「冤罪に決まってるでしょ……」

「じゃあどうして逃げたりしたんですか?」

 俺たちはあの後死に物狂いで逃げる〝俺〟を追いかけ、駅から500mほど離れた公園まで来ていた。

「痴漢の冤罪を晴らすのが難しいことくらい、あなたも警察ならわかるでしょ。だから咄嗟に逃げてしまったんですよ……」

 ごめんなさい。
 その人は警察でもなければ、そういうコンセプトのお店の人でもありません。
 タダのレイヤーさんです。

「まぁ裁判なんて話になったら、金も時間もかかっちまうしな」
「……で、結局〝俺〟をどうするつもりなんだ?」
「あぁ、そのだな、そいつは警察じゃ……」
「それより何だお前は!?」

 ぐっ。やはりそう来るか。

「私は警察ではありません。平行世界監視機構の浄御原 律と申します」

 この女、正気か?
 俺は慌てて浄御原に小声で耳打ちする。

「おい! そんな簡単に教えちゃっていいのか? また罪の爆弾ゲームが始まっちまうぞ」
「構いませんよ、特典の存在を教えなければいいだけのことです」

 そんなんアリかよ。
 権力さえあれば、何事も捻じ伏せられるということか。

「つーか……、ココの〝俺〟は殺人鬼じゃねぇのかよ?」
「どうやらココの〝近江さん〟は痴漢常習犯(・・・)みたいですね。来る世界線を間違えたようです」
「人の犯罪経歴勝手に盛らないでくれますかね……。あと本人冤罪って言っているから一応ちゃんと聞いてあげて……」
「さっきからアンタらの話聞こえてるんだが。〝俺〟が殺人鬼ってどういうことだ?」

 マズイ。聞かれてたか。

「あなたではなく、あなたのもう一つの〝可能性〟の話ですよ」

 本当にストレートな奴だな。誰がそれで分かるか。

「話が全く見えないんだが?」
「そんなことはどうでもいいんです。あなた、ホントに痴漢してないんでしょうね!?」
「……これ以上、やっていないと言う意味があるのか? そもそもあんた警察でも何でもないんだろ?」
「警察ではありませんが、警察みたいなものです!」

 このままでは埒が明かん。
 仕方ない。俺が出る他ない。

「あー、コスプレおばさんは少し黙っててくれ」
「何ですか! ロリコン盗撮おじさんの分際で!」

 その肩書はさすがにシャレにならん。
 浄御原の悪態をスルーし、今まさに痴漢の冤罪をかけられている〝俺〟に語り掛ける。

「あのな、確かに痴漢の冤罪を晴らすのは大変だ。だが逃げるのもかなりリスクが高いぞ」

 〝俺〟の返事はない。だが聞く姿勢はあるようだ。

「まず逃げ切れずに訴えられて裁判になった場合、かなり不利になる。それに今回みたいに運よく逃げ切れたとしても、今は電子マネーの利用履歴や防犯カメラから身元が割れて後日逮捕なんてこともザラだ」
「……じゃあどうすりゃ良かったんだよ?」
「現場に残った上で、とにかく罪を認めないことが大切だ」

 俺は一呼吸おいてから続ける。

「まずは相手の言い分を聞け。悪意のある冤罪だった場合、先にこちらが主張すると話を合わせられてしまって矛盾を指摘できないからな。あとは目撃者を募り、味方を増やせ。それでも議論が平行線なら、逆に名誉棄損で告訴すると脅せ。相手もそれで怯んで引く場合もある。まぁ当たり前だが弁護士を呼ぶのが一番良いんだがな。どれも確実性があるわけではないが、現場でやれることも実は結構多い。絶対に罪を認めるなよ。認めれば釈放はされるが、失うものも大きい。諦めの対価は、多額の示談金と社会的信用だ!」

「…………」

「…………」

 ふっ。この程度造作もない。
 こちとら仮にも弁護士志望だ。
 特に痴漢冤罪なんて、いつ自分も巻き込まれるか分からない事例だからな。
 現にココの〝俺〟も被害にあっているわけだ。

「ヤケに詳しいな……。経験あるのか?」
「……ロリコン、盗撮、痴漢」
「経験はない、一応弁護士志望ってだけだ。あと勝手に人を異常性癖三冠王にするな」

 願わくば、世界一不名誉な表彰式が開催されてしまう前に、問題を解決して元の世界線に戻りたいところだ。
 それにしても、我ながらつくづく運がない。
 痴漢は、容疑者側がやっていないことを立証しなければならない犯罪だ。
 それがいかに難しいか。
 まさに〝悪魔の証明〟だ。
 俺はどこまでいっても巻き込まれ体質なのだろうか。

