週末、佑が夜ご飯を食べに訪ねてきた。佑の背中には、アコギのハードケースが背負われているから、また路上に付き合わされるのかもしれない。あれはあれで楽しかったからいいけれど、道路使用許可だけはとってもらいたい。それとも、この前の曲を生で聴かせてくれるのだろうか。

 部屋に上がり背負っていたアコギを下ろした代わりのように、勝手に冷蔵庫を開けてコーラを取りだし、いつもと変わらず我が家のような振る舞いだ。ダイニングの椅子に腰かけ、炭酸だというのにゴクゴクと一気に飲んでいる。

「うんめー」

 炭酸に顔を顰めながらも、天井に向けて息を吐き出し満足そうだ。

「ねぇ。食材買いに行きたいから付き合ってよ」
「雪乃が運転してくれるなら、付き合ってやるよ」
「なんで私が」

 そもそも、佑が家に集りに来るから頻繁に食材調達をしなくちゃならないというのに。
 不満な顔を向けると、どうしてかにんまりとした笑顔を向けてきた。

「ちょっと、何その顔。怖いんだけど……」

 何を考えているのか、無駄に笑顔をまき散らすなんて滅多にないからつい警戒してしまう。

「失礼な奴だなぁ」

 そうは言っても、やはり佑の顔から笑みは消えない。一体、何を考えているのか。若干嫌な予感はしたけれど、ニヤニヤ具合が意地悪というよりもポジティブに感じられることもあって話し出すのを待った。

「この前の曲。もしかしたら、世に出せるかもしれない。事務所とプロデューサーが動き出した」
「うそっ! 凄いじゃん。そうだよ、だっていい曲だもんっ。あれを世に出さないなんて方がおかしいよ。あの曲は、絶対に売れるんだから。私が保証するっ」

 あまりの嬉しさに力強く言い切る私を、佑が笑って見ている。再びコーラを口にすると、一気に飲み干しぶはーっと大きく息を吐いた。

「雪乃に保証か。まー、悪くねぇな。よしっ、食材買いに行こうぜ」

 照れ隠しなのか、目を見ずにそそくさと出かける準備を始めるから、なんだか可笑しくて笑ってしまった。

「何笑ってんだよ」
「べーつにぃ」

 クスクスと声を上げながら、Uzdrowienieで買ったエコバッグを手にした。

「買ったのか?」

 見たことのないバッグに、佑がスニーカーを引っ掛けながら訊ねる。

「うん。お隣さんのところのお店でね。可愛いでしょ?」

 柄や形を見せびらかすようにしていると、まぁまぁだな。と気のない返事。相変わらず、こういうものに興味はないらしい。

 エントランスを出ると自転車の鍵を私に向かって突き出し、早々に荷台に座ってしまうから、納得はいかないけれど運転するしかない。使い込まれた佑のマイチャリを走らせ、スーパーに向かった。

「重いよぉ」

 必死でペダルを漕いでいるうしろで、頑張れ~。なんて、それほど応援する気もないような声があがる。スーパーの場所がそれほど遠くなくてよかった。

 ペダルを必死に漕いで走らせ、駐輪場に自転車を止める。荒く上がった呼吸を整えた。

「何が食べたい?」

 店内に入って買い物かごを手にして訊ねると、ハンバーグと目を輝かせた。

「子供だね」

 雪乃に言われたくない、とブーたれながらも佑が買い物かごを引き受けた。野菜から順に食品を見て歩きながら、先日のことを話した。

「この前ね、梶さんにポーランド料理をごちそうになったんだ。そこで食べたキノコのスープとロールキャベツがすっごく美味しくて」

 弾むように先日の出来事を話すと、じとーっとした目で見返してきた。どうしてそんな目で見られるのか理由が解らず、首を傾げる。

「いつから一緒に出掛けるような仲になったんだよ」

 そうか。私が足しげくSAKURAやUzdrowienieに通い、梶さんとカフェでお茶をしていることなど知りもしないのだから、突然仲が良くなったみたいに感じるよね。

 玉ねぎを手にした佑は「家にあるか?」と不機嫌そうな表情を向ける。

「確かあったはずだけど、一応買っておこうかな」

 玉ねぎを籠に入れ、牛乳と食パンの半斤を買いながら、ゴールデンウイーク中のことを話した。
 暇を持て余し、図書館で借りた本を片手にUzdrowienieに寄り、SAKURAでは毎日のようにお茶やランチをして常連のようにしてもらい、みんなとも親しくなったこと。新入荷のエプロンの代わりに、ポーランド料理を二人で食べに行ったこと。

「ふーん」

 説明を聞いた佑は関心のない返事をし、精肉売り場に並ぶお肉に目を奪われている。仲良くなった経緯を話したかっただけなのに、薄い反応をされると自分が言い訳でもしたように気まずい。

