人を好きになることに、理由は多くなくていい。
誰が何と言おうとこれは恋だ。どんな風にとか、どこがとか、これが恋かどうかとか、私がもやもやと考えていたことなんて、そんなに需要なことじゃなかったみたいだ。
一緒にいたい、もっと知りたい。
私のことも知ってほしい。
でも、それ以上に────
「私も、綺のこと好き」
「だよなわかる───…んえ?」
「好きだよ。それ以外に、言い方ないかも」
好きなんだ、この人のことが。
ただ好きという気持ちを知ってほしいと思う。付き合うとか、彼氏とか彼女とか。そういうの関係なしに、綺と同じ世界を見ていたい。
好きだ、大好きだ。
これ以上に抱えた感情を上手く伝える方法は、私もわからなかった。
「……ぶはっ」
少しの沈黙の後、それを破るように綺の笑い声がした。肩を揺らして笑っている。
「……そんな笑う?面白いこと言ってないよ」
「いや?両想いだなと思って」
「それは、まあ……」
「恋ってラブなんだよな。なんかさ、俺と蘭は、ラブって感じがする。ラブな関係」
「だいぶ意味わかんないよ……」
「あは、そう?」
「私の世界、綺と出会ってからずっとひっくり返ってる気がする」
「それもだいぶ意味わかんねーって」
私と綺はラブ。
意味わかんないけど、それくらいが丁度良いのかもしれない。そんな曖昧で漠然とした関係が、私たちによく似合っている気がした。
「てか蘭、誕生日、暇だったら天体観測行きたい」
「暇じゃないけど、いいよ」
「ツンデレか」
「日中は杏未と予定があるから暇じゃないもん」
「そうやって友達いるアピールするんだ、へえ、ふーん、そう」
「てか寒い。真夜中さんのところ行ってあったまろう」
「肉まん半分こしようぜ」
「私ピザまん派なんだけど」
「まじでぇ?しゃーない、真夜中さんと半分こするわ」
「勤務中だよ真夜中さん。てか食べるとしても普通に1個食べると思うあの人は」
「言えてる」
冬の終わり。空気が澄んだ、真っ白な夜のこと。
ひかり【光】
1 目に明るさを感じさせるもの。太陽・星・電球などの発光体から出る光線。主に可視光線をさすが、普通は赤外線から紫外線までの電磁波をいい、真空中での進行速度は1秒間に約30万キロメートル。「電灯の光」「光を発する」
2 心に希望や光明などを起こさせる物事。「前途に光を見いだす」「オリンピックの金メダルは国民に希望の光を与えた」
3 威力・勢力のある者の、盛んな徳や勢い。威光。「親の光は七光 (ななひかり) 」
4 目の輝き。「目の光が違う」
5 視力。「事故で両眼の光を失った」
6 「光物 (ひかりもの) 4」の略。
7 色・つやなどの輝くほどの美しさ。
「―もなく黒き掻練の」〈源・初音〉
8 容貌・容姿のまばゆいばかりの美しさ。
「昔の御かげ、さやかにうつしとどめたる御―を」〈有明の別・三〉
9 はえあること。見ばえのすること。
「かうやうの折にも、先づこの君を―にし給へれば」〈源・花宴〉
cf.デジタル大辞泉
俺の不甲斐ない過去の話だ。
俺には好きな人がいた。
隣のクラスのその子とは、学校ではあまり関わる機会がなかったけれど、偶然アルバイトの応募をしたカフェで彼女が働いていて、そこから話すようになった。
こんなことを自分で言うのはバカらしいというのは重々承知の上で────運命なんじゃないかとすら思っていた。
俺の好きな人は、明るくてよく笑う、とてもかわいらしい女の子だった。仕事もできるし、バイト先の人とのコミュニケーションも上手にとっていた。一般的に、上手く世を渡っていく、社会に好かれそうなタイプだと思う。
だからまさか、彼女が突然バイトを辞め、さらには学校に来なくなるなんて、想像もしていなかったのだ。
高校2年生の春。
いつも通りバイトに向かうと、「桜井くんは何も聞いてない?」と、主語のない言葉をかけられた。何のことを言っているかわからず首をかしげると、店長さんは困ったように眉を下げて言った。
「名生さんからね、突然『辞めます』って連絡が来たのよ」
「え」
「理由はなにも教えてくれなくてね。ごめんなさい、すみませんって、謝るばっかりでねぇ……。桜井くん、同じ学校だから何か知ってるかと思ったんだけど、何も聞いていないのかしら」
「いえ、何も……」
「名生さん、よく働いてくれていたし明るい子だったから。なにかあったのかしら……、心配よねぇ」