「……お前は〝俺〟を疑わないんだな」
「お前は俺だからな。テメェがテメェを信じなきゃ誰が信じるんだ?」

 反吐が出る。何を偉そうに。
 別にそんな前向きなニュアンスを込めて言ったわけではないが、薄っぺらく、ありきたりで、無責任な言葉を軽はずみに使ってしまったことを俺は少し後悔した。
 周りはおろか自分すら信用できずに、中途半端な覚悟で進んだ結果が今だというのに。

「平行世界ねぇ……。お前は弁護士志望なんだな」
「そうだな。まぁ弁護士になる可能性のある〝可能性〟ってとこだな」
「なんじゃそりゃ。何にせよ羨ましいよ。目指すものがあって」

 何かを諦めたような表情で〝俺〟は言う。
 俺は少し嫌な予感はしたが、勇気をもって聞いてみることにする。

「……お前は今何をしているんだ?」
「それはニートに一番しちゃいけない質問だって、大学の授業で教わらなかったか?」

 やはりか。

「ナニ学概論の授業でそんなこと教えてくれるんだよ。まぁ俺もあんまり人のこと言える立場じゃねぇからこれ以上は踏み込まねぇけどよ」
「お前は〝俺〟とは違うよ。少なくとも足掻こうとはしている」

 この時点で薄々感づいてしまった。
 ココの〝俺〟は、恐らくあの時(・・・)全てを諦めてしまった俺だ。
 人を傷つけ、傷つけられることを過度に恐れ、人と関わること自体を諦めたのだろう。人生何度も後悔をしてきた自覚はあるが、こういう現実を目にしてしまうと何が正解なのか分からなくなる。
 後悔をした先で、後悔している。
 それがココの〝俺〟であり、今の俺なんだろう。

「世間様から見ればニートのお前よりも、フリーターの俺の方がいくらかマシなんだろう。だが少なくとも俺はお前を否定も肯定もしないよ。失敗を恐れて失敗したってだけなんだろうからな」
「失敗、とは言ってくれるな……」
「ニートは成功とは言えないだろ」
「そりゃそうだ」
「お前の境遇は知っている。だが、何でもかんでも一つの過去に結びつけて投げやりになる必要はないだろ」

 よくもまぁ、ここまで立て続けに偉そうな説教をかませるものだ。
 いつまでも一つの過去に捉われているのは、他でもない俺自身だ。
 俺にしろコイツにしろ、結局進んだ道を振り返ることが怖いだけなのだろう。
 だから、今自分が進んでいるルートが正解だと思い込もうとする。人生に正解なんてない、とは言うが所詮は綺麗ごとだ。
 まぁそういう意味では、明確に後ろめたさを感じている分、ココの〝俺〟の方がいくらかマシなのかもしれないが。

「あのー、そろそろよろしいでしょうか?」

 コホンと咳払いを交えつつ、浄御原が会話に参戦してきた。

「話をまとめると、この世界線の〝近江さん〟は痴漢をやっていない。そして過去に捉われるあまりクソニートに成り下がってしまったということですね」

 言い方っ!
 どうしてこの女はやたらと俺にマウントを取りたがるのだろうか。

「……まぁその通りだな」

 客観的に自分を語られ、負い目を感じたのだろう。
 〝俺〟は沈んだ表情で言った。
 碌にこちらの事情も話さずにズケズケと言ってしまい、申し訳ない気持ちになる。

「……それでお前はこれからどうするんだ?」
「ケチってきたとは言え、貯金も尽きそうだしな。どっちにしろそろそろ動き出そうとは思っていた頃だ。お前と会ったのも良いきっかけだったかもしれないな」

 静かに覚悟を決めるように〝俺〟は言う。

「ありがとよ。お前のおかげで〝俺〟にも何か他の〝可能性〟があるかもって思えたよ」
「そうか……。まぁボチボチで頑張れよ。痴漢の件はもう気にすんな。俺が何とかしてやる」
「はぁ? 具体的にどうするんだよ?」
「まぁ任せとけって。じゃあな」

 一つ前に進む決心をした〝俺〟を残し、俺たちは公園を後にした。