静の家は、小学生の頃、何度かきたことのある家だった。洋館のような、下手に盗みに入れば、中で迷いそうな豪邸。綸の家と同じなのだから当然なのだけれど、不思議な感覚だった。その感覚を理解した時、自分が少なからず、綸と静を別人として認識していることに気が付いた。
玄関の扉を引く直前、静はなにかを思い出したように動きを止めた。
「……そうか、小さい頃はよく遊んでたんだよな」と独り言のように呟く。そして、ふっと悲しく笑う。おれを振り返った目は、悲しく細められている。
「高野山君は、おれのこと知ってるんだもんな」
「いや、知らないよ」答えるのに迷いはなかった。おれは、静を知らない。
「でも、小学生の頃にはよく遊んでたんだろ?」
「おれが知ってるのは、綸のほんの一部、極一部。静のことはなにも知らないよ」
彼がどんな世界に生きているのか、なにを思って生きているのか。なにを思って、生きてきたのか。おれはなに一つ、知らない。
「だけど、おれが高野山君を知らないのとは少し違う」
「そうかな。綸は確かにおれを知ってるかもしれない。でもそれは、小学生の頃のおれでしょう? さすがのおれだって、少しは変わってるはずだよ。綸だって、今のおれを知らない。同じように、おれも今の綸を知らない。おれたちは、完全に初めましてなんだよ」
静はそっと、寂しく笑う。「こんなふざけた話に付き合ってくれるのは、高野山君くらいだよ」と。
「ふざけてなんかないよ。静は綸を思い出そうとしてる。綸が自分を求めた理由を探してる。自分を探してるんじゃん」
ああ、彼は青園と似ている。自分が何者なのかさえわからなくて、一つずつ、“自分”を作るピースを探している。
「頑張ってるんだよ」
静も、青園も。自分を見失ったどうしようもない孤独感を抱えて、途方もない真っ暗な道を歩いている。足元に落ちていたり宙に浮いていたりする、自分を形作るピースを見逃さないように、深い闇に目を凝らして、一人、歩いている。おれはそんな旅に耐えられるだろうか。自分が自分ではないという違和感を理解されず、他者に手を伸ばすことも諦め、ただ一人で、自分を探す旅。想像しただけで震え上がりそうになる。こんな恐怖と、静は、青園は、毎日闘っているのだ。
青園は、日垣や押村さんといる時は笑っているけれど、本当はまだ、そんな孤独の中にいるのだろう。本当はまだ、大丈夫なんかじゃないのだろう。
静は、そんな孤独感と一緒に、自分の中に他の誰かがいる感覚とも闘っている。その誰かが、いつか自分を消しやしないかと恐れている。そんな旅路の、どこがふざけていると言えるだろう。彼らは闘っているのだ。できることなら、今すぐにでもそこから引っ張り出して、よく頑張ったねと抱きしめたい。もういいよと、一緒に行こうと。だけどおれは、その術を知らない。ただ、彼らを外から見ていることしかできない。こんなおれの方がよっぽどふざけている。やりたいことがあるのに、それをせずに黙っているのだ。
そんなおれに、「優しいね」と微笑む静が、どうしようもなく悲しい。おれは、優しくなんてない。空のように大きくもない。なにもない、空っぽだ。
玄関の扉を引く直前、静はなにかを思い出したように動きを止めた。
「……そうか、小さい頃はよく遊んでたんだよな」と独り言のように呟く。そして、ふっと悲しく笑う。おれを振り返った目は、悲しく細められている。
「高野山君は、おれのこと知ってるんだもんな」
「いや、知らないよ」答えるのに迷いはなかった。おれは、静を知らない。
「でも、小学生の頃にはよく遊んでたんだろ?」
「おれが知ってるのは、綸のほんの一部、極一部。静のことはなにも知らないよ」
彼がどんな世界に生きているのか、なにを思って生きているのか。なにを思って、生きてきたのか。おれはなに一つ、知らない。
「だけど、おれが高野山君を知らないのとは少し違う」
「そうかな。綸は確かにおれを知ってるかもしれない。でもそれは、小学生の頃のおれでしょう? さすがのおれだって、少しは変わってるはずだよ。綸だって、今のおれを知らない。同じように、おれも今の綸を知らない。おれたちは、完全に初めましてなんだよ」
静はそっと、寂しく笑う。「こんなふざけた話に付き合ってくれるのは、高野山君くらいだよ」と。
「ふざけてなんかないよ。静は綸を思い出そうとしてる。綸が自分を求めた理由を探してる。自分を探してるんじゃん」
ああ、彼は青園と似ている。自分が何者なのかさえわからなくて、一つずつ、“自分”を作るピースを探している。
「頑張ってるんだよ」
静も、青園も。自分を見失ったどうしようもない孤独感を抱えて、途方もない真っ暗な道を歩いている。足元に落ちていたり宙に浮いていたりする、自分を形作るピースを見逃さないように、深い闇に目を凝らして、一人、歩いている。おれはそんな旅に耐えられるだろうか。自分が自分ではないという違和感を理解されず、他者に手を伸ばすことも諦め、ただ一人で、自分を探す旅。想像しただけで震え上がりそうになる。こんな恐怖と、静は、青園は、毎日闘っているのだ。
青園は、日垣や押村さんといる時は笑っているけれど、本当はまだ、そんな孤独の中にいるのだろう。本当はまだ、大丈夫なんかじゃないのだろう。
静は、そんな孤独感と一緒に、自分の中に他の誰かがいる感覚とも闘っている。その誰かが、いつか自分を消しやしないかと恐れている。そんな旅路の、どこがふざけていると言えるだろう。彼らは闘っているのだ。できることなら、今すぐにでもそこから引っ張り出して、よく頑張ったねと抱きしめたい。もういいよと、一緒に行こうと。だけどおれは、その術を知らない。ただ、彼らを外から見ていることしかできない。こんなおれの方がよっぽどふざけている。やりたいことがあるのに、それをせずに黙っているのだ。
そんなおれに、「優しいね」と微笑む静が、どうしようもなく悲しい。おれは、優しくなんてない。空のように大きくもない。なにもない、空っぽだ。