どうして彼女が、と、恐怖を包んだ疑問が頭を巡る。静はどうしたんだ。静はどこにいる。少し考える度に恐ろしい想像が浮かんで、それを振り払うのにかなりの労力を要する。

 彼女の目は、あの日ほどではないものの、獣のようになっている。ふと、静の言葉を思い出した。気に入らなければ怒る、子供のような人。綸はそんな人だと、彼は言っていた。やはり、彼女が夜久綸なのだろうか。では、おれの知っている綸は? 静と同じように、いつかは消えてしまう人なのだろうか。今まで、考えることを避けていた。けれど、彼女がここに出てきている以上、逃げることはできない。明日、静がいないかもしれない。もう、静に、綸に、会えないかもしれない。それを、認めなければ、覚悟しなければならない。

 「久しぶりだね」と、彼女は――綸は言った。「明美みたいな人でも、こんなところにいるんだね」と。

 「綸?」と呟く押村さんの声にも、怯えたようなにおいが感じられる。

 「そんな優秀な人が、まさかあたしと同じところにいるなんて。なにがあったのさ」

 「なにもないよ」と、押村さんはいつものように言った。けれどその奥には、やはり怯えたような気配がある。

 「それに、私は優秀なんかじゃない」と、少し悲しさを滲ませる。

 綸はふんっと鼻を鳴らす。「よく言うよ。あんたはあたしの持ってないものを全部持ってる。優れたものは全部持ってる。あたしはあんたの知らずにいるものを全部持ってんだ。孤独と挫折と絶望と……挙げ始めりゃキリがない」

 「綸」とおれが腰を浮かすと、「大丈夫」と、押村さんの手が肩に載った。「綸は間違ってない」と。仕方なくベンチに座り直すけれど、そうじゃない、と言いたいのは飲み込めない。

確かに、見方によっては押村さんは綸を救えなかったのかもしれない。だけど、彼女が孤独も絶望も知らないというのは、どうしても受け入れられなかった。押村さんは、自分が綸を壊したと、独りで悔やみ、絶望を見ていた。それを知らない綸が、押村さんのその部分を否定するのは許せない。