると、すぐに膝から崩れた。呼吸を速めていた恐怖心は、ほんの一時呼吸を止めさせると、どろりと陶器の曲線を伝い、水に落ちた。それからまたすぐに、喉をひゅうひゅう鳴らしながら酸素を求める。それをまた止めて、音もなく口から流れ出る。一つ咳をしてしまえば、呼吸の仕方などまるで忘れてしまった。喉に詰まる恐怖心は、今度は息が止まる度、透明な糸となって出てくる。
全力で走った直後のように、わけもわからず泣き叫んでいるように、喉がひゅうひゅう鳴く。指先は使えないくらい震え、感覚さえ失っている。それをなんとかレバーに伸ばし、体の奥から流れ出た恐怖心を捨てる。
静寂の戻った狭い空間に、喉が酸素を求める音と、歯がぶつかる音だけが響く。
死へ対する恐怖が、世界の崩壊へ対する恐怖が、一人の少年を求める。言えないくらいなら、一度だけでいい。ただ一言、ありがとうが言いたい。