鞠の君が東宮の妻となってしばらくの間、ふたりは仲睦まじく過ごした。
 鞠の君は生育の影響もあってか、とても無口であったが、東宮はそのようなことを気にせず、ひたすらひとりで鞠の君へと話しかけ続け、鞠の君はこくこくと頷きながら、聞いていた。

「ほら、鞠の君、梅が咲いている。もう春だな。梅と言えばやはり大友家持の詠んだ『雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき子もがも』であるな。夜になったらまた見に来ようか」
「そうですか」

「鞠の君、祭りを見に行くぞ。京で祭りと言えば葵祭だ。叔母上が斎王(さいおう)を勤められれるのだ。見物(みもの)であるぞ」
「はい」

「鞠の君、こほろぎを捕まえたのだ。お主にやろう」
「よい声で鳴きますね」
「そうだろう、そうだろう。秋になったなあ……」

「鞠の君、雪が降ってきたな。寒くはないか。ほら、近うよれ」
「火鉢があるので暖こうございます」
「つれないことを言うな。ほら、こうするともっとあたたかいぞ」

 そんな二人を宮中の者どもも温かい目で見守っていた。
 特に東宮の母――皇后が山からやって来た鞠の君のことを蔑むこともなく、大層可愛がったので、後宮の中で鞠の君は自然と受け入れられるようになった。
 もっとも皇后には打算もあった。
 鞠の君は表向きは皇后の実家筋の娘ということになっていた。
 鞠の君が東宮の子を産めば、皇后の実家は二代にわたって大きな力を持つことが出来る。そのため、東宮が鞠の君への思いを失わぬよう、鞠の君を盛り立て続けた。

 しかしそのさらに一年後、帝が崩御し、東宮が即位した。
 それからというもの、帝となった東宮の元には多くの縁談が舞い込み、後宮は鞠の君以外の女君達で溢れるようになった。
 東宮は無口で教養の足りぬ鞠の君より、名家で生まれ育った女君たちに惹かれていくようになった。

「……今日も東宮様はこなかった」
 ぽつりと鞠の君はつぶやいた。
 鞠の君の教育係である春式部(はるしきぶ)は彼女を諫めた。
「もう帝になられたのです。東宮様ではございません。主上(しゅじょう)とお呼びしましょうね」
「……主上」
 それは誰だろう。知らない人の名前のようだ。
 自分につけられた鞠の君という名前にはすぐに慣れたというのに、東宮が帝になったことに、鞠の君は慣れなかった。

 鞠の君は、居住として雷鳴壺(かんなりのつぼ)を与えられた。
 そこは後宮の中ではあまり位の高い住居とは言えなかったが、鞠の君に不満はなかった。元は山から飛び出てきたような女である。後宮に住まえるだけで十分に恵まれていると鞠の君は知っていた。
 ただ、鞠の君には都に友人と呼べる人がいなかった。
 東宮ただひとりが鞠の君の世界のすべてであった。
「…………」
 鞠の君は日がな一日、宮中に上がるときに持たされた鞠を眺めながら、雷鳴壺の中に籠もりきりで、過ごすようになった。春式部以外の女房も最低限しか近付けなかった。
 色鮮やかな鞠を見ていると、幼いころに大事にしていた鞠が思い出された。
 あのみすぼらしい鞠を、自分はどこへやってしまったのだろう。
 ふと今の自分の有様は鞠をなくした自分への因果応報であるように思えてきた。鞠を忘れた自分と、帝に忘れられた自分。
「ふふ……」
 鞠の君は自分の思考に苦笑した。因果応報、そのような言葉も、あの日、東宮に出会わなければ鞠の君は一生知らなかっただろう言葉であった。
 因果応報というのなら、そもそも自分がこのような大それたところにいるのが因果からよっぽど外れている。
 それがおかしかった。

 あるとき、鞠の君は思い付いたように文をしたためた。
 皇太后――帝の母に宛てたものだった。
 そこには後宮を辞したいとの思いが記されていた。
 帝に必要とされぬというのなら、せめてこの身に余る後宮を出たかった。もちろん鞠の君に行くあてなどない。強いて言うのなら、皇太后の実家、東宮の母方の家だけが頼れる場所であった。
 だからこそ皇太后に頼るしかなかった。
 しかし皇太后からの返答はそれを却下するものだった。
 皇太后の実家はまだ鞠の君に帝の子を産ませ、権力を独占することを諦めてはいなかった。
 鞠の君はたった一人の頼みの綱を頼ることもできなかった。
 文の最後にはこう記されていた。『あなたがこのように文字を読み書きできるようになったこと、誇らしく思います』
 その言葉は鞠の君の心に一筋の光を灯した。
 山賊の娘であった頃は文字どころか言葉すらろくに知らなかった小娘が、今はこうして文をしたためるまでになった。
 それは夢にも見ず、願いもしなかったことである。
 皇太后様が誇ってくれたのだ。自分もそれを誇ろう。
 そうしてその日から鞠の君の日課は日記になった。
 巷に名高い女房達の流麗な日記には遠く及ばないものの、春式部から『悪くはありません』との評価がもらえるほどには体裁の整った日記を綴るようになっていった。
 春式部は実家で秀才の兄とともに学問を学んでおり、文章には人一倍うるさかったので、鞠の君は春式部にそう言われることで、自信を持った。
 鞠の君は細々と日記を書き暮らすようになった。