◯
「おつかれさま」
カウンター越しに満島くんが言った。
「短い間だったけど、ありがとう」
そう言って、アイスコーヒーの入ったグラスを差し出してくれた。
「こちらこそありがとう。いただきます」
手に触れるグラスの冷たさに、季節の流れを感じる。入ったときは、3月とはいえ、まだホットコーヒーの温かさがありがたいくらい寒い日が多かったから。
2年生になって、ゴールデンウィークの多忙な時期を終えた今日、私はバイトを辞める。
何度も迷いながら、でもよく考えて決めたことだ。
2ヶ月経ってようやく慣れてきたのに辞めてしまうのは、申し訳ない気がした。何よりここは居心地がいい。
だけど、
私も、前に進もう。
前に進むには、気持ちにケジメをつけることが必要だった。
告白して振られても、いままで通りバイトを続けることはできる。だけど、そばにいれば、どうしたって気にしてしまうから。
背中を押してくれたのは、葵の気持ち、それと、満島くんの言葉だった。
バイトを辞めても、また来たいと思う。
ここはそんな温かい気持ちになれる場所だ。
お世話になった店長や紗栄子、ほかのスタッフの人たち、そして満島くん。
ひとりひとりに笑顔で別れを告げて、店を出た。
扉を開けて、私は目を見開いた。
目の前に、葵が立っていたから。
「また会いに来ちゃった」
葵は照れたように笑った。
頭上には、春の日差しが温かく降り注いでいた。