「近江さん! どうして急にそんなこと言うんですか!?」

 経理部長の葬儀が終わり、数日後。
 突然の訃報に皆初めこそ戸惑いを見せていたが、社内はすっかり日常を取り戻していた。
 当然だ。どんなに人が悲しみに暮れようとも、物や金は動き続けている。
 人間は残酷なまでに立ち直りが早い生き物だ。
 そして今。外回りの帰りの喫茶店で、俺は彼女にある話を切り出している。

「この前のスタートアップに共同出資した会社で、新しくキャピタリストを募集しているらしい。話だけでも聞いてみたらどうだ?」

 唐突にもほどがある。だが、現状一刻の猶予もない。
 仮にも社会人として初めて出来た後輩だ。ただ一言『辞めろ』というよりも、先輩として少しでも先の道を示してやるのが俺の責任だろう。
 彼女のキャリアに傷をつけ、今後の人生を台無しにするわけにはいかない。

「……私、何か近江さんに失礼なことしちゃいましたか?」
「違う。そういう訳じゃない」
「近江さん、最近変ですよ? 何かあったんですか?」

 本来、彼女は知るべきだ。こんな勝手な提案をしている以上、詳細を話さないのはルール違反だろう。
 しかし……。本当はこの数日何度も言おうとした。
 だが喉元まで出かかったところで、彼女が話したあの時の言葉がそれを拒む。
 明確な意志を持って入社し、恩返しをしたいとまで言っていた会社にある意味で裏切られていたことが分かれば、彼女はどうなってしまう?
 半ばくじ引きで就職先を決めたような俺では、想像もし得ない。
 一方で、不器用ながらも彼女のビジネスパーソンとしてのタフネスさも間近で見てきた。
 相反する二つの要素が鬩ぎ合い、いつまでも具体的なアクションを取れずにいた。

「…………」
「話して、くれないんですね」

 深々と溜息をついた後、彼女はこう続ける。

「分かりました。では一つ条件があります」
「……何だ?」
「近江さんも一緒にその会社に入社して下さい」

 彼女の意外な言葉に、二の句を詰まらせる。
 果たして、俺に許されるのだろうか。元凶はどうあれ、沈みゆく船に止めを刺したのは紛れもなく俺自身だ。
 ……いや、違う。そういう意味じゃない。
 俺はあることに気づいてしまった。
 俺の表情を見て、飛鳥は察したようだ。

「近江さん、気づきましたか?」
「そうだよな。すまん」
「いえ。何があったかは分かりませんが、私だけ悪者にしないで下さい。私たちは一蓮托生じゃないですか!」

 社員は飛鳥だけではない。
 確かに彼女にだけ伝えるのは、フェアではなかった。
 それに彼女に退社を促したところで、いつかはメディアを通じて事実を知ってしまうだろう。悪戯に罪悪感を植え付けるだけかもしれない。
 参ったな……。近頃、全く自分を制御出来ていない。

「この話はここで終わりです! さぁ、帰って日報をまとめましょう!」
「あぁ、そうだな」

 席を立ち、会計へ向かおうとすると、飛鳥が急に動きを止める。
 すると、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「もし……、もしもですよ。近江さんが『自分のせいで私に何か不都合が起きるかもしれない』と考えているのであれば、それは違うと思います」

「…………」

「近江さんはいつも周りを見てくれています。今、近江さんが悩んでいるのも、私たちのことを考えてくれているからこそなんだと思います。だったら近江さんだけでなく、皆でそれを乗り越えていくべきです。だって私たち一緒に働く仲間じゃないですか!」

「……仲間? ふざけんな。お花畑なこと言いやがって。その仲間を利用してたんまり儲けてやろうって輩が、世の中には山ほどいんだよ。仮にも社長目指してんならもっと人を疑え。お前は仕事は出来るが、人が良すぎる。だからあんな嫌がらせを受けるんだろうが」

 しまった、と思ったが一度放った言葉は元に戻ってはくれない。

「っ!? すみません……。私、先に戻ります」

 そう言うと、飛鳥は会計を済ませ、喫茶店を出ていった。

 その後、俺と彼女の間に生まれた不協和音を払拭することは出来ず、時間だけが過ぎていった。