「一緒に飯食って、浮かれてるみたいだけど。そいつのこと、ちゃんと下調べしてからにしろよ」

 前回の恋愛で痛い思いをしている私を見てきたわけだから、言いたいことはよく解る。付き合った相手がまさかの既婚者だとは知らず、結果的に不倫になり、散々泣いたのだから。当時高校生だった佑に、不倫の愚痴をこぼしていた私も私だけれど。

 恋は盲目とはよく言ったもので、相手のあやしいと思える言動に気づくこともないのだからしょうもない。すっかり騙されていた私は、ある日新宿の人がごった返す中、彼が奥さんや子供と一緒にいる場面に遭遇し、奈落の底へ突き落された。

 あの時の感情の乱れは、どうにもならないくらい酷いもので。電話で呼び出した佑にこんこんと愚痴を漏らし、ティッシュひと箱を使い切るくらい泣き続けたのだ。

「雪乃には、男を見る目がないからな」

 関心のない口調のまま、牛肉百パーセントのひき肉を指さす。

「豚との合い挽きにしてよ」

 少し離れた場所にある牛豚の合い挽き肉を指さす。

「佑だって、毎回ヘンなファンの子につかまってるくせに」

 自分の話題から逸らそうと皮肉交じりに言い返して、グラムの高い牛肉に顔を顰めていると、「出世払いで」なんて調子よく笑顔を浮かべている。早いところ出世してもらわないと、その前に私が破綻してしまいそうだ。

 渋々と牛挽肉を買い、再び佑の自転車でマンションへ戻った。今度は私が後ろだ。
 キッチンに立ち、梶さんから貰ったエプロンをする。

「それが噂のエプロンか?」

 挽肉をとても大事そうにスーパーの袋から取り出した佑が、「エプロンなんていつもはつけないくせに」と付け加えた。

「そもそも、なんで貰ったんだよ、誕生日でもあるまいし。つか、誕生日だったとしても、知り合ってまだ一ヶ月ちょいだろ? 隣の男、ちょっと頭おかしいんじゃねえの?」

 佑は人差し指をこめかみに向けて指し、アホみたいな顔をしている。

「言い過ぎ」

 人睨みすると、肩を竦めた。

「貰う理由はどこにあんだよ」

 冷蔵庫の中に収まっていた玉ねぎを出し、代わりに買ってきた玉ねぎを野菜室に片付ける。

「さっき話したでしょ。食事に付き合ったからだよ」
「雪乃のおごりじゃないんだろ?」

 訊ねられてコクリと頷いてから、食事をご馳走してもらったのに、エプロンを貰うというのはおかしな話だと気がついた。

「ご馳走して貰ったのに、エプロンまで貰うって……。変だよね?」
「俺に訊くな。つーか、気づくの遅っ」

 とぼけすぎだろと苦笑いを浮かべ、これだから雪乃はとあきれ果てて脱力してしまった。

 エプロンの代わりに用事なんて言われて、何も考えずに美味しいポーランド料理に舌鼓を打ったけれど。冷静に考えればおかしな話だ。いや、冷静に考えなくても、可笑しいと気づかなければいけなかった。梶さんの優しさに浸りすぎて、脳内に虫でも飼っているみたいに何にも考えられなくなっていた。これだから、男を見る目がないと言われるのだ。

「そいつ、物で雪乃を釣ろうとでもしてんじゃねぇの?」

 再び口悪く梶さんのことを貶す佑だけれど、私を釣る理由が解らない。梶さんには櫻子さんがいるのだから、恋愛どうこうなんて関係ないだろうし。だとしたら、パイプの太い客? いやいや、パイプなんて全く太くないか。チョビチョビと手頃な金額の雑貨を時々買いに来るくらいじゃ、大して貢献しているとは言えない。

「つーか。マジで気をつけろよ」

 佑が真面目な表情を向けてくる。なんかあったらすぐ連絡して来い、何て付け足すものだから、心配し過ぎだと一蹴した。

 あんなに穏やかな表情をする人が、前回のような人と一緒だとは、どう考えても思えない。それとも、この考えが甘いのだろうか。

「そもそも、私なんて眼中にないでしょ」

 あっけらかんと返すと、未だ真面目腐った顔つきで見返された。

「一緒に飯に行ったんだろ? 二人でか?」
「……うん」

 佑に確認されるように問われれば、応えながら期待をしている自分がいた。佑は、単に変な男に引っ掛かるなと注意喚起しているだけなのに、梶さんの気持ちばかりを考えて、想いの行方は私へ向いているんじゃないかと淡い期待を抱いてしまう。なのに、櫻子さんがいるんだし……。と、思考も想いもこれの繰り返しで堂々巡りだ。

 考えてもわからないのだからと梶さんのことを一旦頭の片隅へとやり、野菜室で冷えた玉ねぎをみじん切りにした。奥の部屋では、来るときに背負ってきたハードケースからギターを取り出した佑がチューニングを始めている。

