「先生、ごめんくださいませ」
雪月の家の玄関で挨拶をすると、奥の部屋から雪月が顔を出した。
「やあ、華乃子さん。どうぞ上がってください」
実に、今回の新刊の原稿を受け取った時以来の雪月である。実は少しどきどきしていたことを、華乃子は自分で否定できなかった。
華乃子は部屋へと通され、雪月の向かいに座ると、風呂敷に包んできた物を差し出した。
「編集部で預かっていた、先生へのご感想のお手紙です。やっぱり反響が凄いですね、今までより沢山!」
これは、華乃子としても嬉しい結果だった。まだ小説は発売になったばかりであり、反応はこれからもどんどん寄せられると期待できた。
雪月もこの反響は想定外だったようで、目の前に差し出された手紙の数に驚いていた。
「いやあ、これは嬉しいものですね。私の作品が、こんなに多くの方の心に触れたのかと思うと、ちょっと興奮すらします」
「ふふ……。先生はもっと興奮しても良いのですよ。それだけの物語を書かれたのですから。此方へ伺う途中ですれ違った女学生たちが、先生の新作を褒めてましたよ。終盤の告白の言葉を言われてみたいってはしゃいでました」
通りすがりに彼女たちの言葉を聞いたとき、自分事のように気分が良かった。だからその気持ちで微笑んで言うと、雪月がぱちりと瞬きをして、照れくさそうに頭を掻いた。
「そうですか……。あの……、伺っても良ければ、華乃子さんのご感想も、お伺いしたいのですが、……華乃子さんは、あの話をどう思われましたか……?」
「え……っ」
感想……。感想って言ったって、この話はもともと華乃子のことを物語の中でだけでも幸せにしたいと思ったから書いてくれた話だ。そこには『視える』ことすらヒロインの魅力の一部として描かれた、やさしい世界が広がっていた。華乃子の『視える』世界を否定せずに許容してくれた物語。嫌いなわけがない。だけど、それだけではなく……。
「……あの作中のモダンガールのモデルが私なのだとしたら、……何時か、私にも、あんな言葉を掛けて下さる方が現れたら良いな、……と、思います……」
本人を前に、緊張で心臓が煩く鳴っている。
期待するまいと思ってきたのに、逸る胸は止められず、どきんどきんという鼓膜の奥の音が異様に大きくなるばかりで、小さな雪月の言葉をかき消してしまいそうだった。
「そう、ですか……。よかった、です」
にこりと微笑むそれは、どうして『よかった』なのか。肝心なことを問いたくて、……勇気が出ない。
「あの……」
鼓動の音が雪月に聞こえてしまうんじゃないか。
そう思った。
「わっ……、私をモデルにあんなに……、やさしい恋物語を書けたのは……、何故なんですか……?」
ずっとずっと悲恋ばかりだったのに、華乃子をモデルにしたら、こんな素敵な恋物語が書けるなんて……。だったら、其処に込められた想いは……?
そう問うと雪月はやっぱり恥ずかしそうに微笑んだ。