状況がなにも理解できなかった。
春休み中はたくさんシフトにも入っていたし、元気そうに見えた。2年生のクラス替えでも彼女と同じクラスになることはなく密かに肩を落としてから数週間後のこと。
今年こそは、バイト先にとどまらず学校でももっと関わっていきたいなと、心に決めたばかりだった。
クラスが違うからその時の出席状況は分からなかったけれど、それから2週間後、彼女がずっと学校を休んでいることを知った。
不登校になったらしい。
同じクラスの女子、佐藤 麻衣と菊池 志穂、それから藤原杏未がそんな感じの話をしているのをたまたま耳にした。
佐藤は1年生の時によく、すれ違うたびに猫なで声で挨拶をしてきたけれど、特別仲良くした記憶がなかったので、すごく社交的な人なんだろうな、くらいにしか思ったことがなかった。
藤原さんは、佐藤と菊池とはすこし系統が違ったので、どうして仲良くしているんだろうなと不思議に思ったりもしていた。
「ねぇ、蘭のこと、うちらのせいとか言われないよねぇ?」
「言われないっしょ。だってうちら直接的なことなんもしてなくない?」
「だよね。先生も多分、「なんで?」って思ってると思う」
「まあでも蘭、ムカつくしさぁ。一生引きこもってればいーよ、どうせうちらもう友達じゃないし」
「ね。杏未もそう思うよねぇ?蘭ってなんか、うちらのこと見下してるっていうかさ」
「わ、わたしは……え、っと」
「え?なにはっきり喋ってー」
「う、うん、ごめん……」
友達って、そんなに簡単にやめられるものなのか。
そもそも、そんな会話を昼休みに教室でするのって、佐藤と菊池の体裁的に大丈夫なのだろうか。俺に聞こえるということは、彼女の近くに座っていた人にはもっとはっきり聞こえていたに違いない。
聞いていたこっちもとても不快だったので、睨むように視線を向けてみたけれど、佐藤たちは自分が話すことに夢中になっていて俺の視線になど気づきそうになかった。
視界の端で、泣きそうになるのをこらえながら必死に笑顔を繕う藤原さんの姿が鮮明だった。
名生蘭は不登校になった。
人間関係がこじれ、居場所を失ったという噂を聞いたけれど、原因が何だったのか、俺は未だに知らない。
佐藤や菊池と何か揉めたことは確かのように思えるが、噂ではそこまでの情報がまわってこなかった。
バイトを通して連絡先を知っていたから連絡しようか迷ったけれど、俺と彼女は仲が良いと言えるほどの関係ではなく、しいて言うならたまたま同じ学校に通うバイト仲間というだけだったので、殻に閉じこもってしまった彼女に踏み込む勇気がなかった。
何もできないまま、容赦なく時間だけが過ぎ去り、彼女が不登校になってから1年以上が経過し、佐藤たちの口から彼女の悪口に思える言葉を聞く機会も減った。
藤原さんは徐々に佐藤たちと距離を取りはじめ、すっかり一緒にいるところを見なくなった。
こうして人は変化に対応していくのだと思う。
俺も、彼女のことを好きだという気持ちがだんだんと薄れ、ふとした時に 元気にしているだろうかと耽る程度になった。
────だからこそ、彼女を学校で見かけた時は本当に驚いた。
高校3年生の、初冬の放課後ことだった。
たまたま通りがかった空き教室で、藤原さんと楽しそうに笑う彼女を見た。この学校の制服を着ていて、記憶に残る彼女より生き生きとしているようにも思えた。
不登校はやめたのか?3年生の受験期に復帰って……卒業日数とか単位とか、大丈夫なのか?
そんなことを考えながらも、かつて好きだった人の笑った顔をもう一度見れる日が来るとは思わず、数秒その場に固まった。
藤原さんは、佐藤と菊池と居た時からは想像もできないほど幸せそうな雰囲気を纏っていた。
やっぱり、あの時は泣きそうな顔で佐藤たちに話を合わせていたみたいだ。
どういう経緯で彼女がまた学校に来るようになったかは分からないけれど、藤原さんが一緒にいるということは、何かしら行動をしたということだ。
何も動けないまま日々を過ごした俺とは違う。
好きな人のために、俺は何もできなかった。
遠目からでも、名生蘭の瞳に光が差し込んでいるのが分かった。また彼女を外に連れ出してくれてありがとうと、俺は藤原さんに心から感謝した。
それから、無力な自分を、とても情けなく思った。