三十四階は重役専用のフロアーで、専務執務室・常務執務室・社長室があり、このフロアーで最も広い会長室は一番奥にある。会長室の中には会議用の大きなテーブルも設置されている。
 そして、彼がこの日から在籍することになった秘書室もこの階の会長室の隣にあり、二つの部屋に挟まれるように小さな給湯室がある。

 ただし、常務は村上社長が、専務は人事部長の山崎さんが兼任することになったので、この二つの部屋はしばらく使われなくなり、実質機能していたのは社長室・秘書室・そして会長室だけだった。

「――会長、どうぞお入り下さい」

 ドッシリした木製のドアの前で立ち止まった彼は、ドア横のセンサーに自身のIDカードをタッチした。
 この社員証はカードキーの役割も果たしていて、このカードを持っている社内の人間でなければ、このフロアーを含めたどの部署にも入れないのだ。――もちろん、わたし専用のIDカードも作ってもらった。

 わたしはドアの上部に取り付けられている「会長室」と彫られた金色のプレートを、感慨深く見つめていた。
 父が守ってきたこの部屋の、新しい主に自分がなったことへの喜びと、本当に自分でよかったのかというほんの少しのためらいとが入り混じり、なかなか足を踏み入れられなかった。

「……会長? どうされました? さ、中へどうぞ」

 ドアを開けたままでわたしが入るのを待ってくれていた彼は、わたしのためらいを察していたのだろうか。再び優しくわたしを促してくれた。

 わたしが勇気を出して室内に足を踏み入れると、彼がその後から入室してパタンとドアを閉めた。音では「パタン」だけれど、重いドアだけにその閉まり方には重厚感があった。

「うん……、ありがとう。――ここがこれから、わたしの仕事場(せんじょう)になるのね」

 わたしはしばらく目を細めながら、室内のインテリアを眺めていた。

 まず、西側は全面が大きなガラス窓になっていて、その窓に背を向ける形で会長のデスクと大きな背もたれとキャスター付きOAチェアのセットがあり、デスクの上には備え付けのデスクトップ型のパソコンもある。

 南側の壁は一面が書棚になっていて、父の愛読書だったらしい経営学の本やビジネス書がビッシリ並んでいる。これは(のち)にわたし自身の愛読書にもなった。

 そしてデスクの横に、会議スペースとして使われるテーブルセットがあり、部屋の一番奥がペパーミントグリーンの布張りの二人掛けソファーが一対と、木製のローテーブルがセットで置かれている応接スペース。
 堅苦しさのない、ゆったりと来客をおもてなしできるこの応接スペースは、営業畑出身の父らしいセンスだなとわたしも感服した。