 ギターがメロディーを奏でだし、歌が聴こえてくる。それは、とても懐かしい曲だった。事務所のオーディションで演奏した曲だ。

 久しぶりに聴いたな。
 佑らしい、リズミカルでいてちょっぴり切ないメロディ。

 歌詞は、孤独を抱える少年の物語。信じるものを探し続けるが、見つけられずに打ちひしがれている彼の前に、一人の少女が現れ空を見上げた。

 上を向いて。
 ほら、昼間には明るく照らす太陽。
 夜には、心を癒すように輝く星たち。
 足元には何も転がってなどいない、だから前を見て。
 君は、前を見て進むべきなのよ。

 そう教えてくれた少女に近づこうとしても、ひらりひらりと掴みどころがないという内容だ。

 下ごしらえを全て済ませ、佑のそばへ行きローテーブルの前に座った。

「懐かしいね。どうしたの、急に」
「なぁ、隣のアイツ。年上なんだろ?」

 質問には応えず、佑がポロンポロンいうように弦をつま弾きながら訊ねた。

「きっとそうだと思う。Uzdrowienieの前にあるカフェのオーナーが、櫻子さんていうんだけど。とても素敵な人なの。梶さんとその櫻子さんは、絶対に恋人同士だと思うんだよね。二人を見てると、とってもいい雰囲気なんだ」
「え? あ、なんだ。女がいるのかよ」

「うん、多分ね。櫻子さんが梶さんを見るときの目は、ちょっと違うもん」
「どう違うんだよ」

「愛しい人を見る目」
「ふ~ん。まぁ、そのカフェのオーナーはどうでもいいけど。つか、女がいるのに雪乃に手を出してくるなんて、やっぱ、その男よくねぇよ」

 何を言ったところで、梶さんへの悪評は収まらないらしい。

「そんなんじゃないから、大丈夫だよ。佑は、心配し過ぎなの」

 言い返すと、じっとりとした目を向けられた。

「男に優しくされると、雪乃はすぐフラーっとするからな」
「なにそれ」

 笑う私をそれでも心配そうな顔で見てくるから、何だか居心地が悪くなり話題を変えた。

「佑は? 新しい彼女はできたの?」

 話題を変えられたことに逃げたなって顔をして、抱えていたギターをベッドわきに立てかける。

「まー、ぼちぼちやなぁ」

 関西人みたいな返しをするから、つい笑ってしまった。

「今は、大事な時だから、音楽に集中だな。契約の継続もかかってるし」

 軽い口調でなんてことないような言い方をしたけれど、話している内容はとても重大で、確かに彼女云々なんて言ってる場合じゃないな、なんて質問をしておきながら思った。

「まー、変な女に引っ掛からないようにしなよね」

 佑に倣い、重苦しい雰囲気にならないよう、わざと偉そうにふざけて笑った。

「雪乃が言うかよ」

 佑もケタケタと声を上げる。

「雪乃は、もっと慎重にな。いつもフラフラしてて、ホント危なっかしいから」

 兄貴みたいな口調で、再度私のことを窘める。

「了解です」

 六つも年下だとは思えないほど、佑の私へ対する過保護は凄い。実は父親なんじゃないかって、思ってしまうくらいだ。

 もしも父が生きていたら、私はどんな男性に惹かれていたのだろう。佑が言うには、私は父を早くに亡くしているせいか父性愛が不足しているらしい。だから、落ち着いていて安心感のある、寄りかかれるような年上の男性に目が向くというのだ。
 以前、私の恋愛遍歴を分析した結果だと、少しだけ真面目な顔をして話していた。

 私自身は、意識して年上の男性に目を向けているわけではない。けど、振り返ってみれば、今まで付き合った人はみんな年上だし、頼りがいがあると思える人ばかりだった。

 なんにしても。梶さんには、櫻子さんという素敵なパートナーがいる。私なんて、大人の梶さんにしてみたら、ちょっと新しいおもちゃを与えれば、目を輝かせて喜ぶ子供みたいなものだろう。

「梶さんは、憧れに近い存在だよ。なんでもスマートにこなすし。癒し系の微笑みは、ずっと眺めていられる。なんて言うか、観賞用?」

 佑がぶっと噴き出した。

「お前、流石にそれは本人に言うなよ。嫌われるのは、本望じゃないだろう」

 そう言いながらも可笑しくてしょうがないのか、佑の口角は上がりっぱなしだ。

「言うわけないじゃん」

 そんなくだらない会話をした後、牛肉百パーセントの贅沢ハンバーグを堪能しつつ、たまたまテレビでやっていた懐かしい映画を鑑賞した。

 普段、本当に碌なものを食べていませんとばかりに、作りすぎかと思った量のハンバーグを、佑はぺろりと平らげて満足そうにしている。
 そんな佑を横目に、冷蔵庫に入っていた缶ビールを片手に部屋の窓を開けた。五月の晴れ間の気温は、とても暖かい。ちょっと動き回ると、すぐに汗ばむ陽気なものだから、やけにビールが進む。

 満腹になった佑はご機嫌かと思っていたら、時々ぼんやりする瞬間があって。契約が切れそうになっていることの重大さに、気が重いのだろうかと心配になった。