「――わたし、ちょっとお手洗いに行ってくるわ。貴方も、ちょっとロビーに出て外の空気に当たってきたら?」

 そんな空気に耐えかねて、わたしは一度席を外すことにした。
 よく見れば、お酒に弱い彼も気分が悪そうだった。本人曰く、その場に漂うお酒の匂いだけでもう酔ってしまうらしいのだ。

「……お言葉に甘えてそうします」

 わたしは彼と一緒にバンケットルームを出て、彼がロビーのソファーに腰を下ろしたのを見届けてから女性用化粧室へ向かった。

 ほんの少しの間だけれど彼と離れ、自分の言動を(かえり)みた。わたしの言葉が、態度が、彼に過度なプレッシャーを与えてはいないかと。

 その半年ほど前に来社された悠さんのお話によれば、「弟は昔から、過度な期待や重圧に弱い」とのこと。わたしがことあるごとに〝結婚〟や〝篠沢家の一員になること〟を仄めかしていたので、彼はもうウンザリしていたのではないだろうか? 
 結婚そのものはともかく、伝統ある名家に婿入りすることが、「住む世界の違う」彼にとっての重大なプレッシャーになっていたことは間違いない。
 わたしは彼の優しさに甘えて、自分の願望を彼に押し付けてしまっていたのかもしれない。そんなわたしは何て欲張りだったのだろう。

「そりゃ、イヤにもなるよね……」

 大きなため息とともにそんな言葉を吐き出し、わたしは化粧室を出た。
 パーティー会場へ戻る途中、彼が座り込んでいたロビーを通りかかると、信じられない光景がわたしの目に飛び込んできた。

「…………えっ!?」

 彼の座っていたソファーの側には真っ赤なスーツを着た一人の若い男性が立っていて、その男性を見つめている彼は、それまでわたしが見たことのないくらい険しい表情をしていた。そして、相手に掴みかからんばかりに固く両手の拳を握りしめていた。

 その男性には、わたしも見覚えがあった。そして、名刺まで押し付けられていた。名前は有崎(ありさき)(のぼる)さん。ITベンチャー企業の社長だけれど、実は大企業グループの御曹司らしい。父親の後を継ぐのを拒みながら、父親に出資してもらって起業したのだと経済誌のインタビュー記事で読んだことがあった。

 彼があんなに怒ったのは、有崎さんに挑発されたか何か気に障ることを言われたからだ。――わたしはそう直感で分かった。でなければ、温厚な彼がここまで眉間にシワを寄せることはなかったはず。

「――あの、わたしの秘書に何のご用でしょうか?」

 わたしは二人の元へツカツカと歩み寄り、ありったけの威厳を込めて有崎さんに詰め寄った。

「……キミの秘書? この男が?」

 彼は明らかに、貢のことを小馬鹿にするような口調でそう吐き捨てた。